第21回 もしかして、日本人か?その2
タイトルは前回エントリーとかぶっているから、すわ、続報か?と思った方も多いかもしれないが、そこはそれ、小生のタイトルマジックだったりするのだ^^
「テキサス親父」のことを「日本人と見間違える」という意味で使ったタイトル。今回は、ずばり、「日本人もどき」に対するタイトルである。
大阪府の橋下知事が、教職員の国旗国歌に対する起立を義務付ける条例案を提出することに、早速噛み付いた人たちがいるのである。
「『日の丸・君が代』強制反対ホットライン大阪」という団体らしいのだが、彼らの言い分がかなり間違っていることにほとほと参っているのである。
なぜ、国旗掲揚や国歌斉唱のときに起立するのか?それは「敬うべき対象」だからである。それが証拠に、義務教育の期間中、授業の始まりと終わりには、必ず、起立・礼をしたではないか?教師は敬って、国の機軸とも言える国旗/国歌には不敬の態度で良いなどと、よくも「教師」がいえたものである。
→ちなみに先述の団体の代表は、「黒田伊彦元大阪樟蔭女子大講師」なのだそうだ。当然、日教組の連中も加わっていることであろう。
もう少し噛み砕いて言うなら、知事もおっしゃっていたように、「こんなこと条例になんかしたくない」はずである。不文律で、今まですごして来れたのも、それまでの教育や、国家観がしっかりしていたからに他ならない。明文化しなければならないほど、日本人の中に国家帰属意識がなくなりつつあり、まして「生徒の規範」たる教職員という公務員にそういう意識がなくなっているということが知事の危機感に現れているのである。
公務員は、あえて書くまでもなく、「公務」、つまり公のために仕事をする人たちである。会社員が会社に忠誠を誓うのと同様に、公務員が忠誠を誓う場所は国家しかない(日本国株式会社の支店という風に考えれば分かりが早い)。社歌が、社旗が気に入らない、それを敬う気もないというのであれば、辞めなくてはならないのは当然であり、それは公務員が同様に思えば当然である。敬う気もないものの下で働くのは、いささか自分勝手であり、国家を敬えないものの下で勉強など教わりたくないのも道理である。
要するに、「いやなものはいや」といいたくて仕方ないのである。自分が置かれた職責などどうでもいいのである。もちろん、日本人の中に国歌国旗が気に入らないという人がいてもごく自然である。であるならば、「いやな国家の下で働く」公務員になるのは自分の信条から言っても間違っている。「辞めなくてはならない」といった知事の発言は真っ当どころか、あえてこんなことを知事から言われないと気づかないのかとさえ思ってしまう。
国旗・国歌を敬うことは「右翼化」を標榜するものではない。むしろ、社会制度がどうあれ、どの国だって国旗国歌を敬わない国はないだろう。それをそうさせない様に向かわしめようとする勢力がいる。仮にその人たちの国籍が日本だとして、その人は本当に「日本人」なのだろうか?
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