10円コンサートの柳田ヒロ。当時彼の素顔を知るものはいなかった。('69年10月)

 

1993年1月、成毛は六本木で柳田ヒロとバッタリ出会った。
二十数年振りの再会でひとしきり昔話で盛り上がり、そのうち「又一緒に何かやろう !」という話しになった。そして何度か会って、「バンドを組んでライブをやり、オリジナルを作ってアルバムを出そう」という事になり、成毛は曲作りを始め、柳田ヒロはメンバー集めに奔走した。
しかしいざドラムとベースのオーディションをやると、成毛がやりたいと言う曲を聴いただけでみんな「僕にはできません」と言って帰ってしまい、どうしてもドラムとベースが見つからず、「こりゃダメだ !」という事で結局この話しは実現せずに終わってしまった。

その後成毛は、下関の天才ギタリスト 田川ヒロアキと電話をしている時にこの話しをすると、「BOSSのDR-5を使えばMIDIだけで充分バンドがやれますよ」‥と言われ、「じゃもう人間はあきらめて、MIDIを使って一人でやってみよう」‥と考えた。
元々成毛は曲作りにローランドのR-70でドラムを打ち込んで使っていたので、早速DR-5を買ってきて田川にニュアンスの付け方を教わり、ベースとキーボードを打ち込んだ。
そしてR-70とシンクしてみると普通のシークエンサーのように打ち込みっぽくならず、「トチらない、テンポが狂わない、アレンジに文句を言わない」‥という所は人間よりもはるかに素晴らしかった。

それまで成毛は、バンドでやると必ず他のメンバーが「そんな曲イヤだ!」「そんなアレンジイヤだ!」と言い張って自分のやりたい曲をやれない事が多かったのだが、MIDIはそういう事を言わないので、これなら自分のやりたい事ができると思った。


ザ・ライブステーション

そこで成毛はデモテープを持ってライブハウスに出演させてくれるように頼みに行ったのだが、リズム隊が打ち込みだと聞くとどこも相手にしてくれず、「メンバーが見付かったら又来て下さい」‥と追い返されてしまった。
メンバーが見付からないからMIDIを使ったわけで、ジプシーアイズ以来出演を断られるのには慣れている成毛はめげずにライブハウスをまわり、やっと目黒のライブステーションが前座の頭に出演させてくれる事になった。

 

 

 

 


ドニー・イップ(左)と成毛(右) ('95年6月)

又成毛は多少広東語がしゃべれる事から香港のヴォーカリスト ドニー・葉(イップ)と親しくなり、'95年4月9日からMIDIを使って二人でライブステーションに出演した。
客席はドニーのファンの中国人で埋まり、広東語が飛び交い、ライブステーションはさながら香港のライブハウスのようになった。

しかしドニーはその後香港へ帰る事になり、'95年9月19日から成毛はMIDIをバックに一人でライブステーションのステージに立った。

 

 

 

 

 

(12.9MB QuickTime Movie 3:33)

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10円コンサートの頃から柳田ヒロとよく一緒に演奏したもので、本来2コーラス目は柳田ヒロのオルガンソロなのだが、この時は成毛がマイク・ブルームフィールドを気取って一人でソロを取っている。

 

(1.6MB QuickTime Movie 0:28)

 

 

(15.6MB QuickTime Movie 3:49)

 


佐藤央爾('98年4月)

1997年に成毛は、G.I.T.を卒業して日本に帰って来た佐藤央爾と知り合った。
佐藤央爾はギターもヴォーカルもできる上、自分でもRolandのR-8とDR-5を使っていたので、「じゃ今度一緒にやろう」という事になり、'98年4月27日、二人でMIDIを使ってライブステーションに出演した。

このライブは好評だったが、その後成毛は身体を壊して手が効かなくなり、これが成毛のギタリストとして最後のステージになった。この時も腱鞘炎の痛みをこらえ、歯を喰いしばっての演奏だった。