コミック文化其の弐


昨日は日本の漫画の中には、文学史にタイトルを連ねるべき作品も多い。ということを書いた。
ちょっと考えた後で、文学史だけじゃ足りないなと思い改めた。例え世界の文学史でもね。

僕が好きなアメリカンコミックに「スポーン」と言うのがある。トッド・マクファーレンの描く「スポーン」の世界はグロテスクでもあり美しくもある、彼のセンスと技術が生み出した芸術的な世界だ。
アメリカでは彼らのことを、漫画家とは言わず、コミックアーティストと呼ぶらしい。そう、アーティストとと呼ばれるべき才能と技術の持ち主だからだ。
ところで日本の方はどうかと考えてみる。昨日の文章に書いた文学史に残る人達の漫画は、本当に文学的なんだ。内容がね。アーティストで終わらせるにはもったいないくらいの作家性を持っている。でも、アーティストと呼べるべきものがないのかというと、そんな事はない。芸術性と作家性、この両方を世界一の水準で兼ね沿えているのが日本の漫画なんだ。もちろんどうでもいいものもいっぱいあるけどね。だから、日本の漫画は世界文学史じゃ収まらず、世界絵画史や美術史にも名前を連ねていって良い作品なんだよ。
映画が総合芸術だとかってもてはやされて、どうして漫画が軽蔑されないといけない?
音がないだけじゃないの、絵という立派な芸術を使って物語を織り成していく素晴らしい総合芸術だよ漫画って。日本に最初にコミックを持ちこんだのが誰か知らないけど、手塚治虫がそれを芸術的文学的な水準まで高めていったのは間違いない。
物体として見た時に、紙に印刷されていて、ページをめくると言う「本」の形になっているから活字の本と比べちゃってるんじゃないの?頭硬いとはそういう事だよ。本と映画を比べているのと一緒だと気付いて欲しいね。活字の本と映画が違うのと同様に漫画も違う、けなす前に読んで泣いてみろ。素晴らしい漫画を読んで泣ける感性を持てない人間に未来(あす)を生きる資格はねぇ!(爆笑)。そこからインテリジェンスにつなげられない様じゃ時代なんて見えてないよ。もう、コンピュータグラフィックスで漫画が書かれる時代だよ。コミックが低脳か文化かなんて書いてる自分が時代遅れで恥ずかしく感じるよ。議論は次の次のステップくらいに行ってないといけないんじゃないの?
漫画は日本が世界に誇る素晴らしい文化だ。
最近は僕も活字ばかりで漫画離れしていたから、久しぶりに「銀河鉄道999」でも読んでみよう。