September.20,2004 今回も読者に仕掛けられたトリックなんですが・・・・・

        ティエリー・ジョンケ『蜘蛛の微笑』なんていう手の込んだ小説を読んだあと、歌野晶午の『ジェシカが駆け抜けた七年間について』(原書房)を読んだ。去年話題になった『葉桜の季節に君を想うということ』を書いた作家だ。どうも私はあの本自体に仕掛けられた読者に対するトリックを、あまり面白いと思わなかったのだが、総じて評判はいいようだ。

        で、『ジェシカが駆け抜けた七年間について』だが、女子マラソンをテーマにして、よく取材してあるし、なかなかに読ませるのだが、今回も読者に対しての時間トリックを用意している。読み終わって、「ははあ、そういうことだったのか」とは思うのだが、なんだか物足りないのだ。前作同様、「それは読者が勝手に思い込んでいただけでしょ」という盲点を突いているのだが、これがもう前作と違うのは、「そんな一般的でないことは、わからないよ」という思いなのだ。騙されて楽しかったという快感がまたもや湧いてこなかった。読んで損したとは思わないが、『蜘蛛の微笑』が徐々に全貌がわかってくるという構成にワクワクさせられたの対し、『ジェシカ・・・』には突然に作品全体の構成が明かされても「ふ〜ん、そうなの」くらいにしか感じられないのだ。

        このへんが歌野晶午の淡白な点で、もっとこってりと、力技で読ませるものを書いて欲しい。これだとワンアイデアのためだけに早急にこしらえた小説という印象になってしまう気がするのだ。


September.5,2004 幻夜だな

        「名作『白夜行』から4年半。あの衝撃が、今ここに蘇る」のコシマキの文字に手に取った東野圭吾の『幻夜』。



        『白夜行』といえば、かの悪女小説。西本雪穂の物語は衝撃的だった。そしてここにあの姉妹編ともいうものが誕生した。新海美冬。自分がより人生の成功者になれるためには、他人を利用するだけ利用して、あっさりと棄てていく。学生時代、卒論に『風と共に去りぬ』を選んだというあたりが、いかにもの設定。私は、マーガレット・ミッチェルの原作を読んだことはないが、映画は観ている。男の私からすると、わがまま勝手な女性がやりたい放題の限りを尽くすというだけの話で、どこが名作なのかさっぱり理解できないものだった。

        そこへいくと東野圭吾のものは、最初から悪女ということがわかっているから、その作品世界にのめり込んでいける。話は1995年の阪神淡路大震災から始まり、ミレニアムの大晦日で終わる。その間に、震災で焼け出された美冬は、社会の頂点に立っていることになる。多くの男達を犠牲にして。それでも不思議と惹かれていくのは文章の力なのか。案外、映画化されて生身の女性が演じると、嫌だなあと思えてくるかもしれない。最後の方はCGで美冬を作るしかないだろうなあ。

        どうでもいいことなのだが、気になった点。324ページからの、雅也が倉田頼江に接近するところ。曳船から浅草へ出て、地下鉄で人形町に出る。都営地下鉄浅草線人形町の駅を出て、新大橋通りまで歩く。水天宮の交差点で向かい側に建つビルにある陶芸教室から頼江が出てくるのを見張る。書店で立ち読みをしながら見張っていることになっている。たしかにそこには現実に書店はある。でも・・・・・残念!! 設定の1999年時点では、あの書店はまだ存在していませんから!!(笑) それと、雅也に心を寄せる有子が雅也をつけて人形町に出てくる。人形町で鰹節を買うという目的もあるのだが、はて、人形町に鰹節問屋なんてあったっけ? まあフィクションなんだから、どうでもいいことなんだけどね(笑)。

        それにしても美冬の正体は驚き。♪生きていたとは お釈迦様でも 知らぬ仏の ○○さん えっさほー 幻夜だなあ


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