五線譜2

     ギターの歴史

ギターの先祖は弓

  ギターを含む弦楽器の先祖は弓に行きつくと言われます。この弓を共鳴させるために、木のみをつけたり弦を多く張って、弦どうしを共鳴させたり、といったことがなされてきたことが想像されます。
古代の壁画や
彫刻等の資料から、BC.3700年以前からギターに似た楽器はできていたと言われています。これら二通りの共鳴法を使った楽器が、東南アジア・アフリカ・インド等の民族楽器の歴史中に多く見ることができます。木のみ等の共鳴箱をつけた楽器の例として、タイのピンナムタオや、セレベスの棒琴、フィリピンのグリンバオ、さらにはシタールやリュートなどが挙げられます。弦どうしを共鳴させた楽器の例としては、キタラ、ロッタ、クロッタ、さらにハープやリラが挙げられます。
ギターはこれら二つの共鳴法の両方の特製を合わせた楽器の一つとしてできたと言えます。
それらの楽器は生活や宗教に関わりながら、BC.3000年頃には
今日のギターに近い形の「くし状ネックリュート」もできてきたそうです。ちなみに、Guitarのtarは、サンスクリットから出た語で「弦」を意味するそうです。
言葉としては、古代ギリシャのリラ属楽器に属するキタラという楽器群は、語源的な従属関係があったようです。一方、ギリシャ時代には、
・共鳴胴が板で組みたてられるようになった
・接着されたブリッジを持つようになった
 こうした二つの特徴を持つ楽器が作られ始めたとのことです。この二つは、その後の弦楽器の発展に大きな意味を持ちました。胴を様様な木片で作るようになったことによって、表面板に硬い材料が使えるようになり、そのことがようやくブリッジの接着を可能にしたといいます。(プラクシテレス作浅彫りのレリーフ:BC.330〜320頃に見られる)
そして、その後、1000年程、中世まで、ギターそのものの発展としては、「新しい発見はない」とのことです。

ヨーロッパへリュートが伝わる〜ギターの誕生

 711年、ムーア人のイベリア半島占領によってスペイン経由でヨーロッパに「ギターの直接の祖先と言えるリュート」が伝わり、15世紀になるとパバーン、ガリアルド等の舞曲やファンタジアに使われるようになり、15〜6世紀で最もポピュラーな楽器となったのです。
 スペインに伝わったリュートは、イタリア等他のヨーロッパの国々におけるそれのように、楽器として重要な役割を演じられず、ビウェラ(ビゥエラ・デ・マノ:手で弾くビウェラ、イタリアのヴィオラとは違う)へと変化していきましたが、リュートのボディが西洋なしを半分に切ったように丸みを帯びた形をしているのに対して、このビウェラはフラットで今のギターのようです。中世におけるビウェラは、正確には、この弦楽器のさまざまな形態全般を示す属名で、1328年の「アルフォンソXI世の詩」の中では、「アラビア人のビウェラ」と「ローマ人のビウェラ」「アラビアのギターラ」といった表現が使われ、区別がされていたようです。そして、それらの中の、ある種のギター属とヴィエラがヨーロッパで発展し、これがリズム主体のスペイン舞踊に改良されてギターへと変化していったとのことです。
 参考までに、最も早く「ギター」に言及した文献は13世紀の「薔薇物語」で「ギターレ」という楽器が登場します。また同じ13世紀の「アレイクサンドレの書」には「ギターレ」と「ビオラ」が「静かな楽器」として説明されています。14世紀の「善き恋の書」には「ビウェラ・デ・ペニョラ(指弾きビウェラ)」「ビウェラ・デ・アルコ(弓弾きビウェラ)」「ギターラディーナ(ローマ人のギターラ)」「ギターラモリスカ(ムーア人のギターラ)」といった区別がされています。指弾きビゥエラと弓弾きビゥエラの違いは、中世において明確ではなく、同じ楽器が使われていたと考えられる時代、或いは演奏により使い分けられたビウェラがあったようです。一つの仮説として、ギターのくびれは、弓奏のためにできたと考えられているのはそのためです。(少なくとも、当時のギターの小ささから、現代のように抱えるためにくびれが使われることはありませんでした。)
 14〜15世紀には、文献上、「ギターラ」等の名称は多く存在しますが、それらが具体的にどのような楽器を示すかには混乱もあり、はっきりとギターの名前と形が結びついたのを確認できるのは16世紀になってからだといいます。「16世紀には印刷技術が発展したので、当時の楽器と名称が一致した」と言われます。例えば「エル・マエストロ」などのビウェエラデ・マノ譜本の木版の図の中には、ビウェラデ・マノ(ギターラとともにギター属楽器として挙げられている)の絵が載っているので、「楽器の名前」と「形状」が必然的に一致するようになったのです。16世紀以前のギター属楽器の現物資料は少なく、主な資料は、書物と絵画資料となりますが、なかなか文章と絵や現物が結びつかない難しさがあるようです。
 また、ギターラは「アルフォンソXI世の詩」の中で「ギターラ・セラニスタ(民衆のギター)」と呼ばれるように「庶民の楽器」でした。一方で、ギター属に属する「ビウェラ・デ・マノ」等は、ギターラより一回り大きく、音域も広かったと予想されており、装飾も多く貴族や金持ちの楽器だったようです。サウンドホールもすかし彫りや多重層ロゼッタのあるものでした。ヘッド部も一方は単純なソリッド、一方の多くはヴァイオリンの「糸蔵」のような現代のスロッテッドヘッドの原型・もしくは装飾のあるソリッドだったようです。ギターラは「低い」文化層の楽器で、ビウェラは「高い」文化層の楽器であると言う「二重の人生」を過ごしてきました。そして現代の我々に触れることのできる情報は、主に当時のコレクター達に珍重されたビウェラ的なギター属に限られてくる為に、一般の「ギターラ」についてはわからないことも多いと言います。

ルネッサンスギターからバロックギターへ

 16世紀〜18世紀のギター(ギターラ)は、ほとんどが複弦(ダブルストリング)で、弦の数も4対から次第に5対へと変化していきました。4コースギターには「ルネッサンスギター」、5コースギターには「バロックギター」と名前がつけられています。
 1700年代の後半、6弦で丸いサウンドホールのものが作られました。これは、「巻き弦の発明」が大きな意味をもっているそうです。弦の振動によってさらに低い音を得る為には波長が拡大されねばなりません。それは弦長を長くするか、太い弦を用いるか(太いガット弦の音は最悪だったそうです)、密度を高くして重くするかしかありません。限られた大きさの楽器には「巻き弦」という高密度の弦の製作技術が不可欠だったわけです。新しい弦素材は、響きの上でも倍音が豊かで、複弦である必要もなくなり、ギターは「6コース単音弦」へと発展していきました。

クラシックギターの完成・19世紀ギターからアントニオトーレスの現代ギターへ

その後の発展で、フランスのラコートやイギリスのパノルモのような中・小型のギター(「19世紀ギター」と呼ばれる)に落ち着きましたが(この間、フェルナンド・ソル、マウロ・ジュリアーニ、マテオ・カルカッシ等、偉大な演奏者が出現し、「アルペジオ」等様様なテクニックが紹介されました。クラシックギターの黄金期を迎えます。)、クラシックギターの完成は、19世紀後半になってアントニオ・デ・トーレス・フラドAntonio de Torres Jurado(1817〜1892)によってなされました。トーレスのギターは、コンサートホールでの演奏に耐えうる音量と表現力を持っていました。彼は、ギターの限られた音量の増大を図る為に、力木構造の工夫や、トルナボスの装着等、幾つもの新案を試行していました。フランシスコ・タルレガFranciscoEixeaTarrega(1852〜1909)が、このアントニオ・トーレスのギターを愛用して、ピアノや他の楽器の発展の為に人気のなくなっていたギターが再び脚光を浴び、アンドレス・セゴビア(1893〜1987)や、ナルシソ・イエペス(1927〜1997)らのクラシックの巨匠達によって、世界中に広まりました。

スチール弦アコースティックギターへの発展

アントニオ・トーレスがクラシックギターを製作していた同じ頃に、C.F.マーチン(→マーチンhp)もギター作りを始めています。ウィーンスタイルのギターを築いたシュタウファー(1778年〜1853年)に師事したマーチン(故郷のドイツでは「ギルド」の為、家具職人であったマーチンはケース作りのみで、実際の製作をできなかったという説もある。)は、アメリカに渡り、師と同じくブリッジピンを用いた小型ギターを多く作り、トーレスのクラシックギター完成とほぼ同時期、1850年に有名な力木構造であるXブレイシングを開発しています。(「他のクラシックギター製作家が既にXブレイシングを開発しており、マーチンはそれを参考にした」という説もあるようです。)これらの構造は、鉄弦ギターの強度を得るのにとても都合のよいものでした。しかし、実際に鉄弦ギターをマーチン社が製作しはじめたのは、1922年と言われ、C.F.マーチンは「鉄弦の先駆者」にはなりませんでした。アメリカでの1915年の万国博覧会を契機としたハワイアンギターの流行や1918年以降の鉄弦バンジョーを使ったブルース等の音楽の発展といった時代の要請に合わせて鉄弦化していったと言えます。
ヨーロッパでガットのギターが発展し、アメリカで鉄弦のギターが発展したことは、偶然と言うよりは、生活上でアメリカでは鉄線がなくてはならないものであったことと深い関係があったと言われています。1800年代のアメリカ黒人奴隷達が、タバコ箱に棒をつけて、ワイヤーを張ってリズムをとった、所謂「タバコ箱ギター」が鉄弦ギターの一つの原型であるとも考えられます。
製作家の手による初めての鉄弦ギターの製作は1800年代末で、ラーソンブラザーズ(1880sスウェーデンから移民)が、大音量化を目指して、マンドリンのスティール弦に注目してギター製作をしたのが始まりと言われています。(1900年前後は、マンドリンオーケストラブームであったとのことです。)ラーソンブラザーズのギターボディには、太い鉄棒が組みこまれるものなどもあります。それらは幾つも現存しており、優れた耐久性を持っていたと言えます。鉄弦ギターの構造において彼等は多くのパテントを得ています。
また、ヴァイオリンの製作から1896年に工房を開いたオーヴィル・H・ギブソン(→ギブソンhp)は、ヴァイオリン属製作に使われる削り出しの手法で、やはり1800年代末にアーチトップギターの製作を始めています。

最初のエレクトリックの製作

最初のエレクトリック楽器は、1924年にギブソン社を去ったロイド・ロアーにより「ViVi−Tone社」から「エレクトリックダブルベース」が世に送り出されました。また、1931年に最初のエレクトリックギターと言える「フライングパン」がリッケンバッカー社(→リッケンバッカーhpヒストリー参照)によって作られました。しかし、それらは時期尚早の感はまぬがれず、一般に広まるのは1930sのギブソンスーパー400やLシリーズにピックアップが搭載されるのを待つことになります。また、ハワイアンのスチールギターとしても広まっていくことになります。弱音楽器であったギターは、その後のエレクトリックの発展の中で、バンド演奏等で大きな位置を占めることになります。

鉄弦アコースティックギターにおけるXブレイシングを用いたギターは、その後、クラシックにおけるトーレスのギターのように、トラディショナル(伝統的)な音として支持されて行きます。特に1930sにディットソン社が提案しマーチン社の開発した14フレットジョイントのドレッドノートタイプのギターが登場して以来、その市場はそれらを使用した音楽とともに1970sまで拡大を続けました。
一方、それらに対して、1960s以降、新しいデザインの力木構造を探る動きがアメリカを中心に起こりました。一つは革新的なオヴェーションギターの台頭であり、また一つは分子生物物理学者のマイケル・カーシャ博士のギターの力木構造についての研究でした。「職人の技」であったギター製作に「科学」の視点が入り、特に鉄弦ギターにおいて、各メーカーや個人製作家のノウハウと、ギターの構造理論は切り離せないものになりつつあります。1980sに一時、エレクトリックに駆逐された感のあったスチール弦アコースティックですが、現在は、様様なメーカーや個人製作家によって、色々な工夫を凝らしたギター製作が行われています。

参考文献 「フォークギターのすべて」風濤社
       「図説 ギターの歴史」現代ギター社
       「THE GUITAR BOOK復刻板」リットーミュージック
       「Manual of Guitar Technology」The Bold Strummer Ltd
       「MAKING MASTER GUITARS」Roy Courtnall 現代ギター社
       「楽器の絵本 ギター」ベルトルト・クロス カワイ出版
       「楽器」ダイヤグラムグループ編 マール社
       「guitarmaking」William R.Cumpiano & Jonathan D.Natelson
       「ラミレスが語るギターの世界」J・ラミレスV世
       「アントニオ・デ・トーレス」ホセ・ロマニリョス
       「LA GUITARE パリ1650−1950」ES
       「ギターの名器と名曲」濱田滋郎・村治佳織 ナツメ社
       「ギターおもしろ雑学事典」湯浅ジョウイチ ヤマハミュージックメディア

※ギターの歴史は色々な説や認識があり、参考にする文献により、大きく内容が異なる場合も多いです。
 ここで取り上げたものは、上記の文献の資料を参考に、aya−yuの判断により各説を取捨選択されたものであることを付記しておきます。尚、このページにリンクしているCRANEホームページの19世紀ギターについての記述等も読まれると、参考になるかと考えます。
                                                           
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