September.14,2001 山田風太郎さんの思い出

        山田風太郎さんが亡くなった。晩年のインタビーュー集三部作完結編『ぜんぶ余禄』(角川春樹事務所)を読んで、何とも言えない気分になってしまった。10年前の1991年に最後の小説『柳生十兵衛死す』を書いて以来、ついにもう風太郎さんの作り出す物語は読めなくなってしまっていた。エッセイだって1997年の『あと千回の晩飯』が最後。まだまだ小説のアイデアを持っていた人だけに、なんとも惜しい気がする。

        『コレデオシマイ。』 『いまわの際に言うべき一大事はなし。』と続いてきたインタビユーも、ついに『ぜんぶ余禄』ともなると、かなり体の具合が悪くなっている様子がうかがえて、正直言って読んでいて辛くなってきた。最後が今年の1月19日。まさに亡くなる半年前までの様子が目に見えるかのように描かれている。もう体が動かない。ずっと車椅子生活である。話していることも、ときどき呆けが現れる。昔のことを、けっこう良く覚えているようでいて、混乱もある。インタビュアーも、もうあらかた聞き尽くした風で、最近の世間の事件の感想を求めたりしているが、特に鋭い意見が出てくるわけでもない。ああ、ついにごく普通の老人になっていったのかという思いすらしてくる。毎回、別れ際に次の約束をする編集者に、「かまわないけれど、もうしゃべることは何もないよ」と告げる風太郎さん。

        私はたった一度だけ、山田風太郎さんにお会いして、お話をうかがった経験がある。あれは、『警視庁草紙』が出版された翌年だから、1976年のことだと思う。75年度のSRのベスト10の1位に『警視庁草紙』が入ったことから、インタビューを思い立ったのだった。へたな時間にお電話しては悪いと思ったのだと思う。SRのベストテンを知らせる会報を同封して、手紙でインタビューを申し込んだ。ほどなく一通のハガキが届き、当時まだ学生だった私のような若造の申し込みを快く受け入れてくれた。生嶋や仁さんを連れ、ご自宅に伺い、1時間半ほどのインタビューをした。

        ちょうど第三の黄金期、明治ものがスタートしたばかりのころである。小説家として脂が乗り切ったころと言ってよかったろう。小説家になり立てのころの江戸川乱歩とのエピソード。大傑作『妖異金瓶梅』のあとに、『水滸伝』を日本を舞台に書こうとして108も武器が思いつかず[忍法帖シリーズ]が生まれたというエピソード。時代小説を書きつくしたという気になって、誰もあまり書いていない明治ものを書き始めたといったことを話してくださった。

        お礼を申し上げて帰ろうとする私達を、「食事の用意がしてあるから、一緒に食べていきなさい」と引き止められた。別室に通されると、山のような料理の数々。後にエッセイなどで、毎晩たくさんの種類の料理が食卓に並ぶという様子を読むことになるのだが、その奥さん手作りの豪華な食事にありついたことは生涯の思い出となった。有名なチーズの牛肉巻きもちゃんと出てきたのをしっかり覚えている。また、このときに風太郎さんが語ってくれた話は、インタビューのときのものよりも面白かった。「これはオフレコだがね・・・」と前置きが入る話の数々は、あまりに突飛で、夢中になって聞き込んでしまった。

        「サインをいただけませんか?」と『警視庁草紙』を差し出す私に、「本は私があげるから、それにサインしましょう」とおっしゃってくれた。「出版社にたくさんもらった本が余ってるんだよ。欲しい本があったらあげるから言ってみなさい」とおっしゃってくれたので、あれもこれもとリクエストを出したら、「それじゃあ、持って帰るのも大変だろうから、サインをして送るよ」とまでおっしゃってくださった。

        恐縮しまくって、お宅を後にしたが・・・。あのー、ところで、そのあとでもう一度風太郎さんのところに押しかけ、風太郎さんのファン雑誌を作ると言って、またもや飲み食いしてそのままその話をウヤムヤにしてしまった人がいたっけねえ、Nくん!


September.1,2001 ジェフリー・(カメレオン)・ディーヴァー!

        遅ればせながら、ジェフリー・ディーヴァーの『悪魔の涙』(文春文庫)を読んだ。ワシントンDCの大晦日の朝、地下鉄の駅でサイレンサー付きの自動小銃による無差別乱射事件が起こる。犯人の名前は<ディガー>。しかし、彼はあくまで命令に従って犯行を行うコマにしかすぎなかった。後ろで糸を引く人物は、市長に脅迫状を出す。2000万ドル支払わなかったら、<ディガー>はあと、午後4時と8時と12時に殺戮を繰り返すと―――。ディーヴァーにしては、最初からかなり動きのある派手なオープニングだ。しかも、読者の意表を突いた展開が用意されている。565ページある本文の、なんとたった47ページ目にして、脅迫者がトラックに轢かれて死亡してしまうのである。

        脅迫者が死亡しても、殺人鬼<ディガー>は金を受け取りに現れるだろうと思いきや、ついに現れない。さあ、ここで元FBIの文書検査士パーカー・キンケイドの登場だ。そんな職業があるのかどうか知らないが、これは『ボーン・コレクター』 『コフィン・ダンサー』の科学捜査官リンカーン・ライムに勝とも劣らないキャラクターだ。ふたりとも、元FBI、元警察官と、今やアウトローなのは、ディーヴァーの好みなのか。しかもリンカーン・ライムに美貌の夫人警官アメリア・サックスがついたように、パーカー・キンケイドにもこれまた美貌のFBI女性捜査官マーガレット・ルーカスがつく。これも好みなのか?

        手がかりは、手書きで送られてきた一枚の脅迫状だけ。ここから次の犯行現場を推理していくという面白さになる。今時、手書き、それも誤字や書きそこないまで雑じっている一見頭の悪そうな犯人像。しかしキンケイドは、これは相当に計算された文書であることを見抜く。このあたりは、推理小説の楽しみが詰まっている。[i]と[j]の点が涙の形をしていることから、このタイトルは付けられている。

        さて、ディーヴァーと言えば、カメレオンである。登場人物のひとりが、もうひとつの仮面を持っているというこのパターンを、『静寂の叫び』の成功によって味をしめてしまったらしいのだ。映画化までされて話題になった『ボーン・コレクター』のカメレオンは、ひとつのエピソードくらいの役目しかなかったので、どうってことなかったのだが、『コフィン・ダンサー』のカメレオンにはやられた。これは小説という媒体を逆手に取った手法で、「別に、私はそんなこと書いていませんよ。そう思い込んだのは読者のみなさまが勝手に思い込んだだけじゃないですか?」と、いけしゃあしゃあとスマしているディーヴァーの顔が見えるようだった。

        さあて565ページある本文も、最後の第4章に入る手前で物語は集束に向かってしまう。あれれ、まだ100ページ近くあるぞ。エピローグに100ページはいかになんでも多すぎるなあと思った472ページ、ゲゲッ! 出ました、出ましたカメレオン。う〜ん、これまた見事に騙されてしまった。どうせカメレオンがいるのだろうとマユツバで読んでいたというのに、簡単に騙されてしまった。今回、手が込んでいるのである。どうせまたカメレオンが潜んでいるだろうと見当をつけている読者を見越してか、カメレオンっぽい人物を何人か出してきて、不審な行動をとらせるという巧妙なことをやっている。くっそー、やられたなあ。でも、この騙されてうれしいというのは、どういう感覚なんでしょうかね。ほかにも細かい伏線が張ってあって、あとでニヤリとさせるところは、さすがにディーヴァー。

        ところで私、今、『激突!(Deburu 対戦)』につづくパロディー小説の構想が浮かんでいる。その名も『あっ、熊の波だ!』。金を支払わないと野生の熊の大群を村に襲わせるという脅迫状が村長のところに届けられる。脅迫状が〇金印の赤い腹掛けに書かれていたこと、濁点がマサカリの形をしていたことから、犯人は金太郎に違いないと推理されるが、金太郎は事故死してしまう。すると山の彼方から、何百頭もの熊が波のように現れ、村に襲いかかる―――といったものなんですがねえ。さらにその続編も考えていて、横溝正史から題材を取った『あっ! 熊の手毬歌』 『あっ! 熊が来たりて笛を吹く』。ホラー映画を題材にした『あっ! 熊のはらわた』。気持ち悪そうでしょ。『あっ! 熊のいけにえ』。これは可哀相な話になりそうだ。そうそう、マンガ化も考えておりまして、『あっ! クマくん』。これは、なんだかほのぼのとした内容になりそうだなあ。

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