第6回 「歴史認識」しか言わない某国
今大河で「八重の桜」を放送中である。開国に向かう江戸末期の日本と会津藩の動向が事細かに描写されており、わたしとしても「知らなかった」部分が多い。「史実」というのは歴史のいわば裏打ちであり、これがあるのとないのとでは、信憑性がまるで違う。
そもそも歴史は、「疑いようのない真実」が元になって構成されていなくては、歴史とはいえない。いい例が公文書。諸外国間で交わされた外交文書や条約といったものは、歴史を語る上でも見逃せない。
又、敵国同士として戦った日米間で、今、双方が開戦に至った経緯やお互いの不備な点(特に原爆を2発もお見舞いしたことなど)に対していろいろ言う層ははっきり言っていない。
こういう具合に、外国が絡む場合の当事者間の認識の違いというものは、普通どこかで明らかにされ、又それはお互いに修正がきき、当事者間ですり合わせが行われて統一に近い見解がもたらされ、「歴史」として認定されるものである。つまり、どちらか一方の主張だけでは本当の歴史認識にはなりえないし、それが、時代とともに変遷してしまうのも歴史という事実を扱う場合においては、非常に信憑性に欠けるということになるのである。
先ごろ、代替わりした某国の大統領。初の女性ということなのだが、その出自は由緒正しいものだ。なにしろ、親も大統領だったからである。その就任式典に出た麻生副総理を前に、この女性がなんと言ったかというと、こうである。
「真の友好関係構築のためには歴史を直視し過去の傷が癒やされるよう努力し、被害者の苦痛に心からの理解がなければならない」
(引用は産経ニュースより。)
被害者は自分の国からしか出ていない、という認識のようだが、竹島強奪の際には、数千人単位の日本の漁民を拿捕し、死傷者も出している。又先ごろ返還してもらった儀軌のことに触れるでもなく(まあ全文が文章にならないですから、言っているかもしれませんが)、その一方で奪った日本の仏像についても知らん顔どころか、返還するなという裁判所の仰せ。日本起源のものは「本来自国が発祥だ」と言わないと気が済まず、実際某国発祥のものなんて、本当に数えるほどしかない。
実際、もし、某国が歴史を直視したのならば、彼らの言い分や歴史の教科書に載っていることが、客観的事実に基づかず、妄想/捏造/空想に根ざすものであることが白日の元にさらされてしまう。どうやら新大統領は、それでも良いらしい。
「歴史が捏造」など、ありえない話ではあるが、そんな国が「歴史は史実に基づくもの、とする国」との認識がすりあうことは決してない。まして、自国に都合のいいことばかりが並んでいる上に「反日」が国是の国と、認識の点で一致を見ることなど絶望的にならざるを得ない。
二言目には「歴史認識」。結局、若い世代に云々、といったところで、昔に日本がやった悪逆非道の限りを糾弾し、謝罪を引き出し、賠償をせびることしか頭にない。トップがこれだから、当然下々はこの考え方以下。
日本にばかり言わずに、自らのでたらめな歴史こそ、検証してもらうべきではないだろうか・・・。
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