第7回 大局観のない暴動のもたらす結果
2008年、新生・中国始まって初のオリンピックが開催される。アジアで最も早くに夏季五輪が開催されたのは、1964年の日本。88年の韓国に続き、ついに「一等国」の仲間入りを果たそうとしている。ところが、最近流れるニュース報道で見られる、「血が頭に上った」一部の中国人群集の傍若無人振りには怒りを通り越してあきれるしかない。
なぜ彼らが怒っているのか、その論点は2個である。ひとつは教科書検定の問題、そしてもうひとつは日本が国連の常任理事国入りを切望していることが報じられたからである。正直言って、「この程度」のことで投石や打ちこわしになっているようでは、「なんと我慢指数の低い国民なのだろう」と、全世界にアピールしていることであるということに彼ら自身は気づいていない、このことが悲劇なのである。検定問題では、韓国もやや厳しい論調になる気配があったが、現在の日韓の友好度に水を差す(相変わらず「冬ソナ」ツアーは盛況、韓国俳優が稼ぐジャパンマネーは無視できない、などなど)と考えた韓国政府はそれ以上突っ込んだ提案をしてこなかった。常任理事国入りについてはコメント自体が聞かれない。ところが中国の場合はどういうわけか一部の若者が起こしたデモが群衆の共感を集め、日本料理店への襲撃や、邦人留学生への暴行といった直接行為にまで発展してしまっている。
先ほども書いたが、「我慢指数の低さ」はそれすなわち、「物事の判断能力の低さ」を指し示している。なんとなれば、自分たちがこういった行動をすることでどういう結末になるのかを考えに入れていないからである。その代表的な例が、中国で行われたサッカーの日中戦だ。国歌斉唱の際のブーイングは、スポーツ先進国である他の国では考えられない。少なくとも「過去は過去、スポーツはスポーツ」と割り切れない、国民性が悪いほうに出てしまった形だ。帰ろうとした選手にも危害が及ぶ一歩手前まで事態は緊迫していたと聞く。ことほど左様に、中国の人々は、「過去わが国に災禍をもたらした日本が、まったく変質しておらず、今後も危害を加えるかもしれない」と考えていることは、非常に心外である。仮に日本がもう一度中国に攻め入ろうとして軍備を強化しようとしても、そんなお金は政府の中には残っていない。中国の軍事力と対等になろうと思ったら、アメリカ並みの巨額の防衛費が必要になるはずである。
あるいは「日本は何も言ってこないから、叩けるうちに叩いとけ」と考えて、デモ行為を行っているかもしれない。しかし、それも間違いである。日本が何も言わないのではない。「言って説得できる相手にない」と下手に見られているのである。それが証拠に、今回の暴動騒ぎに責任はない、と中国外務省が言ってしまった。中国の中にある日本大使館は、「外国の中の日本」である。それに対する「攻撃」を知らぬ存ぜぬで通そうとするあたり、中国政府関係者の中にも、「我慢指数の低い=物事の判断能力のあまりない」人が混じっていることが残念でならない。またそういった、政府の言葉が、デモ側に「自分たちのやっていることは(国際的にはどうであれ)間違っていない」という錯覚を植えつける結果となり、結果、最大の貿易相手国でもあるはずの日本に対するバッシングにつながってしまっているのである。こんな相手を捕まえて、「どうにかしろ」と強気に出たところで、何の改善も行われないのは目に見えている。あえて強気に出ないのは、沈静化させられなければ、あなたの国が世界から馬鹿扱いされますよ、と日本の政府は言いたげなのである。そして、そんな国でオリンピックをやるということになって、日本人が記録を出したとしても歓迎されず、またブーイングの嵐で国としての評判を落とすのは、日本のせいではないからである。
まだ物が壊される程度で済んでいる今回の暴動騒ぎ。中国で住む日本人も、昨今の中国進出で少なからずいるはずである。彼らはもとより、旅行者や留学生たちが、安心して往来できる中国に戻ってもらいたいものである。
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