June.26.2004 深川の鈴の意味がわかった

        今年の2月に神田山陽の『ネンガジョーズ』というのを聴いた。小学校3年生のころから26年間に渡る山陽本人と、密かに恋心を抱いていた同級生の女の子との年賀状のやりとりを読み上げていくというもの。相手の女性がウイットに富んだ返事を書いてくるのが面白く、なかなか楽しいネタになっていた。

        中で、青年期の山陽が川口松太郎の『人情馬鹿物語』を読んで、中でも第4話『深川の鈴』に感動したということを書き添える。そのうちに、相手の女性は他の人と結婚。やがて離婚。山陽が真打昇進を決めたころ、思い切って一度逢えないかと年賀状に書いて送ってみる。すると「『深川の鈴』にてご遠慮いたします。えへへ」という返事が返ってくる。

        これを聴いてから無性に『人情馬鹿物語』が読みたくなった。帰りがけにいくつかの書店を覗いてみたのだが、どこにも置いていない。どうやら絶版になっているようだ。日本橋図書館に行けばあるだろうと行ってみればここにも置いてなく、館内のコンピューターで調べてみれば月島図書館には置いてあるとの情報。ただし貸し出し禁止。その後古本屋を見つけると入って探し回ったが手に入らない。それが先日、知り合いの人が「これ、読みます?」と一冊の文庫本を貸してくれると言う。なんとあれだけ読みたがっていた『人情馬鹿物語』ではないか。講談社大衆文学館1995年発行。ありがたくお借りすることにした。これで『深川の鈴』の謎が解ける。

        『人情馬鹿物語』は川口松太郎の自伝的な小説であり、森下に住む講釈師悟道軒円玉の家で修行していた当時のことが書かれている12話からなる連作集。これが読み始めてみると夢中になる面白さ。川口松太郎の小説を今まで一冊も読んでいなかったことが悔やまれるくらいだ。そのストーリーテリングの巧みさといったら、その当時だけではなく、今でもそうそう敵う作家は少ないのではないだろうか。一篇一篇が実に上手く出来ていて、読み始めてすぐに結末が予想できたのは一本も無かった。「ええーっ、こんな結末に持っていくのかあ!」という驚きが私を襲う。そして読みやすく、きれいな文章がなんともいい。

        書かれたの昭和29年だが、時代設定は大正時代である。場所は私の住む東京下町。森下、水天宮、人形町、浜町、中州、蛎殻町、新大橋といった私の生活する空間が舞台である。地名が出てくるたびに、「ああ、あそこあたりなんだ」とすぐに場所が浮かぶ。現在の場所が頭の中で大正時代の風景に変わっていく。もちろん私は大正時代は知らないが、妙にノスタルジックな思いに駆られる。

        『人情馬鹿物語』では川口松太郎は自分の分身を信吉という名前で登場させている。全12篇のうち、信吉自身のことについて書かれた話は2篇だけ。第9話『丸髷お妻』と、そして第4話『深川の鈴』である。『丸髷のお妻』は、森下の博打場に手入れが入って逃げて来た女博徒を、信吉が逃がしてやるところから始まる。後日、信吉は水天宮でこの女賭博師お妻と再会する。お妻は小料理屋をやっていて、先日のお礼にと座敷に上げてご馳走をする。これが罠のようなもので、「恩返しをしたい」というお妻の言葉に酔った勢いもあり、一夜を過ごしてしまう。この夜のことが忘れられず、信吉はお妻と同棲するようになるのだが・・・。露骨な描写は一切無いが、読んでいると妙にエロチックな小説で、ヘタなポルノ小説よりも濃厚なエロスが感じられる。

        そして『深川の鈴』である。亭主を亡くしてふたりの幼子を抱えた寿司屋の女将お糸のところに信吉が訪ねていく。円玉に、お糸と一緒になれば小説家として食えなかったとしても、生きていかれるとそそのかされてのこと。こちらの話でも、信吉はお糸と同棲を始めてしまう。いったい何が深川の鈴なのかという疑問は最後の方になって明かされる。これがまた実にエロチックなのだ。これも直接描写を避けた間接的表現なのだが、鈴の音がいつまでも頭の中で響いているような印象と共に読み終わった。信吉はお糸とは別れてしまうことになるのだが、後年、お糸の消息がわかる。「是非会いたい」と連絡をすると手紙が返ってくる。「今はお目にかかりたくありません。女は年を取ると変わり過ぎて我ながら恥ずかしく、古いし写真がありますから、どうかこれで、昔を思い出してくださいませ」

        ふうん。女心とは、そんなものかも知れないなあ・・・・・・と、また山陽の『ネンガジョーズ』の女性のことにも思いが飛ぶのだった。


このコーナーの表紙に戻る

ふりだしに戻る