December.21,2000 読んでいて気持ちがいい小説

        小宮孝泰&ラサール石井のふたり芝居『淋しい都に雪が降る』は、そのタイトルどおり、ふたりのホームレスが身を寄せ合って暮らしている公園に雪が降り出すシーンで終わる。南の島へふたりで行って暮らそうという夢を抱いた直後のことである。あのあと、ふたりはどうしただろうか?

        芝居を見終わって、たまたま手にした小説が飯田譲治&梓河人の『アナン』(角川書店)だった。何の知識も無く読み始めたら、なんとホームレスが出てきて、初雪のシーンから始まる。最初の一行は、こうだ。
「初雪が降ったら、死のうと思っていた。」
この一行から始まる小説は、ある記憶喪失のホームレスが主人公だ。自分が、何者なのかも分からず、ホームレス生活を続けている。ホームレス生活に疲れた彼は、もう死のうと決心する。取っておきのウイスキーを飲んで、この寒空の下でそのまま寝てしまえば、苦しまないで凍死することが出来る。

        彼は最後の晩餐にと、ある料亭の裏へ行って残り物を漁る。と、驚いたことにゴミ袋の中から、生まれたばかりの赤ん坊を拾ってしまうのだ。赤ん坊は、すっかり弱って死にそうになっている。このあと、この赤ん坊を連れて帰り、仲間のホームレス達と、砂糖湯を飲ませたり、ミルクを飲ませたりして介抱していくシーンがいい。赤ん坊は男の子だった。すっかり元気になったこの子にアナンという名前をつけ、ホームレス達で育てていくことにする。

        やがて、このアナンには不思議な能力があることが明かになる。アナンとふたりきりになった者は、自分の悩みをアナンに語って聞かせないではいられなくなるのだ。そうして話をすると、話した者は安らぎを得られる。アナンは、その相手の悩みを受け取ると、何か青い物体に変えて自分の体内から外へ吐き出す。

        このあたりまでは、もう読んでいて快感ですね。癒し系の音楽が流行ったりしていますが、これはもう癒し系小説と言っていい。さあて、このあとどういう展開になるのか、まったく見当がつかなかった。上巻の半分ちょっといったところで、話は、ある地方の街に移る。ここでひょんなことから職を得た主人公とアナンは、ホームレス生活から開放されて、新しい人生を始めるのだが、出だしのホームレス時代の話が圧倒的に面白かったので、ややペースダウン。

        下巻に突入すると、読んでいて何だかヘンな方向に行っちゃったなあという気がするのだが、まあ退屈はしない。そして、ラスト。もう、泣いちゃいましたね。これまた雪のシーンで終わる。

        飯田譲治といえば、『NIGHT HEAD』の人かあ。あれも超能力ものだったなあ。この人、映像から来た人だけれど、案外これからの日本SFで重要な位置を占める人なのかもしれない。

飯田譲治倶楽部


December.9,2000 福田さんの展覧会を見てみたい

        9月のこのコーナーで書いた『スーツ・ホームレス』で紹介されていた、上野でボールペン画を描きながらホームレスをしていた福田光夫さんのことを、詳しく書いた本が出た。『ホームレス日記「人生すっとんとん」』(小学館文庫)作者は福沢安夫となっている。が、実際に書いたのは岸川貴文という人で、福田さんからの聞き書きという形をとっている。遺族へのプライバシーとして福沢安夫という仮名にしたというが、もうかなり福田さんの名前は浸透してしまっている。

        『スーツ・ホームレス』だけでも福田さんの人生は十分に伝わってくるが、さすがに一冊にまとまったこちらの方が、福田さんの人生を詳細に伝えていて感慨深いものがある。

        めっきり寒くなってきた。公園でテントを張って寝ているホームレスのことを思うと、さぞかし寒いだろうなあと思う。現在私も何とか、まがりなりにも屋根の下で布団に包まりながら寝ているが、この本を読んでいると人生というもの、いつ、どのようにして転がってしまうか分からないなあという気がする。まさに福田さんの人生も、ある一瞬のうちにヘンな方向に転がってしまう。その原因などは、もう書いたから繰り返さないが、広い1戸建ての家に妻とふたりの娘と幸せに暮らしていたものが、たった一度の人生の失敗からズルズルと落ち続け、ついには、上野のヤマでホームレスになってしまうのだ。それは、とても人事とは思えない。私も、あるときを境にホームレスになってしまうということが、まったくないとは言いきれないのだ。

        正直言って、最近まで私はホームレスが大嫌いだった。何で働かないのだ。仕事なんて、いくら不況だとはいえ、選ばなければ何でもあるではないか。働いて金を手にすれば、少なくともアパートのひとつは借りられるだろうし、ちょっとはマシな服も買えるだろうし、残飯を漁らなくてもすむだろうにと思っていた。新宿西口のテント村撤去騒ぎのときも、何でホームレス支援団体のような人まで出てきて抵抗したのか理解に苦しんでいた。だって、彼らは道路や公園といった公共の場を不法に占拠して住んでいるのだ。

        私の近所にもホームレスはいる。よく道路に座りこんで焼酎を飲んで大きな声でクダを巻いていたりして、はなはだ迷惑な存在だ。近くのコンビニで賞味期限切れの弁当をよこせと絡んでいるホームレスを見た時には、怒りを覚えた。

        だが、この本を読んでいると、どうも現在はホームレスという言葉ひとつではくくれなくなってきているんだなあという事に気が付く。この本のいいところは、そのほとんどを占めている福田さんから聞き書きとは別に、ホームレスの実情を、実に客観的に見つめていることにある。最後の特別付録を読むと[ホームレス]という言葉は十数年前から使われだしたもので、以前は[乞食][物乞い][ルンペン][浮浪者]という言葉を使っていたという。私が小さいときは両親は[バタヤ]と呼んでいた。これは東京下町の方言なのだろうか? これらの言葉が差別用語とされて、一般的にはホームレス、東京都などでは路上生活者、ボランティア団体では野宿者と呼ぶようになっていったそうだ。

        ハッとしたのは、上野公園のある野外生活者がしてみせた分類である。
[ホームレス] テント生活をしているというだけで仕事にもきちんと行く人。
[プータロー] 仕事に行かずエサ取りをして一日中ブラブラして過ごす人。
[乞食] 一般の人や他のホームレスからものをもらって過ごす人。
そうなのだ。ホームレスと言っても、今やいろいろな人がいるのである。どうしようもない迷惑な者から、福田さんのように自立(?)した人までいる。

        『スーツ・ホームレス』の作者も、よく取材したと思うが、こっちの方が取材力が高い。『スーツ・ホームレス』で、[山狩り]のことが書かれていた。 皇族が上野の美術館や博物館に来るときにホームレスのテントが目障りだと一時的に撤去されることなのだが、あれを読んだときは、少々怒りを覚えた。何で皇族が来るときれいな部分しか見せないのだ。皇族の人にこそ、下々の生活を見てもらうべきではないかと。あの本だと一方的な見方しか出来なくなってしまう。

        その点、『ホームレス日記』の方は上野公園の管理事務所にもちゃんと取材している。もともと公園内を清潔に保つために特別清掃というものがあり、ホームレスの人にもテントをずっとそのままというのも衛生上よくないから、一度畳んできれいにしてもらう。ところが言う事を聞かない人もいる。皇族の人が来るときには警察が来るから、警察に協力してもらってホームレスにテントを撤去させるという。本当は上野のヤマから全員撤去させたいのだが、それは人道上できないから、せいぜい[山狩り]と呼ばれるものをしているのだという説明なのだ。なあるほど。

        話が福田さんのことから、どんどん離れていってしまった。実はホームレスに関しては、このところ他にも『アナン』という小説を読んだり、小宮孝泰&ラサール石井のふたり芝居『寂しい都に雪がふる』という芝居を見たりで、いろいろと考えさせられてしまっているのだが、そのことはまた別に書こうと(本当に書くかな、オレ?)思うのだが・・・、

        福田さんの描いたボールペン画というのも多数収録されている。印刷されちゃっているので、その本当の質感は分からないのが惜しいが、なかなかのものである。ボールペンで絵を描くようになったのは、道具を買う金が無かったからの苦肉の策なのだが、ボールペン画というのは珍しいのだそうだ。福田さんは、さらにこの絵を石で擦って濃淡をつけるテクニックを開発するのだが、一度、展覧会でもあったら、しみじみと見てみたい気がする。あまり絵に興味があるほうではないのだが、福田さんの絵だけは見てみたい。全て風景画であるが、路上生活者から見た風景が、実にしみじみと伝わってくる。

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