第1回  改憲か護憲か・・・
 
 2013年がスタートした。
 今年は、意外なことに、それほど忙しくない年明けを経験した。去年はもう少しばたついていたのとは打って変わった平穏な新年を迎えられたのも、昨今成立した自民党政権によるところが大きいのではないだろうか?

 さて、自民党が政権を再度獲得してからの経済指標の豹変振りは本当にビックリするばかりである。円は一気に90円台を伺う水準にまで下落(勿論、輸入分野である原油/穀物などには悪影響なんですが)、株価も1万円台を軽がる超え、地固めに入る余裕すら感じられる。マーケットの政治への連動/期待感がそのままこういったことに表れる。3年3ヶ月の「空白」を埋めようかという動きに世間もやや明るさを取り戻しつつあるように見られる。
 
 「飯の種」はこのまま失政さえしなければ確保できることがよくわかった。しかし、国体というか、国の根本をなすことになる「日本国憲法」はいまだに「占領軍に作ってもらったもの」のままで実に70年近くもほとんど変えられることなく、世界情勢とは何の関係もなく不変を貫いてきた。諸外国が頻繁に憲法改正を行っているのとは対照的に、終戦後そのままの憲法を後生大事に、それこそ神棚に上げ奉って信奉しているさまは、こっけいでもあり、その程度の認識しかないということが分かる。

 よく、護憲派の人たちが言う、「9条があったから戦争が回避できた」というもっともらしい言い分は、「日米安保」の存在を無視し、彼等が大嫌いなはずのアメリカの庇護がなかったかのように扱い、「このまま日本が強国にならないで済めばその方がいい」と思っている自虐史観そのままの浅薄な考え方である。もっと根本からいえば、占領国の草案そのままの憲法を「護りたい」=アメリカの言いなりになっていればok という、自己矛盾をもはらんでいることに気付いていないことは、如何にサヨクと呼ばれる人たちが、自分たちでものごとを深く考えていないか、という事の表れでもある。

 当方も戦争そのものは反対である。しかし、「反対」を唱えていれば勝手に平和が転がり込んでくる、とまでは考えていない。実際に銃口を交えたものも含めて、心理戦・情報戦など、9条の範疇を超える戦争はそこかしこで行われている。そして抜き差しならなくなったところで本当の戦が始まる。それに備える憲法改正は、はっきり言って喫緊の問題であるように思う。
 よく改憲派の人の中には「大日本帝国憲法に戻すべき」という意見も散見される。勿論当時は天皇制が完全に機能していた時期でもあり、ここまで針を巻き戻すべきかどうかは一考の余地があろう。ただ、いえることは、もうすでに「平和」な時代、あるいは「平和を偽装された」時代は終わっている、という事がここ数年来の隣国の動きで明らかになったということである。
 戦争をするために改憲するのではなく、戦争をさせないための抑止力としての憲法改正を画策する。国の浮沈にかかわる事柄だけに、何とか今年あたりに道筋を立ててもらいたいものである。


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