思いやり喪失


人には優しい心がある。人を思いやる気持ちがある。でも、それが無くなってしまう時がある。別に凶悪犯とかいった部類の人達じゃなくても、普通に社会生活を営んでいるボクタチにもしばしば起こっていることだ。
もちろん他人の気持ちを完全に理解することなど、誰にも不可能なことだけれど、他人の気持ちを汲んで思いやることは出来るのに、やらない人達もいる。でも、そんな話は置いておく。
普通に優しくて、信頼してくれる友達もいる、普通のボクタチの話だ。冷静な時、自分が見えている時は、他人への思いやりを無くしたりはしない。でも、冷静じゃなく、自分が見えなくなっている時にそれは起こる。そして、厄介なことに、そうなっている時のボクタチは自分は誰よりも冷静だと思っているし、自分が見えていると思っているということだ。
これがひどいと、友達は消えていくだろう、本当にそのボクタチを信じてくれている人だけは残ってくれるかもしれない、ボクタチがそれまで生きてきた行いしだいではね。
ボクタチがこうなった時は、いつかそれに気付く日が来るだろう。でも、気付くのが遅かった、早かったということで、失ってはならないものを失うこともあるのだ。皮肉なことに、どこから自分を見失い出しているのかと言うのは、その時は境界線が見えないのに、後になって気付くとそれが見えるということが起こる。
一生懸命生きている人間なら、この事を寂しいことだと理解できるだろうけど、一生懸命生きている人間だからこそ、こういう状態に陥って苦しむことが、人生の中で必ず幾度かあるのだ。
大切なのは、気付いた時に柔軟に軌道修正できるかということ。後悔を恐れずに。
もちろん、常日頃からこういう事態に陥らない自分作りは心がけていなきゃならないんだけどね。