March.26,2001 

        筒井康隆の『恐怖』(文藝春秋)を買ったのは、てっきり筒井康隆がホラーを書いたと思い込んでしまったからだ。冒頭で主人公の小説家が死体を発見するあたりのシーンが笑いを含んだ怖さがあり、これはどうなることかと読み進むうちに、どうもこれは私の想像していたホラー小説ではないなと気が付いた。

        冒頭で小説家の発見した死体は、知り合いの女性画家。その後すぐに今度は建築評論家が殺される。主人公をはじめ、この地方都市の文化人たちはパニックに陥る。これは文化人を狙った連続殺人事件ではないか。彼らには、そうされる憶えがあった。以前、明治時代に建てられた老朽化した税務署の建て直し問題が浮上したときに、古い建物を壊すのはけしからんと、文化人が総出で反対運動を起したことがある。その後、建物の床がぬけて死傷者が出た。どうもその遺族が、反対運動を起した文化人達を殺そうとしているのではないか? ホラーかと思ったら、何だか推理小説っぽい展開になっていってしまった。

        主人公の小説家は、本の中で[恐怖]についてエッセイを書く。いわく、恐怖こそが人間の根本的な本能だという説である。

「人間のすべての行動は恐怖によるものである。ものを食うのは逃げる力を蓄えるためであり、家を建てるのは身を護るためであり、大小便をする時に身を隠すのは無防備な姿をさらして襲われやすくなるのを防ぐためであり、娯楽を求め、夜間煌煌と明かりを灯して大勢が群れ集い談笑するのは恐怖を忘れようとするためである」

        これは筒井康隆一流の文化人に対するカラカイなんだろうなあ。だって、ものを食うのは生きる本能だし、家を建てるのは快適さを求めるからだろうし、便所に行くのは羞恥心からだろうしね。でも、ひょっとして、人間の行動学って恐怖心から来ているのかもしれないって、一瞬思ってしまう。

        だとすると、好き好んでホラー小説を読む自分って何だろう。怖いのは嫌だなあと思いながらも、ついつい読んでしまう。怖いもの見たさとでも言うのかな。相手から強制的に与えられる恐怖はまっぴらだが、自分から恐怖の中に入って行くのは好き。人間って不思議な生き物ですよね。


March.16,2001 寄席に行きたくなる本

        去年の暮に本屋で一冊の本を見かけて、たまげてしまった。その本の名は『新宿末広亭 春夏秋冬 「定点観測」』長井好弘(アスペクト)という。なんと、新宿末広亭の一年間の全番組を見続けた記録なのである。東京の寄席の定席は、1ヶ月に10日ごとに上席、中席、下席と分けられ、さらには昼席と夜席がある。つまり、1ヶ月に6番組。一年にすると72番組。正確にいうと、1月の上席は3部構成になるから73番組である。それを全部見てやろうというのだから、とんでもない企画だ。しかも会社勤めしている一般人がやろうというのだから凄い。

        私はこの本を見た時に、妙に興奮してしまった。ちょうどこのホームページを始めたあたりから、長い間眠っていた落語好きの血が復活して、都内の落語会にちょくちょく通うようになっていたからだ。落語のことを書くのは、あまりにマイナーすぎて誰も読んでくれないだろうと、あえてこのホームページには書かないことにしていたのだが、この本を立ち読みしているうちに血が騒いできた。ようし、私もひとつ落語の鑑賞記録を残してみようではないか。かねてから芝居のことを『蕎麦湯ぶれいく』に時々書いていて、なんだか別枠を作らなければいけないと思っていたところでもあった。芝居と演芸の鑑賞でひとつコーナーができるのではないか。それで今年の初めから始めたのが、『客席放浪記』というわけなのだ。

        実はこの本はインターネットの[江戸・綱]で連載されたものであり、今でも読める。無料で読めるものを買うこともないだろうと最近まで思っていて、インターネットで読んでいたのだが、やっぱり写真入りの本が欲しくなり、ついに買ってしまった。

        それにしても大変なことである。年間73番組を見るということは、5日に一回のペースで新宿末広亭に通うということである。とても続くことではない。中には出演者のラインナップを見て、このメンバーなら見る気にならないという番組だってあるだろうに。それでも通い続けるというのは、よっぽど寄席を愛しているのだろう。

        1999年5月下席から始めて、2000年5月中席で終わるこの記録を本を買ってじっくりと読んでいくと、ひとつのドラマが浮かび上がってくるから面白い。末広亭のきまぐれなエアコンに悩まされ、紙きり追っかけおじさんに遭遇し、たちの悪い客と芸人とのやりとりに一喜一憂する。驚いたのは2000年1月に、著者が心筋梗塞で倒れてしまうことだ。このため、1月と2月分は友人が替わりを務めて定点観測は続いていく。3月に復帰したときに、その友人から実は転勤でアジアへ行くことになったと知らされる場面では感動してしまった。もう少し転勤の時期が早かったら、この連載記録は途中で終わってしまうところだった。

        著者の本職は読売新聞の文化部の記者だそうだ。なるほど、どうりで文章が上手い。私もこの人の真似ッこではあるが、『客席放浪記』を続けていこうと思う。幸い、楽しみにしているという読者がひとりだけメールをくれたからだ。

        ところで、この本の[10月下席・夜の部]に、こんな文章をみつけた。早稲田大学の先生で講談社文庫の『古典落語』シリーズの著者でもある興津要氏の訃報を知り、興津氏との交友を述べている冒頭の文章である。

「(興津氏は)僕の顔もおぼえていただいていたようで、たまに会うと『おう、新聞記者』なんて声をかけてくれた。いつだったか台東区役所近くの『翁庵』で、カレーうどんをご馳走になったことがある。『ここはね、鈴本の先代が贔屓にしてて、よく一緒に来たんだ。これが東京のカレーうどんだって』と懐かしそうに話していたのが、昨日のことのようだ」

        びっくりしましたね。上野の[翁庵]はウチの親戚。中学生のころ、よくアルバイトしたんですよ、この店。へえー、鈴本の席亭さんは上野翁庵のお得意さんだったんだあ。

        それと気になってしまったのが、同じ[10月下席・夜の部]の最後の文章。(今の)桂文楽がトリで『時そば』を演じた文章。

「ところで、『時そば』には、最初の客とその真似をするアホな客と、そばを食う場面が二回ある。最初のはうまそうに、後のはまずそうにと、食べ分けをするのが一番の見どころだ。今夜の文楽は、圧倒的に『まずい方』がうまかった(変な書き方だなー)。まずいというのにも段階があると思うが、文楽の食べ方は間違いなく最低レベル(ほめているんだよ)。そんなにまずいなら一口食べてみたいなという気にすらなってくる」

        あのですねえ、文楽師匠、ウチのお得意さんで、よく店におみえになるんです。はたして文楽師匠、ウチの蕎麦で、旨い蕎麦を食べるときの練習をしているのか、不味い蕎麦を食べるときの練習をしているのか、すごーく気になるのだけれど・・・。


March.3,2001 うへー!すげえ!! でも面白い!

        いやあ、読みましたよ、ジャック・ケッチャムの『オフシーズン』。それにしてもこんな表紙の本でどんな内容を想像します? フツー。

        都会からやってきた少女との甘く切ないひと夏の経験を経て、今はもう秋。避暑地の海岸でひとり、楽しかった夏を思い出している少年。「うわあ、ロマクチックだわあ」なんて表紙だけで買ってしまった女性は腰を抜かすのではないだろうか。何しろ扶桑社文庫ときたら、その手のロマンチックな小説も出しているものね。

        避暑地に6人の若い男女がやってくる。季節はずれではあったが、楽しい休暇を過ごすはずであった。別荘に到着した晩、それぞれのカップルに分かれてセックスを楽しんでいる最中に、突如6人は何者かに襲われる。それは、大人の男3人、女3人、子供11人からなる[食人]族の一家だった・・・! こんなプロット、誰が想像します?

        食人族に襲われるのが半分ほど進んだところ。物語の核になると思われた人物が、ここであっけなく殺されてしまうので、こっちもパニック。残った者で別荘に立てこもり、襲ってくる食人族と闘うことになるが、このへんは明らかにサム・ペキンパー監督の『わらの家』。武器になるものとして、湯をグラグラに沸かしたり、ナイフ類を総動員したりするあたり、読んでいてウズウズと落ちつかない気分にさせられる。こういうの好きなんだよね、私。

        別荘での攻防戦のあとは、食人族の棲家の洞窟に舞台を移すが、ここからはトビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』。焼肉屋に行けなくはならなかったが、相当にグロ。ちなみに私は『悪魔のいけにえ2』を見たあと1ヶ月間、肉の塊が食べられなかった。あの続編である『2』は、おそらくトビー・フーパーがホラー映画に[笑い]を投入しようとして失敗した作品だと思う。笑えるが、それは凍りついた笑いにしかならないのだ。二度と見たくはないが、ある意味で傑作! 「尻が痛くなったら、人間もう死ぬんだ」というセリフがいまだに頭に残っていて、尻が痛くなると「ああ、オレももうおしまいだ」と苦笑するのだが、誰も分かってくれない。

        『悪魔のいけにえ』は、女性の悲鳴だけで終始するすさまじい映画だったが、『オフシーズン』の捕らわれた女性は、ひとりは悲鳴をあげっぱなし。もうひとりは敢然と闘いを繰り広げる。かなり後味の悪いラストが待っているのだが、それが作者の狙いだったのだそうだ。居心地の悪いまま読者は放り出されることになる。さて、続編の『オフスプリング』は翻訳されるのだろうか?

このコーナーの表紙に戻る

ふりだしに戻る