January.17,2004 志ん朝さんが呼んでいた

        私の中学生時代は、ちょうど演芸ブームの中にあった。テレビで放送される演芸番組は全て観ていた。寄席中継番組はもちろん、寄席芸人がゲストなどで出ているドラマやバラエティもチェックしていた。そんな私を見た父が、ある時、銀座の[東宝名人会]に連れて行ってくれた。落語という芸が、実しテレビの枠に収まらない、もっと凄いものなのだという発見は私を虜にしてしまった。それからというもの、ホール落語にせっせと通うようになった。ませた中学生だったのだ。定席にはほとんどいかなかった。出演者が短い持ち時間しかない定席では本当の落語は出来ないと頑なに思い込んでいたのだ。

        やがて私の興味は落語から映画に移っていってしまった。一応の古典といわれている噺はほとんど聴きつくした感じだったし、何よりホール落語はお金がかかった。数百円の入場料金で三本立ての映画を観られる名画座の方が得な気がしていた。一年で何百本の映画が観られるか。そんなことに夢中になっていたのだ。

        もっとも、すっかり落語を観に行かなくなったわけではない。お気に入りの人の出ている落語会には、年に何回か行っていた。そしてここ五年くらい前から、また私の中に落語が取り付き始めた。三年前にはついに『客席放浪記』というコーナーを作ってしまったくらいだ。その三年前の春、久しぶりに、本当に久しぶりに定席に足を運んだ。池袋演芸場。古今亭志ん朝が主任を務めるとあって、場内は満員。トリの志ん朝の出番の前までは、私は初めて観る噺家さんもいる。なんとうかつだったんだろう。長年、定席に行かなかったのは失敗だった。次々と新しい噺家さんたちが生まれていたのだった。そしてトリの志ん朝師の登場。やはりナマの志ん朝落語は違う。私は、志ん朝さんの一言一句、一挙一動を見逃さないようにと夢中になって聴いていた。そうだ、やっぱり志ん朝師匠の高座を追いかけよう。それと、他の定席にも通って、いろいろな芸人さんを観ようと、その夜、決心していた。

        おそらく、その夜、志ん朝さんが定席に出ていなければ、私はまだ定席に行く気になっていなかったかもしれない。あの日は、きっと志ん朝さんが私に、「定席においでよ」と合図を送っていたんだと、勝手に解釈をしている。

        そしてその年の八月。浅草演芸場、恒例、住吉踊り。志ん朝さんが音頭を取って毎年行われている催し。これは観ておかねばと、初日に出かけた。開演前に入ったのに、席をようやく確保できたというぐらいの超満員。昼のトリで出てきた志ん朝さんは、あとで聞くような具合が悪いというそぶりは、まったく感じられなかった。毎朝隠れて止められているビールをこっそりと飲むといった漫談をして、さあ、舞台には上がりきれないほどの出演者が上がっての住吉踊り大会。いいものを観たなあ。来年もまた来ようと思って演芸場を出た。

        そして十日間の興行のあとの入院。年内一杯は高座を休むということだった。とすると、年が明ければ、また、志ん朝さんの高座が観られるまだなと楽しみにしていたのだ。それが・・・、10月1日、志ん朝さんは、亡くなってしまった。

        志ん朝さんは、私の前に、定席の楽しさを思い出させてくれ、住吉踊りも間に合わせてくれた。そして、あっさりと去っていってしまった。

        大友浩『花は志ん朝』を読んで、ハッとしたのは、志ん朝さんの落語は、言葉数が非常に多いという指摘だ。それは志ん朝さんの落語が「わかりやすさ」を目指した落語だからだという。そしてそれは芝居に出ることによって編み出した独特の落語らしい。その場の情景や雰囲気がわかりやすいように工夫された落語。まるで芝居でも観ているかのような落語。

        そうか、そうだったのか。明治座に出ている間の様子も、共演者の話などから、いろいろと書かれている。明治座にご出演のときに、毎朝私の店に顔を出して、そばを食べていた志ん朝さんの姿が浮かんできた。なんだか独特のオーラを持つ人で、私はあまり話しかけられなかったのだが、ときに世間話のようなものを交わしたときもある。緊張しっぱなしだったが。

        『花は志ん朝』を風邪をひいた夜に読み終えた。別に悲しい本でもないのに、私はボロボロと涙をこぼしていた。


January.10,2004 たしかに大仕掛けに騙されはしたが・・・

        去年の秋から、いよいよ一日の労働時間が16時間の男になってしまった私です。以前の一日14時間労働時代もきついといえばきつかったが、さすがに一日16時間も働くとなると、しわよせが一気に来る。なにせ一日は24時間しかないのだから、24時間引く16時間は、8時間。この8時間に睡眠と、パソコンに向かっている時間、ビデオを観る時間が全て含まれることになる。

        具体的に書くと、朝は4時に起きて、夜に仕事が終わるのが10時半。これから寝ても翌日の午前4時に起きると睡眠時間が5時間半。昼間にとびとびに計2時間半の休憩時間があり、ここで足りない睡眠時間を調性するために昼寝をしたり、ビデオを見たり、こうやってパソコンの前に座っていたりする。

        当然の結果として週末の朝は、平日の疲れが出て昼近くまで眠っていることになる。普段あまり出来なくなったホームページの更新を、週末こそ早起きしてやろうと思っても、若い頃と違って身体が許してくれない。週末になると疲れが出て早く起きられないと、年下のCさんに言うと、「そういうのが、普通なんじゃないですか?」と正論のようなことを言われてしまった。

        週末は好きな落語、芝居、ライヴ、映画などにも行くし、溜まってしまっているビデオも観たい。そして、読書も趣味のひとつだから、これも移動の最中などをフルに使って読めるだけ読むようにしている。それでも、読める冊数は限られているから、実際に読む本は、面白いと評判のものを読みたい。ハズレだったでは悔しくてしょうがなくなる。

        ハズレでないミステリを選ぶには、やはり毎年年末に出る『このミステリーがすごい!』だろう。正月は、久しぶりにまとまった時間が取れる。何か一冊、集中して読もうと思い、2004年度版を買ってみた。海外編のベスト10に入った作品で読んだのは、3位マキャモンの『魔女は夜ささやく(上下)』のみ。国内編のベスト10に入った作品で読んだのは2位の福井晴敏『終戦のローレライ(上下)』のみ。どちらも物凄く面白かったなあと思い返し、さて、正月に何を読もうと考え、国内編の第1位になった歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』に決めた。どうやら、作品全体に仕掛けがされているらしい。ようし、騙されないで読んでやろうじゃないか、いや、騙されてしまってもそれは快感ではないか。

        さあて読むぞと、コタツに脚を突っ込み、ページを開く。[俺]という一人称の主人公のハードボイルド小説のようなスタイルなのにまず驚いた。しかも、重い文体ではなく、軽い乗りの文章。どちらかというと、ゲーム機のアドベンチャー・ゲームのような乗りの文章なのだ。しかも、いくつかのエピソードがポツポツと出てきて、それらはあとで関連するものだったり、主人公の昔話だったりする。「?」となる私の頭。この小説はいったい、どんな仕掛けが最後に明かされるのか、さっぱり思いつかない。

        この仕掛けが明かされるのは、本当に最後の最後といったところまで来たときになる。あまりのことに私の頭の中は呆然となってしまった。それこそ本当に考えてもいない仕掛けだった。このことは、ちょっとでも何かを書くとネタバラシになってしまうので書けないのだが、「それは、読者のみなさんが、読んでいる間、自分で勝手に解釈してただけでしょ」という作者のニヤリとした顔が浮かぶようだ。

        いや、本当に騙された。これは素直に認めよう。こういう手もありだとは思う。ただ・・・、ただですね、これが『このミステリーがすごい!』の1位になるとは思えないのだ。2位の『終戦のローレライ』の読後の満足感に比べると、さすがに落ちる。

        そして、言わせてもらえば、騙されたという快感があまり湧いて来ないのだ。「それは、勝手に読者の皆さんが思い込んでいただけでしょ」という手は、ジェフリー・ディーヴァーなんかも使う手ではある。しかしそれは、小技として作品の中でピリリとした薬味として使われることがほとんどで、それが全てではない。かのディーヴァーが変わったとされる『静寂の叫び』にしても、グイグイと引っ張ってきての、「えっ!?」という背負い投げ。そして、そのあとに続く展開の面白さへと繋がっていく。

        最後の最後で、「はい、騙されたでしょ」では、満足感が得られない。けっして、この本がつまらなかったわけでもないのだが、こちらの期待がもっと大きかったのかもしれない。


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