第 4回 右翼も左翼も関係ないのでは?
関西圏に在住している小生。昼下がりに見るのは、関西テレビ系の情報番組「アンカー」である。→番組ホームページはこちら。
中でも水曜日はコメンテーターをされている青山繁晴氏の、「ニュースDEズバリ」コーナーが秀逸なのである。何しろ、彼自身が、独自の情報網を使って各方面に独力取材。そこから導き出される、他のマスコミが書かない切り口の解説をやってくれているからである。もちろん、バックボーンに、彼が共同通信の記者をやっていたことや今独立総合研究所という、国家の安全保障の一助になるような活動をしていることも起因していると思われる。特に守備範囲である防衛/戦後処理などではその威力を遺憾なく発揮しているだけに見ていて危な気ない(政治の裏側系は、どうしても聞き伝えからの推論を交えざるを得ず、歯切れの悪い回があるのも事実)。
そして今回直近の話題は、硫黄島に眠るとされる未帰還の遺骨の発掘のための調査費が今年度予算ではじめてついたことに関して、青山氏がなんと防衛事務次官の元まで行って生の声を聞いてきているのである(当の青山氏も言っていたが、取材許可を出し顔バレした事のある防衛事務次官は私としては記憶にない)。→取材の模様などを文字起しされている、ありがたい方がいらっしゃいます。くっくりさん。こちらから、そのときの模様が窺い知れます。
くっくり氏のブログもやや荒れた展開になるかに思われたが、総じて議論は伯仲することもなく沈静化した。私はこのこと自体は悪いことではないと思う。
問題は、日本がこれまでしてきたことをどう考えるか、という観点が抜けていることである。つまり、「どうして今なのか」ということである。
戦後から64年も経ち、硫黄島自体は1968年にアメリカから返還されているから、その時点から考えても40年以上経っている。40年も、自国の領土に戦没者の遺骨を放置し、今頃になって「見つける算段組みましょう」となる、日本国というものが少々我慢ならない。もちろん、遅ればせながら国がこの地で朽ち果てた人々を何とかしようと考えていることは評価したい。であるならば、どうしてもっと早くにできなかったのか、そしてどうして今なのか・・・。
私個人の戦後感は戦時中になくなったすべての人たちが礎になって生かされている、と感じている。戦後生まれで右だ左だといっている人たちも、結果的にこの部分に帰ってくるはずである。つまり、戦争というものとは誰一人、切っても切れない動かしがたい事実なのである。いまだに戦争の話題になると、過剰反応する人たちも多い(特に反戦を謳う左よりの方々)が、この問題、主義主張としての右翼も左翼もない事象だと思うが如何なものだろうか?
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