第21回  「閉架」は正しい判断か?(2)
 
 「やはり!!」というか、当然というか・・・
 「はだしのゲン」の閉架問題は、一松江市の教育委員会の決定という枠内を飛び出し、全国的な広がりを見せている。

 その中の多くは「どうして今まで見られていたものがみられなくなったのか」という疑問と、「こういう風にしろという請願がだされたことに対応した」教育委員会がいわばクレームに屈した、ということから言論統制ではないか、という意見などである。
 しかしながら、内容が過激というだけで今回閉架の措置がとられたとは到底考えにくいのである。勿論、外圧に屈したとする報道にも恣意的なものを見てしまう。

 そもそも閉架にして、だれも得をしないのである。正確には「洗脳されたり、トラウマになる子供たちを減らす」効果程度しかなく、漫画であり、フィクションなのでこの措置を取ると、今までこの漫画に慣れ親しんできた層や、これから出される一種過激な漫画にもそういう措置が取られるのでは、と変に危惧する一部の「表現の自由マンセー」的な人たちの嫌悪感をあおるくらいしかできない。
 それでもこういう決定をしたのは、確実に内容に問題があるからである。過激表現で、とは表向き。今まで何の手当ても注意喚起もしてこなかった中でこの動きなので、内容に踏み込んだ閉架であることはほぼ間違いない(ただ、教育委員会サイドとしては、そういってしまうと、身も蓋もないので、描写という直接的なところが決め手となったという風にしている)。

 その証拠に、閉架になっているのは、後半の6〜10巻とされている。反天皇性や日本軍の行った残虐行為に対する記述(実は、この残虐行為は、敵軍である中国兵によるものを見事に摩り替えている/通州事件など、日本人がその本質を知れば確実にナショナリズムが勃興してくるようなそこまでのひどいことをやっている)は、史実や現在の日本からはかけ離れている。こういった、捏造史観や反日性が問題視されているからこそ、史実をまだ忠実に追っている(政治的メッセージ性が少ない)前半に閉架の措置が取られていないと判断できるのである。
 ここまで書いてもまだ「表現の自由云々」という方もいる。作者のイデオロギー全開の、この漫画をそもそも問題視してこなかったのは、左翼的思想にのっとられた日教組だったからである。まんがそのものを教材、バイブルのごとく奉ってきた彼らにとって、後半の描写は、まさに自虐史観を青少年に植え付けるのにもってこいである。

 今回の閉架騒動。NHKなどでも取り上げられたが、作品そのものが否定された/手続きに問題が、などと早速問題の本質を見ないまま報道を始めている。実際にどこが過激で具合の悪い部分はここだということを見せられない=報道機関もこれが描写・表現の問題でなく政治的な問題だから見せられないと認識している証左と見て取れる。ますます閉架の措置は、正当性を帯びてくるようにすら感じている。


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