July.14,2001 その一言が言えない

        鼻毛には、けっこう気を使う方だ。外見にはまるで気にしないたちなのだが、毎朝洗顔のついでに鏡を見て鼻毛をチラリとでも見つけると、小さなハサミで切る。時には奥の方まで徹底的に切る。だから他人が鼻毛を伸ばしていると、やけに気になる。店に毎日のようにいらっしゃるお客さんがいる。繊維関係の営業マンなのだが、とにかく散髪が嫌いだとかで年に2回程度しか床屋に行かない。そのせいだろうか、この人いつも盛大に鼻毛を伸ばしている。営業マンたるもの鼻毛の始末くらいは最低の身だしなみだと思うのだが、いまだに私はこの人に「鼻毛が伸びてますよ」とは言えないでいる。

        そんなおり、北尾トロの『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』(鉄人社)を読んだ。初対面の人と仕事の打ち合わせで喫茶店で会った著者が、相手の鼻から鼻毛が出ているのを発見してしまう。さて、親密な仲になった相手なら、「ねえ君、鼻毛出ているよ」と言えなくも無いのだが、相手は初対面である。これは注意してあげたい。しかし、この一言というのは、なぜか言い難いものだ。著者は初め遠まわしに注意を促そうとするが、気がついてくれない。そこで、勇気を持って言うのだ。「鼻毛が出てますよ」と。相手はすぐさまトイレに行き、鼻毛を処理して出てきて、著者に礼を言う。

        そんなに大げさなことではない一言が、なぜか言い出せない。そう言う事って、けっこうあるもんだ。この本は、そんな、言いたくても言えないでいることを、他人に思いきって言ってしまったらどうなるかというテーマで書かれている。例えば、電車の中にいる普通のオッサンに話しかけ飲みに誘う。相手が女性でないところが可笑しい。別にナンパではないのだ。人生に疲れきったようなオッサンに声をかけ、その人の辿ってきた人生を聞いてみたいと思う。これがうまくいかない。何人に声をかけても警戒されて追い払われてしまう。最後にはなぜかオッサンではなく、逆にオバチャンの集団に捕まってしまい、カラオケにまで付合うはめになってしまうのが可笑しい。

        公園で三角ベースで遊ぶ子供の仲間に入れてもらう。これも、けっこう勇気がいる。子供たちだけなら、まだなんとかなるかもしれないが、側に親が付いていたりしたら、不審人物扱いだ。今の子供は知らない人から声をかけられても、付いていっちゃダメよと言われている。

        もっとも気になったのが、『激マズ蕎麦屋で味の悪さを指摘する』の章。ゲゲッ、ひょっとしてウチのことかあ―――と気になったのだが、ふう、違った。著者が引っ越してきた都内の住宅地の商店街の、あるそば屋。著者の好物ベスト3は、カレー、鮨、そして第1位が何といっても蕎麦なんだそうだ。それも別にグルメというわけではなく、立ち食いそばレベルで十分に満足するという程度。その著者が不味いと思ったのだから、その味は尋常じゃない。

        ふらっと立ち寄った飲食店で、不味いものを出された場合、店の人に「不味かった」と言うことが出来るだろうか? ウチの場合、一番気になるのが、前に置いたものを一口、二口食べただけで、あとは金を払って無言で帰ってしまうお客さん。これは怖い。そんなに不味いと思ったのだろうかと気になって仕方ない。一言でも「汁が辛かった」とか、「蕎麦が茹ですぎてた」とか言ってもらえば、こちらにも反省材料はある。しかし無言で帰られると、その日1日気になって仕方ない。

        しかし、自分が客になった場合、「不味かった」とはなかなか言えないものである。しょっぱいというのは、何回か言ったことがある。ラーメン屋で、「ちょっと、しょっぱいからスープかお湯を入れてくれる?」と言ったのと、定食屋で味噌汁が煮詰まってしょっぱいので、「お湯を入れてください」と言ったことがある。その程度はちょっとしたことなので言える。しかし、根本的に不味い店というのは存在する。

        値段の安い店というのは、「まあ、この値段なんだから、しょーがないか」と諦める。しかし、問題はそれなりのいい値段を取っておきながら不味い店である。これが一番困る。雑誌なんかに紹介されていたりするから、つい安心して入ったものの、「うへー、不味い!」という店である。これはまず、自分の舌がおかしいのだろうかと思う。他の人は美味しそうに食べている。やっぱり自分の舌がおかしいんだと気を取りなおして、また食べ始める・・・やっぱり不味い。とても食べられなくて半分くらい残して、店を出る。どうしても店の人には「不味かった」とは言えないものである。

        著者は何回かこの激マズ蕎麦屋に通う。その感覚が凄いとは思うのだが・・・。そして、何回も言おうか言うまいか迷い、ある日、意を決し、言うのだ。「味が濃すぎませんか」と。店主、「あっ、それはどうも」とか「はあ」としか答えない。それはそうかも知れない。客に面と向かって不味いと言われて、咄嗟に反応できるくらいの料理人なら、そんな料理は出さない。ひょっとすると私だって、同じ反応をしてしまいそうな気がする。難しいものなのだ。お客さんに対して反論というものはまずできない。「そうでしたか。あいすみませんでした。今度から気をつけます」というくらいがせいぜいかもしれない。頭の中は真っ白。

        無反応な店主に背を向け、著者は店をあとにする。

―――ドアを閉め、歩きだしたところでタメ息が出た。ぼくはもう二度とここへはこないだろう。そして今日、少しばかり自分のことがイヤになった―――

        分るんだなあ、この感覚。私もときどき腹が減っているせいなのだろうか、怒って店を出た経験がある。ひとつは、牛丼屋で牛丼に髪の毛が入っていたとき。べつにそんなので怒る筋合いでもないのだが、たまたま店が忙しかったのだろう。お兄さんを呼んでも、なかなか来てもらえなかったので、腹がたってしまったのだ。金を投げつけるように店を出てしまった。もう一度は、注文を忘れられたとき。これはウチでもよくあるのですよ。忙しいと、ついつい伝票に書くのを忘れてしまったりする。自分でもやっちゃっているから、30分くらい平気で待ってたりして、「あのー、私のはまだでしょうか?」なんて催促したりする。ただ、一度だけ急ぎで入ったラーメン屋で忘れられ、30分後に「もう30分待っているのに出てこないから帰るよ!」と言って出てきてしまったことがある。30分も請求しないで待てるという感覚がヘンだと思われるかもしれないが、こっちは自分でも飲食店をやっている身なのである。30分も食べずに待っている客がいたら、店の誰か気がついてくれるに違いないという気でいる。そして・・・こうして怒って店を出たあとで、やはり私も自分のことがイヤになる。

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