8月9日早朝、泊まっていた宿から少し歩き、防波堤に腰をおろして外海の方を眺める。この三根湾も深く切り込んだ入り江で、水面は静かに朝の空を写し、このまま朝鮮海峡につながっているとはイメージしにくい。まさに倭寇の隠れ家にふさわしい。
 
この日は、この三根湾の入り江のさらに北に大きく切れ込んだ仁田湾に面する、志多留という集落を訪ねた。下調べをしている段階で、数少ない資料から、おもしろそうなにおいがしていたところである。バスの便は悪く、観光資源も、ちょっとした店さえない小さな集落だが、行ってみると案の定、異郷に来ている感覚が強く感動に近いものを覚えた。

それは、陸路の行き止まりの辺境でありながら、各住宅の構えがやけに強く、城下町の武家屋敷のような『威』といった感覚を漂わせている事からくるものに違いなかった。集落の中心に倉庫が集中してあるのは、先の椎根と同様なのだが、ほとんどの家が高い石塀とりっぱな門構えを持っている。地図で見ているだけでは、ただの半農半漁の集落にしか見えない村なのに、この雰囲気のルーツには倭寇という史実とつながる何ものかがあるのではないだろうか。

上の写真の家では、おじいさんがひとり門のところにすわっておられた。話を聞くと控えめで物静かな声で答えてくれた。タクシーの運転手さんによると、この集落からは学校の校長先生クラスの教育者が多く出ているとのこと。彼も昔の校長先生に違いないと思った。
この家は、川と橋の辻に位置し、石組みの構えが見事。
下の写真の家は、門前が川になっている。舟でのアプローチということだろうか?

下の写真は、集落の中央広場に並んだ倉庫群。村の人たちが一休みしていたので声をかけてた。なまりのほとんどない、きれいな日本語が返ってきた。

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