ありがとう
19歳の年、僕は1年間の浪人生活を送っていた。高校時代の友人はみんな進学して、一人だけ同じ予備校へ入った友達も理系のクラスだったので殆ど会うこともなく、一人きりの浪人生活だった。高校では理系だった僕は芸術系の大学に入るために私立文系に絞って講義をとっていたために、毎日午前中で授業が終わってしまうのだ。そのおかげで自分のことについて考え始める良い時間ができた。浪人から大学時代、本当に自分について考えた時代だった。そしてそれはこれからも続いていくのだろうけど…
考えたいろいろなことのほんの一つだが、「ありがとう」という言葉があった。それまでの僕は事あるごとに「すいません」や「ごめん」を連発していた。悪いことばかりしてたから謝ってばかりいたと言う意味じゃないよ。人が気をきかせてくれたりすると、感謝の意味で「すいません」とか「ごめん」とかって言ってしまっていた。
でも、一度僕がしたことに「ありがとう」って爽やかに言ってくれた人がいた。誰だったか忘れたけど、それが凄くショックだった。僕はいつもみんなに感謝してるけど伝わっているのかずっと疑問に思っていた。その違和感みたいなものの正体がわかった瞬間だった。
そう、「すいません」とか「ごめん」とか「どうも」とかなんだかネガティブなイメージの言葉より、ストレートな「ありがとう」の方がどれだけ爽やかなことか、って気付かされた。それからは意識して「ありがとう」と言葉にするようになったんだ。
昨日、一昨日と2日連続で「バトルロワイヤル」という邦画のビデオを見た。社会的に問題なってしまった作品だ。中学三年生の1クラスが、全員で殺し合いを強制させられるという設定が過激だったからだろうけど。実際に見てみると、何も非道徳的な作品ではなく、久しぶりに出てきたまともで誠実な日本映画だった。
この映画のキーワードに「ありがとう」という言葉が出てくる。挨拶のアリガトウではない、命をかけて信じた者、命をかけて愛した者への本当の「ありがとう」だった。人を愛すること、信じることから生まれる本当の「ありがとう」を僕の人生の中でどれだけ生み出せるのか、人の人生の価値がそこにあるといっても良いのだと思う。
P.S.一番大切な人へ心から伝えたい。
僕を見つけてくれて、ありがとう。
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