May.3,2003 旅のスタイルの考え方が変化した

        海外旅行に興味を持ったのは二十代の後半に入ってからだった。友人Sに誘われるまま、旧正月の香港に旅立った。Sが旅行に先立ち読んでおけと言ったのが、山口文憲の『香港旅の雑学ノート』と、沢木耕太郎の『六十セントの豪華な航海』だった。山口文憲のものは、よりディープに香港を知るのに役だった。そして沢木耕太郎の短いエッセイは香港の足、スターフェリーに乗ってみたいと心の底から思えてくる文章だった。九龍と香港島を結ぶスターフェリー。アイスクリームを買い込み船に乗る。片道の運賃とアイスクリーム代を合わせると、当時六十香港セントだったことから、このエッセイのタイトルは生まれた。私が憬れのスター・フェリーに乗り込んでみたら、料金は値上がりしていて、1980年当時で、運賃プラスアイスクリームで一香港ドルくらいになっていた。夜風に吹かれてデッキから香港の夜景を眺めながらアイスクリームを舐めていたのを昨日のことのように思い出す。

        それからだった。沢木耕太郎は香港旅行のことを含めて体験した、香港からイギリスまでの旅の記緑『深夜特急』(全3巻)を発刊しだす。私はその旅のスタイルにすっかり憬れてしまったのだった。仕事も今ほど忙しくなかったこともあって、私は1週間ほどの休暇をときどき無理矢理に作って、東南アジアをうろつき始めた。航空券だけ買って、宿はその土地に着いてから捜す。食事は屋台か、なるべく安く土地のものが食べられるところで済ませた。私の気分は沢木耕太郎になったつもりだった。路線バスや長距離バスを乗り継いでタイを南下して行ったこともあった。やがて、そんな旅行をしている時間的余裕が無くなって、自然と海外旅行からは遠ざかってしまった。その次に私が夢中になったのはオートバイだった。

        きっと『深夜特急』を読んで旅立って行った若者は多いだろう。今では本屋さんの旅行エッセイの棚はたくさんの書物に溢れている。この人たちはきっと『深夜特急』を通過した人たちに違いないなと思う。長期間の休暇など夢となってしまった私は、ときどきこれらの本を買って、彼らの体験したことを擬似体験するのが好きだった。ところが、それもだんだんと鬱陶しくなってきて、やがて読まなくなってきた。それはなぜなんだろうと思っていたら、沢木耕太郎の新刊『一号線を北上せよ』(講談社)を読んでいてわかってきた。

        『一号線を北上せよ』は、沢木耕太郎が比較的最近に体験した旅の記録が集められている。旅への憬れを導く導入部の『一号線を北上せよ』から、『キャパ』を訳し終えたあとのパリの旅、1991年のホリフィールドV.Sフォアマン戦観戦のためのアトランティック・シティ、『檀』執筆後のポルトガル、スキー滑降レースを取材するアルプス、昔の記憶を辿るスペイン、そしてそれらを挟みこむようにヴぇトナムへの旅が2篇が描かれる。

        やっぱり注目はベトナムを南から北へと縦断する一号線をバスで旅をする『ヴェトナム縦断』。これを読んでいて、さすがに五十代になった沢木耕太郎の変化が感じられた。二十代のときの節約旅行ではない、のびのびとした旅行記は、読んでいて今の自分の気持ちにしっくりくる。沢木は、ホテルもできるだけ安いところに泊まろうという考えから、できるだけ安い割りには快適なホテルに泊まろうとするようになっている。安く旅をすることだけが目的化してしまっているバックパッカーたちへの疑問を感じるようになっていて、逆に日本から来た団体旅行の人たちの方がよっぽど旅を楽しんでいるのではないかと思うようになっている。それなのだ。私が貧乏旅行をしている人たちの文章を読むのが辛くなってきたのは。安く長く旅行したことの話が、もう私にはどうでもいいことのようになってきたのだ。

        とは言え、私は今でもよく、どこか外国の知らない土地にひとりでポツンと立っているという夢を見ることがある。その日空いているホテルが見つからず、どうしようかなあとボンヤリと思っている。困ったなあと思うものの、妙にワクワクしている自分がいたりする。先行きの不安よりも自由であることの開放感。それは何事にも変えがたい興奮を覚える。いつかまた、私も・・・・・。


このコーナーの表紙に戻る

ふりだしに戻る