March.18,2000 あれ? ご近所さんが・・・

        書店のマンガ単行本の棚を見ていて、「おやっ?」と思う本を見つけた。森本サンゴ『おしどりちどり』(集英社)。パラパラとページをめくってみると、これはなんと、わが町人形町を舞台にしたマンガなのだ。さっそく買って帰り読んでみて、びっくりした。何と知っている人が出てくる。

        前に3人いる人物のうち、真中の人は甘酒横丁の果物屋[村田果物店]のご主人。左の女性はその奥さん。店の名前は[ヤオヒデ]と変えてあるが、これは明らかに[村田果物店]の夫婦だ。ふたりの似顔絵もそっくり。店の造りもおんなじ。このシーンの前に村田さんが蕎麦屋で蕎麦を食べるシーンがあるのだが、これは残念ながら[翁庵]ではない。これも[東志磨屋]と名前を変えてあるが、実在する[東嶋屋]である。しかしですね、村田の旦那、実はうちの大のお得意さん。昼すぎに毎日のように蕎麦を食べにきてくれる。

        これは唯事ではない。さっそく村田さんに聞いてみた。「ああ、それね。うちの隣で息子が[久助]って焼鳥屋やってるだろ。その息子の同級生だよ。俺に断りなくマンガに出しやがってさ。ほら、東京新聞の販売店があるだろ? 森本ってあそこの息子だよ」。[久助]も[九太郎]と名前を変えて、絵に登場している。東京新聞の販売店だって? うちは、開店以来、あそこからスポニチを取っているぞ! 「サンゴは確か今は溝口に引越したけど、町会の行事には顔出してるよ、まだ」

        これは、[おしどり]という居酒屋の夫婦を主人公にした、ほのぼの系のマンガである。上のカットの右に写っているのが、そこのおかみさん。後ろに写っているのが、レギュラーで、この夫婦にからむ下戸の大工の棟梁。村田さんによると、もう死んでしまったが、この棟梁も実在の人物だったそうだ。

        それだけではない。 実は[おしどり]の夫婦も実在のモデルがいるというのである。マンガの中での風景からすると、この場所はすでにマンションが建っているが、地上げされる前は、あの絵のまんまで、あそこにあったというのである。う〜ん記憶にない。現在は[玉英堂]という和菓子屋のビルの中に店があるという。「ええっ!? それじゃあ[しらかわ]のこと?」。私、一度この店、人に連れられて行ったことがあるのだ。上品な雰囲気の店で、肴も旨かった記憶がある。ビルの入口に小さく店名が書かれているだけで、ふいの客は、まず入って来ないだろう。マスコミに取り上げられたことも、まず、ないはずだ。あるんですよ、人形町にはマスコミが知らない名店が。私、ほかにも何軒か知ってる。言いませんけどね。マスコミに取り上げられると、混んじゃって私が行かれなくなる。

        もう人形町の風景が、そのまんまマンガになっている。上のカットは、13話目の舞台になる釜飯屋[釜秀]なんですがね、これも[はやし]という実在の店。この絵のまんまのたたずまいだ。[釜秀]の右隣、字が切れちゃったけど[くるな]という店は、[おいで]といって、[はやし]の隣に実在する中華料理屋。そのほか、3話目の舞台になる[地球湯]は[世界湯]がモデルで、絵のまんまに存在するし、うちのすぐ裏の[卓袱台]という居酒屋、[松浪]というお好み焼き屋も、そのままの絵で描かれている。甘酒横丁の荒物屋[戸田屋]の前には、実際のご主人が似顔絵のままで立っている。

        実在、実在と興奮してしまったが、内容もいい。特に2話目。[おしどり]の夫婦がテレビを見ている。『チョー頑固オヤジの店』というグルメ番組。頑固オヤジが客に怒っている。「コッチは料理に命をかけてんだ。料理は愛情! オレの魂なんだ! 客もそれを心して食えっ!」。それを見ていた、[おしどり]の夫婦、「ヤな店だね。ま、怒りたくなる客もタマにゃ居るけど、ウチは商売だからな」「自分の考えを押し付けて、お金取っちゃいけないよね」と話していると、今テレビに写っていた頑固オヤジが、ふらりと店に入ってくる。

        仏頂面で[おしどり]の料理を口にするオヤジ。そこへ、下戸の棟梁がやってきて、食事を注文する。「おめえの造ったエサはいつ食っても、うめぇや。なんか秘密の調味料でも入ってんのか?」「普通のはあらかた入ってるけど、入ってないのは愛情くらいかな」「愛情だぁ? そんな余計なもん入れるねぇ!! 気味が悪いや。だいたいなぁ、そんな事言い出すのは、腕に自信のねぇ奴よ。大工だってそうよ。たとえ釘一本打つのに命かけてたって、それを口にだしちゃっちゃあ、なんにもならねぇ。お足を頂いて仕事するんだ。魂込めんのは当たりめぇだぁな」。もう胸がスーッとした。私いつも思っていることを代弁してくれた思い。

        このマンガ、今年の初めに第1巻が出たばかり。まだ『ビジネス・ジャンプ』で連載が続いている。これは出るたびにチェックを入れねばなるまい。ひょっとして私の姿が出てくるやも知れない。怖い怖い。


March.10,2000 京極夏彦のご乱心?

        先月『筒井ワールド』を見て、家に帰ってきてから思ったのだけれど、『走る取的』って、リチャード・マシスン原作で、スティーヴン・スピルバーグのデビュー作『激突』と同じプロットなんだ。何の理由もなく、何物かに追っかけられるという不条理というプロットは、タンクローリーを取的(一番下級の力士)に代えただけのもの。取的というのがミソで、もっと上の位の力士だと、ちょっと成り立たなかったかも。タンクローリーは、かなり怖いが、取的ともなると、なんとなくユーモラスになる。しかし筒井康隆は、あくまで不条理感の方に主題を持っていった。

        その点、京極夏彦『どすこい(仮)』(集英社)となると、主眼はあくまで相撲取りというユーモラスな存在を使ってパロディに向かう。去年の初めごろ、『小説すばる』の新聞広告を見ていて、京極夏彦の『脂鬼』という短編が載っていることを知り、ぜひ読みたくなった。これは、あの小野不由美の傑作吸血鬼小説『死鬼』のパロディだと、もろに解ったからだ。ブクブクに太った死体が起き上がってくるなんて、面白いではないか。本屋で、チラチラと立ち読みしたら、どうやらこれは、連作の一部だと解り、一冊にまとまるまで待つことにした。

        待っていてよかった。読んでみたらば、話と話が繋がっていて、最初から読まないと面白さが半減してしまうからだ。ほとんどマトリョーシカ人形のごとく、次々と前の話が連なっていく構造になっていく。

        1作目『47人の刺客』のパロディ『47人の力士』の、浪士たちではなく力士たちが吉良邸に討ち入りに行くというアイデアは抜群に面白い。マワシ一丁の裸の力士達が、主君の仇を打つわけでもなく、ただ単に闘いたいが為に赴くというのは、『忠臣蔵』への痛烈なパロディだ。私自身が、あまり『忠臣蔵』という話を好きでないので、胸のすく思いがした。刀を持って向かってくる吉良邸の侍に、相撲の技で闘うなんて痛快じゃないですか。わざわざ見合って手を地についてから、はっけよいで侍にぶつかっていく。

        つづく2作目『パラサイト・イヴ』のパロディ『パラサイト・デブ』では、恐ろしく肥満したパラサイト生物が襲ってくる。3作目『すべてがFになる』のパロディ『すべてがデブになる』では、恐ろしく肥満した人間が死んでいる密室トリックもの。みんな面白い。

        ただですね、このあと『リング/らせん』のパロディ『土俵・でぶせん』、『死鬼』のパロディ『脂鬼』、『理由』のパロディ『理油』、『ウロボロスの基礎論』のパロディ『ウロボロスの基礎代謝』となっていくと、少々苦しい。だんだんと小説の態を成さなくなっていってしまう。真面目に小説を書いてきた京極夏彦、バカなことをやってみたく成ったのかも知れない。解るよなあ、私も映画や音楽について真面目に書いたあとは、思いっきりバカなこと書きたくなるもの。

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