September.28,2000 インターネット始めてよかった!

        安渕くんありがとう。おかげで私もめでたくインターネットでの先行発売で、スティーヴン・キングの『ライディング・ザ・ブレット』手に入れました。発売初日は、なにかと忙しくてアクセスしている暇がなく、翌日になってアクセスしてみたら、先着2000冊の限定デザイン版は、案の定売りきれ。でも別にいいや。大して変わらないいんだもの、通常版と。

        必用な事を打ちこみ、送信。確認したというメールが届いたときは、うれしかったですね。さらには、発送した日にも「本日、発送しました」というメールが届くし、本を買うのに、こんなにワクワクしたことはない。パソコンを始めてよかったなあという実感が湧いてきた。パソコンを持っていなかったら11月の書店販売まで、口惜しい思いをして待ったことだったろう。宅配便で届くまで、またワクワク。届いたら届いたで、梱包を解くのがまたワクワク。ネットで表紙は見て分かっているのに、やっぱり手にすると感激もひとしお。

        もともと英語版は、ネットからのダウンロードで、モニターからでしか読めないそうだけれど、やっぱり本の形の方がいいよ。読みやすいもの。いつでも読めるしね。短編小説がひとつ入っているだけで1000円は高いと言われそうだけれど、このコンパクトできれいな装丁、いいですよ。持っていてうれしくなる一冊。

        母が軽い脳梗塞で倒れたという知らせを受けて、大学生の主人公が故郷へ帰ろうとする。ところがクルマは故障中。やむなくヒッチハイクで帰ろうとする。一台目に乗せてくれたクルマの運転手がヘンなので、途中でほかのクルマに乗りかえる。ところが、このクルマを運転していた男は、どうやら幽霊らしいという、いかにもキングらしい話。

        しかも、さすがキング、ただのホラーで終わらせるわけがない。死を目の前にした母の話ともからめ、人はみな死の列に並んで順番を待つ存在だというテーマを内包した、感動的な一編だ。


September.14,2000 スーツホームレス2例明暗

        『週刊新潮9月7日号』を見て、びっくりした。記事の中に、福田光夫さんが亡くなったことが報じられていたからだ。福田光夫さんといっても知っている人は、ほとんどいないだろう。福田光夫さんの存在を知ったのは、小室明『スーツホームレス』(海拓舎)を読んでだった。

        福田光夫さんは、小室明が定義するところの[スーツホームレス]だ。高校卒業後、岡三証券に25年間勤務。自主退社後、いくつかの会社を転々とするが、証券会社時代の株取引きの知識から株の売買を続け、やがて、昭和62年、信用取引で1億1千万円の大損をしてしまう。家を売り払い、借金生活。そんな中で、家庭崩壊。ついには、家庭にいられなくなってしまう。結果、ホームレス生活。58歳であった。

        上野公園に居ついた福田さんは、汚らしい格好をしたホームレスとはちょっと違う。常に小ざっぱりした格好で、とてもホームレスには見えないという。本の中に、福田さんの写真が出ているが、本当にスーツ姿のもある。そして、その写真は全て福田さんが絵を描いている姿を撮ったものだ。福田さんは上野公園でボールペン画や水彩画を描き、道行く人に売って暮らしていた。あくまで趣味で描いていた絵だったが、とんだところで役にたった。

        『週刊新潮』によると、福田さんは足利の49歳の女性と、この5月から同居していたというのである。やっとホームレス生活から足を洗えたのもつかの間、この8月、心臓発作で死んでしまった。何と言う運命のイタズラだろう。もっとも3ヶ月とはいえ、幸せな暮しができただけ、よかったのかもしれないのだが・・・。

        小室明がいう[スーツホームレス]とは、ホワイトカラーがホームレスになることをいう。今まで会社でスーツを着て、企業戦士として働いてきた彼らが、突然路上生活になると、その落差が本人に非常に大きく感じられるというのである。

        残念なことに、この本にはタイトルとは裏腹に、スーツホームレスの事例がふたつしか載っていない。全16事例のうち、たったふたつである。もっと取材して欲しかったというのが、私の正直な感想。

        それでは、もうひとつ載っている事例とは、こういうことである。人名は仮名のこの男は、大学を卒業後、ある食品会社に就職。ところが上司との折り合いが悪く、5年後に退社。貯金も底を尽き始め、アパートを出る。以後、夜はビルの隙間に段ボールをひいて眠り、昼は主に図書館で本を読んで過ごしているという。

        まだ27歳。仕事を選ばなければ、何でもあるだろうに、働かない。「なぜ、働かないの?」と言う小室の質問に、フリーターをやっている友人のことを引き合いに出し、「一度スーツに袖を通した者にとって、フリーターは格下げです。僕にはできない。(中略)僕が釣りの好きなことを知ってる人がいて、その人に釣り宿で働くことを勧められたけど、冗談じゃない。釣り宿なんて下賎の民ですよ」

        ブルーカラーを[下賎の民]と言う感覚が、どうにもわからない。大学出で、本が好きで教養がある自分がブルーカラーの仕事をするのが納得できないのだろうが、ブルーカラー仕事をしている私には「甘ったれるんじゃねえよ」と言いたい気分になる。ブルーカラーの仕事っていいよ。体使ってさ。デスク・ワークなんてしているより、よっぽど健康にいい。


September.1,2000  筒井康隆、順調!

        何かの雑誌のインタビューで読んだのだが、筒井康隆は、自分はもう小説は書き尽くしたといった意味の発言をしていた。これからは、小説の仕事は減らし、役者としての仕事を中心にしていくという。40年近く書き続けてきたのだが、もっと書き続けている作家も多いのだから、書き尽くしたということはないだろう。断筆中に書いたものと、断筆解除後に書いたもので、文芸春秋社の雑誌に載せた短編を集めた『エンガッツィオ司令塔』を読んでいると、この人、まだまだ書き尽くした訳ではないなと思えてくる。

        断筆に至った過程については、巻末の『附・断筆解禁宣言』に詳しいが、発端は筒井康隆の小説『無人警察』を角川書店が教科書に載せようとして、[てんかん協会]から抗議の声があがったことに始まる。この小説はてんかん患者への差別にあたる。教科書に載せることのみならず、この小説を収録しているすべての本から、『無人警察』を削除せよという要求であった。筒井はマスコミからの取材に反論を返したが、実際に記事になったのは、[てんかん協会]側の主張ばかりで、筒井の反論はどこにも載らなかった。そのことから、出版社、ことに新聞社への不信感が強まり、筒井はついにキレる。断筆である。

        3年3ヶ月の断筆の後、出版社の自主規制を撤廃したことにより、より自由な小説を書き始めたように思える。表題作の『エンガッツィオ司令塔』は、執筆再開して間もなく雑誌に載ったもので、私も、その時点で読んでいる。昨年『筒井ワールド』で芝居にしたものを見たが、「あれっ、こんなソフトなものだったっけ」と感じた。そして、今年になって、再びこの単行本化されたものを読むと、やっぱり小説の方がイメージを自分で構築できる分、エゲツナイ。[エンガッツィオ]とは[エンガチョ]なのだが、さすがにラストのスカトロは、少々読んでいて辛い。スカトロもののSMポルノのパロディともいえなくもないのだが。

        『越天楽』『東天紅』『ご存知七福神』の3篇は、七福神をテーマにした、小説というよりは、笑い話集といった趣。小話をずらーっと並べてみせる。まあ、一種のホラ話。これだけのアイデアが次々とよく浮かんでくるものだ。

        『夢』は、私が1番気に入った作品である。私は作家が1番やってはいけない手法は[夢オチ]だと思うのだが、これはいい。この2段、3段の夢オチの後で、あまりに悲しいラストの光景は、いたたまれなくなってしまうものがある。

        『乖離』は、その「凄え美人」の外見とはうらはらに、どぎつい河内弁で、言いたいことをづけづけと捲くし立てる女性の話で、これには大笑いした。個人的には、ラストの喫茶店で登場する、飛び切り可愛い女子高生が気になる。ウエイトレスに名古屋弁丸出しで「ぬくてやあ牛のチチ、まえんかね」と注文するのだが、はたして名古屋で[ホットミルク]のことを[ぬくてやあ牛のチチ]なんて言うのだろうか? 名古屋人が怒り出しそうな気がするのだが。でも、この子の話が是非読みたい。筒井さん、この子で続編を書いてくれないだろうか。

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