2006.3.6
アダムスキーの書籍と出会ってしばらくは、当然ながら、UFOそのものにも大変な興味が湧き、出来れば目撃したいと誰しも思う。それは自然のことです。しかし、10年経っても、20年経っても、UFO目撃を重要事のように取り入れている方がいる。不思議に思う。
一つの譬えを書くと分かります。私たちの地球でも、科学者が何処かの島が地殻変動等でこの先危ないことが起こると分かったら、その島に行き、その島の住民にそのことを伝えるでしょう。その島の住民は未開の生活をしていて、私たちから見たら原始的な生活をしていたとします。
危険を知らせるためにヘリコプターで現地に降りた科学者は、何とかして原住民に危険を知らせようとします。しかし、そこの原住民は、見たこともない空から舞い降りてきたヘリコプターに仰天して、恐れおののくか、熱狂的な興味を持つかします。そして、ヘリコプターの乗員の話はうわのそらです。
科学者たちは、しばらくは、何とか原住民にここに来た目的を知らせようとします。その目的とは、今後起こるであろう変動とか、争いばかりしている原住民に、もっと崇高で本来あるべき生き方を伝えようとします。しかし、ほとんどの原住民は、そのメッセージの方は、聞き入れないか、理解せずに忘れ去ります。しかし、ヘリコプターにはとても興味を持っています。
科学者達は、メッセージを理解できない原住民たちを、強制的に安全な場所へ移動させることは出来ません。その選択は原住民の自由意志に委ねなければ、それは強引な押しつけになるからです。科学者達は伝えるべき事柄はすべて述べました。そしてそこを去りますが、その島の成り行きを見るために、定期的にその島を調査するために、上空を飛行します。
科学者達からメッセージを告げられた、原住民達の中でも小数の人達はそのメッセージに耳を傾けました。でも、その少数者の中でもだんだんにメッセージを自分たちの都合の良いように解釈し始めました。そういう人達でも、ヘリコプターへの憧れは根強く残り、またいつか現れるのではないか、祈れば現れるんではないか、現れれば何か良いことが起こるのではないか、偶然目撃すれば、自分は特別な人間だと思うようになりました。
ヘリコプターの乗組員は、定期的な調査に現れているだけなのに、理解のないうぬぼれ原住民は自分は特別だと思いました。ヘリコプターの乗組員や科学者達は言うべき事は言った、選択はまかせたのだから、もうメッセージはありません(※注1、注2)。
しかし原住民は、いつまで経っても、ヘリコプターそのものを信じなかったり、信じている人達も、ヘリコプターの現れるのを待つばかりでした。そして、時折空中をよぎる、判別できないものをすべてヘリコプターにしてしまう有様でした(※注3)。
さて、この原住民達はなんと愚かな事をしているのでしょう。これが私たちのしていることです。それでいながら自分なりに解釈した自説を述べ回っているのです。そして、取り巻きをなるべく集めようとする者は、集まってくる取り巻きに「心地よい言葉」しか言いません。そうしないと、取り巻きはすぐに離れていってしまうのではないかと心配だからです。そのことを聖書では次のように言っています。
「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳障りの良い話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師達を寄せ集め、そして真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう」テモテへの第2の手紙、第四章3-4
アダムスキーのメッセージは、私たちの生き方を変えるための事柄が第一の目的です。UFOを見ることが目的ではありません。何かのスローガンを繰り返し述べることでもありません。その事柄は、私たち自身のエゴとの戦いでもあるわけで、けっして心地よい内容ではありません。そのために耐えられなくなり、作り話の方へそれていくのは、聖書時代から人間が進歩していない証でもあります。心地よい話しかしない教師達は、アダムスキーの書物からの引用をしなくなります。引用していれば、自分たちの居場所がなくなるからです。私たちがアダムスキーから学ぶには、アダムスキーの教えから学ぶのがもっとも良いことです。混乱した教師達からではありません。
以上がUFO目撃に固執する人達が陥っている事柄です。
(※注1) アダムスキー全集 第12巻:宇宙の法則、第7章P120〜121
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そのことをアダムスキーは次のように述べています。
「しかし、それら(UFO)を見るだけでは意味はありません。それはちょうど学校へ行きながら、教師が話す事柄について何もしないのと同じです。一度宇宙船を見る。また何度も見る。しかし何度見ても同じことです。二度も三度も見たという以外は、何も学んだことにはなりません。
しかし見たということは、宇宙船が我々に「メッセージ」をもたらしたのです。そこでひとたび我々が自分のためにそのメッセージを応用するならば、それが援助を受けることになるのです。誰でも他人が食事をするためのテーブルをセットすることはできます。しかし、客人がそれによって楽しもうとするのならば「食べる」必要があります。これが重要なのです!」
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(※注2) アダムスキー全集 第11巻:大宇宙と一体化する方法 P12
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「彼らの宇宙船を見ることも悪くはない。でもそれは、そのときだけだ。しかし、人類の進渉のための彼らのメッセージは、もし私たちがそれに注意を払い続けるならば、永遠に価値あるものとして残ることになる」
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(※注3) アダムスキー全集 第4巻 UFO問答100 P106〜107
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「問65:
空を観測しているとき、私はときどき光って通過する物を見ますが、あまりに速く動くので大きさや形がよくわかりません。これは空飛ぶ円盤なのですか。
答:
夜間こうした光体が見られるときはUFOか流星のいずれかでしょう。しかし疑問が残るならばそれを無視することをおすすめします。
私がUFOであると確実に言いたい唯一の目撃は、明らかに飛行機でもなく自然現象でもない物体です。たとえばもし夜間、空中に一個の光体が停止して、それから音もなく動き去るなら、本人はUFOを見ていたと確信してよいでしよう。その光体が強弱を繰り返し、光を変化させる場合は特にそうです。地球の(普通の型の)飛行機は空中に停止″できませんし、
夜間人間の目に見える自然現象は、大気圏内を急速に動くことによって燃えている流星によって起こることをだれも知つています。
昼間なら目撃した物体が細部まで明瞭に見られるほどに接近するか、または異常な飛び方をするか、あるいは地球の飛行機のまねのできないスピードで飛んだりしない限り、私ならUFOを見たとは言いません。
もしだれかが一回だけ本当の目撃をしたのに、夜空に動くのを見た光体のすべてや、日中に見た閃光のすべてをUFOだと不注意に公言するならば、本人の報告は信用されないでしょう。」
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このことは、写真にも言えることで、写真上の点粒のようなものや光体をすべてUFOとしてしまう人々も、結局は信用を無くてしまうのです。