第4回  採点競技は公正といえるか?
 
 4年に一度の冬の祭典・・・冬季オリンピックが、ロシアのソチで開かれていたわけだが、日本時間の2月24日、閉会式を迎えた。
 そして、今回もまたぞろ、採点に関わる醜聞が聞かれそうなところにまで問題は発展しそうである。

 今回は、日本人がメダル圏にない女子フィギュアでその疑いが濃厚になりつつある。難易度の低いジャンプに加点が大きめにとられ、難易度が高くてもできばえなどで大きく加点されないという一種「低きに流れる」といえる構成にしたほうが得点が高いということが発生、特に渾身の演技とされ、会場はもとより世界各国に感動の渦を巻き起こした浅田真央のフリーの演技ですら「3位」レベルでしかないという状態である。

 →この方の情報収集力にはかないません。coffee氏のブログで、その実態が良く分かります
 もし仮にSPの失敗なかりせば、確実に浅田選手のメダル争いは確実視されていただろうし、もちろんそれは結果論でしかない。一発勝負であるがゆえに、その部分で考えると持っていないのは浅田選手ならではとも言える。
 しかし、きれいではないスケーティングが「出来映えヨシ」と判定されるとするならば、それは審判員そのものの資質に問題があるのか、あるいは、資質はあっても見る目を曇らせる何かが働いているとしか考えようがない。

 ここで確証のない「八百長」を声高に言うつもりは毛頭ない。しかし、一般の観客が見ても「これは盛りすぎ」といえるような採点になってしまうのであれば、採点と言う行為自体が形骸化していることと同じであり機械的に判断する何かが必要になってくると思われる。
 もしそれができないのであれば、技そのものを完全ポイント制にし、それに観客のインプレッション度を加味して評価を定めるというやり方も悪くないと思う。「魅せる」スポーツであるはずなのに、審判だけに判断をゆだねるからいろいろ弊害が出てくるのである。

 それにしてもかの国の火病振りにはあきれさせられる。→「採点やり直し」をよくもまあ申請できるものだと思う。 確かに自国のアイドルではあるだろうが、メダルの色が違うくらいでがたがた言い募るさまは、みっともない。仮に本当にやり直しと言うことになったときにメダルの色が変わるどころかメダルがなくなる可能性すら考えないところがかの国クオリティとも言える。

 とやかく言われているフィギュアをはじめとする、審判による採点問題。こういう、あいまいな基準でメダルが決まってしまうことに疑念を抱かずにはいられない。

  
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