December.18,2004 客席の向こう側

        落語家になりたいとは思わない。いや、正直に言うとその昔、中学生のころに落語家に憧れた時期があった。レコードや落語の本を参考にして密かにひとりで稽古していたこともあるし、放課後に友人に聴いてもらったこともある。文化祭では『笑点』大喜利の真似事をやったこともある。しかし、はっきり言って自分には向いていないことがわかって、さっさと落語家になろうなんて夢は放棄してしまった。

        それでもときどき眠っている間に見る夢の中で、私は前座修行している落語家になっていることがある。何も出来なくて寄席の楽屋でウロウロしているだけで、兄弟子に怒られているばかりという嫌な夢なのだが、それでもワクワクした気持ちになる。もし、一日だけ願いを叶えてあげると言われたら、私は寄席の楽屋に一日中座っていたい。

        林家彦いちの『楽写』は、そんな寄席の楽屋の様子を写した写真集。これが実にいいのだ。



        おそらく、プロの写真家が撮っても、芸人さんたちはこんな表情をしてはくれまい。これは楽屋に溶け込んでいる彦いちという仲間内という存在に対してだけ見せる表情だろう。カメラを前にしてふざけて見せる円丈、喬太郎、白鳥、昇太。これは新作仲間という連帯感から来るものなのだろうか。そういえば中野芸能小劇場での[落語ジャンクション]の楽屋の和気藹々とした楽しそうな楽屋の様子も、想像していたとおり。一方、出番を前にして緊張感を覗かせている落語家の様子もある。木久蔵、三木助、円太郎、花緑、円歌、円蔵らが、その高座の明るさの前に真剣な顔つきで出番を待っている。舞台袖から他の人の高座を見つめる志ん駒、昇太、船橋、三太楼、船辰、こん平、たい平。そして袖から撮った落語家の高座姿。普段は客席から正面で見ている私達には、この角度の構図は観た事がない。

        客席側からしか知らない寄席の向こう側。それを、写真と見取り図を使って教えてくれる。上野鈴本の楽屋の見取り図は、「へえー、こうなっているのか」という驚きがある。前座さんの仕事も、これらの写真と文章によって、かなり具体的にわかってきた。かなりキツイ仕事であることが手に取るようにわかってくる。やっぱり落語家にならなくてよかったと思うと同時に、またこの次に見る、自分が落語家になって楽屋で前座修行している夢は、より具体的なものになるだろうなあと思えてきた。


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