July.21,2002 人生そのものがギャンブルだ
ケチというのか臆病というのか、どうもギャンブルで大きく賭けるということができない。今唯一やっているギャンブルは競馬だけだが、それでもG1のみ、1レースに千円しか賭けないというせこいもの。もっとも一時期はすっかりハマってしまって競馬場に一日入り浸って、全レース万単位で賭けていたこともあった。あるときに、このままではヤバイなと思い、スッと身を引いたのだが。パチンコもタバコの煙がイヤだったこともあるが、ギャンブル性が強くなって万単位の金が必要になってきたころから手を引いた。
そんな私であるが、ギャンブルに関しての興味は人一倍ある方だと思う。外国旅行をしてカジノへ行った経験はないが、おそらく日本でカジノが合法化されたら絶対にハマってしまうひとりだろう。特にバカラに対する興味は強い。沢木耕太郎がハマって世界各地でバカラをやっている未完の『バカラ』というシリーズを雑誌で目にして、すっかり興奮してしまったのだ。
服部真澄の『バカラ』(文芸春秋)を手にしたのも、やはりバカラに興味があったから。もっとも読み始めたら、これはギャンブル小説ではなくて、カジノ合法化をめぐる政治の裏世界の話。スクープを追う週刊誌の記者が実はギャンブル中毒で、違法カジノで遊んでいるという設定はある。ただ、肝心のギャンプルのシーンの書き方が淡白で興奮してこない。結局ギャンプルでの負けが込み、借金だらけの生活になっていくのだが、ギャンブルの興奮シーンがあまり書けてないから、いまひとつ面白くならない。おそらくこの作者、ギャンブルにハマった経験がないのかも知れない。きっと真面目な人なんだろうなあ。まあ、もともとギャンブル小説を書こうという気はなかったんだろうけど。
ギャンブルといえば、人生は全てギャンブルみたいなものだ。この小説の週刊誌の記者の妻は、輸入業の会社を起こして外国で買い付けをするが、見事に詐欺に引っかかり大損をしてしまう。会社経営なんて、ある意味でのギャンブル。真の意味でのギャンブラーではない私は、自分で新たに事業をしようなんて気にならないものなあ。
ギャンブルって決断なんだと思う。いくつかの選択肢からどれを選ぶか、人生は数限りない選択に満ちている。次にどの本を読むかだって決断だ。その本が面白いかつまらないかは運次第。人間、多かれ少なかれギャンブルをして生きているようなものに違いない。
人生そのものがギャンブルなのに、バカラなんてやっている奴らは、バカら―――なーんて言ったりして・・・。