January.22,2001 沢木耕太郎の初長編小説
大学4年後期試験の時だった。その日で全ての教科の試験を終え、私はせいせいした気分になっていた。さて家に帰るかとキャンパスを歩いていると、鈴木にバッタリ出くわした。これから、もう一教科試験を受けるから、そのあと一緒に帰ろうと言う。「1時間で試験は終わるから、これでも読んでいろよ」と渡されたのが、沢木耕太郎の『敗れざる者たち』だった。鈴木は、この中の『さらばダイヤモンド』というのを読めと言い残して、試験会場に消えて行った。空いていた教室の椅子に座り、読んでいくうちに私はこのノンフィクションにすっかり夢中になっていた。頭文字[E]でしか書かれていなかった野球選手の名前が明かされる最後では「あっ!」と叫んでいたが、それ以上にその文章に魅入られてしまったのだ。
おそらく、沢木耕太郎はノンフィクションの世界に、ハードボイルド小説の文体を持ち込んだ革命的な人だったに違いない。後に鈴木が、当時SRの会報で作家のインタビュー・シリーズをやっていた私に、「今度は沢木耕太郎でどうだ?」と言ったことがある。「冗談言うなよ、SRはミステリ小説のファン誌だぜ」と答えたものだったが、この人のエッセイを読むと、かなりのミステリ通だということが分かる。うーん、当時インタビューしておけば良かった。沢木耕太郎のノンフィクションは、[私]の一人称で語られていくものが多い。読者は沢木耕太郎と一緒に、密着して取材した対象や、昔の事件の調査に着いていけばいい。その文体は、あくまで乾いていて、、事実を追い求めていく。私が沢木耕太郎の文章を読むときに感じるのは、常にハードボイルド小説の文体だ。
そんな沢木耕太郎が初の小説を書いた。『血の味』(新潮社)だ。[純文学特別書き下ろし特別作品]となっているから、純文学の範疇なのだろうが、ちょっと意外な[ひっかけ]も用意されていて、文芸ミステリともいえる。そのため詳しいことが書けないのが、ちょっと辛いのだが、やっぱりこの人、ミステリ・ファンなんだなとニヤリとする。なんともう15年前に書き始められて中断していたものだそうだ。この書き始めのことは、雑誌『246』に載せられた日記に詳しい。
15歳で殺人を犯したという少年の気持ちを綴った小説なのだが、グイグイと引き込まれていくものの、私にはどうもよく分からなかった。少年が中学3年で、本好きで、走り幅跳びの選手だったというのなんて、沢木耕太郎本人の実体験みたいな話なのだが、少年が突然跳べなくなってしまう心理というのが、よく分からない。跳んだ途端、地面に着地せず、ずっと跳んだままになってしまう不安なんて、あるか? 私は、幅跳びの選手だった経験は無いが、体育の授業で地球の引力に口惜しい思いをしたことしかない。
殺人の動機というのも、私には今一つ理解できなかった。沢木耕太郎は15年に書き始め、10年前に9割方書いたところで絶筆していたこの小説を、突然あとの1割に何を書いていいのか分かって書き上げたというが、私には、彼が何を書きたかったのか、どうも見えてこない。殺された者が最後にとった行動とは何なのか? 父の読んでいた本の意味は? なんだか、不条理演劇のラストを見るようで、はたまたSFのようで、「この本は、いったい何だったんだろう?」という感想しか浮かんで来ない。読み込みが足りないのか、私の頭が着いて行かれないのか、この著者初の小説を読み終えた今、私は机の前で呆然としている。
January.13,2001 本を読む時間作らなくちゃ
安渕くん、去年の夏に貰ったリー・チャイルドの『キリング・フロアー』(講談社文庫)、長い間、積読になっていましたが、この正月休みに上下巻とも読みました。もともと読むスピードが遅い性質(タチ)なのに、こんなホームページの[毎日更新]なんていうことを始めてしまったものだから、なかなか本を読んでいる時間がない。本は好きなんですけれどね。時間がなあ。一日15時間肉体労働者としては、夜は疲れてしまっていて活字を見ても頭に入っていかない。
愚痴はそのくらいにしてと、さて、『キリング・フロアー』は面白かった。グレイハウンド・バスでジョージアにやって来たひとりの男。早朝に国道でバスを降りると、ある田舎町まで歩いた。男の名はジャック・リーチャー。永年軍人として世界各国の軍事基地を渡り歩き、除隊したばかりだ。この田舎町にきた目的は60年前に死んだ伝説のブルース・ギタリスト、ブラインド・ブレイクの生地を訪ねること。町に着きダイナーで食事をしているところにシッョトガンを持った警察官らが入ってきて、リーチャーは逮捕されてしまう。殺人容疑。まだ、この町に着いたばかりだというのに、どうやって殺人ができるのか。
アリバイが証明され、釈放される。しかし、リーチャーは納得がいかない。警察で親しくなった一部の刑事たちに協力して捜査を始める。軍を辞めた、ただの一般人が警察に協力して捜査の仲間入りをするという設定は、かなり無理があるが、無職という立場は話を進めるには都合がいい。殺人事件というのは、かなり惨たらしい殺し方で、床が地の海になっていたことから『キリング・フロアー』というタイトルになっている。やがて、これが連続殺人だということが分かり、その被害者のひとりが、なんとリーチャーの兄だということが判明する。これ、あまりに唐突で強引じゃありませんか? 読み進んでいくと、確かになぜ兄がこの小さな田舎町に来て殺されたのか分かるようになっているものの、読者としては、ちょっと都合がよすぎるように感じてしまう。
どうも、この田舎町、町ぐるみで何かやっているらしい。これといって産業はないのに、町は潤っている。どうも町長も警察署長もグルらしい。やがてリーチャーは真相をつきとめ、闘いを開始する。
バイオレンス描写がなかなかの迫力があり、グイグイと惹きこまれてしまった。下巻のラスト近く、何人もの人質まで捕られて、絶対絶命の状況の中から、起死回生の逆転劇に出る、手に汗握る面白さ。読んでいない人のために書けないのだが、町の陰謀の真相にまつわるアイデアが、よく考えられていること。正月休みに寝転んで読むには最適の小説だった。
[訳者あとがき]を読むと、このジャック・リーチャーはシリーズとして、このあと4作目まで出版されているという。続編が翻訳されたら、読もうかなあ。うーん、時間が時間が。今年は、もう少し本を読む時間を作らなくちゃ。
January.4,2001 私が嫌いなこういう輩
書店の店先でタイトルを見て気になったのが、中島義道の『私の嫌いな10の言葉』(新潮社)。目次をみると、この人が嫌いだという10の言葉が並んでいる。
1.相手の気持ちを考えろよ!
2.ひとりで生きているんじゃないからな!
3.おまえのためを思って言ってるんだぞ!
4.もっと素直になれよ!
5.一度頭を下げれば済むことじゃないか!
6.謝れよ!
7.弁解するな!
8.胸に手をあててよく考えてみろ!
9.みんなが嫌な気分になるじゃないか!
10.自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!
おおっ! これはいい! 私もこれらの言葉は大嫌いだ。昔何度かこれらの言葉を聞かされた経験がある。そのたびに「嫌だなあ」と思ったものだ。よおし、この本を買ってみよう。ところが家に帰って読み始めると、どうもこれは私が考えていたものと微妙に違う。そして読み進むにつれ、著者のいう「虫唾が走る」とか「不快の波が襲ってきた」という言葉をそのまま返してやりたいくらい不愉快になってきた。
著者がこれらの言葉を嫌いだという根本的な理由というのは、読み始めてすぐに分かった。
「往々にして『相手の気持ちを考えろ』という叫び声はマイノリティ(少数派)の心情や感受性を潰しマジョリティ(多数派)の信条や感受性を擁護する機能をもってしまう」
なあるほど、欧米の個人主義が通用しない日本の有様が嫌いなんだ。昨日、映画のコーナーで書いたように、私だって大の増村保造ファンである。個人主義に反対ではない。しかし、どうもこの著者には着いていけない。
この第一章『相手の気持ちを考えろよ!』は、このあと[笑い]の問題に触れていく。この人の笑えるものとは、「悪意のある軽蔑的笑い(ドイツ語の”Schadenfreude“というやつ、つまり相手を傷つける笑い)です」と語る。これは確かに相手の気持ちを考えない笑いで、実は私も好きだ。ある有名人を揶揄した笑いとか、不特定多数(他国人、バカな金髪女など)を対象にしたもの。これはジョークになる。しかし、この著者の感受性に疑問を感じ始めるのは、次のような文章。
チャップリンの映画がひとつも笑えないということを述べたあと、「同様に、私には落語はおもしろくなく(先日、研究するために、円生、志ん生以降のテープ二〇巻からなる『落語名人全集』を買いましたが、やはり全然おもしろくない)、あのビートたけしの『毒舌』がいまだかつて一度もおかしかったことがない」
チャップリンはともかく、落語とたけしをおもしろくないと言われると、それは個人の勝手なのだが、ちょっと待てよという気になってくる。こちらは落語とたけしの大ファンだ。
第二章『ひとりで生きているんじゃないからな!』 このタイトルだけ読むと私も嫌な言葉だなあと思う。しかし、読み始めるとまた不快になってくる。著者は小さい頃、スポーツがまるで駄目で体育は嫌いだったと述べ、偏食が多くて給食が嫌だったと述べ、「私の場合、集団生活を身につけさせる学校教育はすべて失敗であった」 「こうした訓練は、いまだに恐怖心として残っているだけです」 「あえて学んだとしたら『耐えぬく』精神だけ」
自慢じゃないが、私は小学校の頃、偏食が多くて給食は嫌いだったし、体育もあまり得意ではなかった。その上、この著者は大好きだったという勉強も嫌いで、劣等生の問題児だった。だが、学校は好きだった。どうもこの著者、クラスでみかけたガリ勉男だ。著者の略歴を見てみると哲学の教授である。くそっ、こんな男に何か言われたくないわ! 大学の教授、しかも哲学。実社会生活経験のない、こういう立場の人間は何とでも言えるわなという気になってくる。
先月書いた『ホームレス日記』の中で福田さんは、自分自身の言葉でこう書いている。
「人間は一人では生きて行け無い事を、一人に成ってやっとわかったんです。(略)ある日その全てを失ってしまったんです。その時初めて、人間は一人では何も出来無い事がわかったんです。その時初めて、自分自身の過信やワガママや自我の強さがわかったんです」
大学の哲学の教授なんていう地位にいれば、好き勝手なことが言えるだろうさ。ひとりでも好き勝手に生きていかれる立場だ。もっともこう言うと、ちゃんと予防線も張っている。「さて、『×××』になってから言ってもらいたい」という言い方が私は好きではありません。その響きが傲慢至極で相手を見下しているからでもありますんが、(1)あなたは×××になれる(なろうとする)わけがない、そして、(2)×××になれば、あなたもきっと私が正しいことがわかるはずだ、という二重の怠惰な思い込みから成り立っているからです」
そうだろうか? この論のあとでジャパニーズ・スマイルのことに言及する。自分の過失をごまかすために笑ってごまかしたり、その場の雰囲気を和らげるためにニコニコ顔で「まあまあ」と言ったリする。確かにこれは実生活の上において、日本人特有の現象かもしれない。対立を回避して、問題を論じようとしない。欧米の契約社会のビジネスにおいては、これは通用しないだろう。しかしだ、これが本当にいいことなのかというと疑問も感じてくる。私はどちらかというと、ジャパニーズ・スマイルは好きだ。昨年の暮に『蕎麦湯ぶれいく』で書いたように、「焼売は25日までと言ったでしょ!」という店主より、「焼売は25日までとさせていただきました。また来年よろしくお願いいたします」とジャパニーズ・スマイルを浮かべて言う店主の方が好きだ。喧嘩してどうなる。
繰り返して言うが私は増村保造のファンでもあり、日本人は全体主義から抜けだし、個人主義になっていくべきだと思う。この10の言葉も大嫌いだ。しかしだ、哲学の教授なんかにこんな調子で言われたかあない。読んでいて不愉快になり途中で本を投げつけた。一介の蕎麦屋のオッサンが大学の哲学の教授に何か言っても敵うわけがないが、著者が言えというようにはっきり言おう。「ただただ、お前が気に入らないんだ」
私の言っていることは矛盾しているのかもしれないが、あの10の言葉は私も嫌いだ。そのことについて、私なりに『蕎麦湯ぶれいく』でちょっと語ってみようかと思っている。