August.12,2005 不可解な作家

        事の起こりは、店の2階座敷を貸してくれないかということだった。そう言ってきたのはシティ・ボーイズのきたろう。なにかと思ったら、近しい人を集めて講談をやりたいというから、ただ事ではない。「どうぞどうぞ、ウチには大きな座布団、毛氈、それに釈台もありますよ」・・・・・って、どんな店に行っても釈台があるそば屋なんて日本中探してもウチくらいなもの(笑)。

        そんなこんなで、きたろうの講談の会は10人ほどの観客を前にして平日の夜に行われたのだった。「ご主人もどうぞ聴いてください」と言われたのだが、こっちは仕事中。店をほったらかして講談を聴くわけにもいかない。「これはね、そば屋の噺なんですよ」と言うきたろうさんに、これは是非聴きたいなあと思ったのだが、そうもいっていられない。それでも下で仕事をしながら階段の下で耳をダンボにしていた。

        最高のそばを打つことに人生をかけた若者が、人里離れた、そばの産地であり、いい水が湧いている場所にそば屋を開店する。妥協を許さないこの男は、ツナギを使わない、そば粉十割のそばを打ち、そば汁はそばの香りを殺すものと判断。水で食べさせることにする・・・・・というところまではわかったのだが、仕事が忙しくなってその先は聴けずに終ってしまった。

        あとで聞けば、この噺は、倉阪鬼一郎の『無上庵崩壊』という短編小説を、きたろうさんが講談の形に脚色したものだそうなのだ。私は倉阪鬼一郎という作家の小説をこれまで何も読んでいなかった。ぜひとも原作だけでも読んでみたい。『無上庵崩壊』は『田舎の事件』という短編集に収録されていることをつきとめ、神保町界隈を捜してみた。幻冬舎文庫の棚を、隅から隅まで見たのだが、どこの本屋にも在庫がない。これはどうやら絶版らしい。頭を切り替えて、古本屋を当たることにしたのだが、どこにも見当たらない。唯一、同じ冬幻舎文庫に収録されている『不可解な事件』を100円でみつけて、これだけ購入して帰って来た。



        どうやら、これも『田舎の事件』と同じく、ド田舎で起こる奇妙な味の短編集らしい。文章が読みやすい上に、けっこう私好みのブラック・ユーモアに溢れる話がズラッと並んでいるので、あっという間に読み終わってしまった。一番好きなのは『街角の殺人者』かなあ。

        それにしても、『無上庵崩壊』の結末が気になる。試しにアマゾン・ドット・コムにアクセスしてみた。すると『田舎の事件』は古本はもちろん、新品でも売っているではないか! 本当なのかあ?と思いながら、この本をクリック。アマゾン・ドット・コムの怖さはこれなのだ。私の友人の話ではないが、酔っ払っていて気が大きくなっていると、ついついあれこれクリックして買い込んでしまい、あとで大量の本が自宅に配達されてしまうことになる。なにせ、ワンクリックで取り引きが成立しちゃうんだものなあ。今回不思議に思ったのは、発送は1ヵ月先になると表示されたこと。なんで本一冊を送るのに1ヵ月もかかるんだろう。それに、本当に在庫なんてあるのだろうか?

        それにしてもこの作家が気になる。大きな書店に行ったらば、文庫本は見つからなかったが、単行本、新書本はけっこう置いてあった。その中から去年カッパ・ノベルズから出た『42.195』というのが気になって買ってきた。



        無名のマラソン選手の息子が誘拐される。犯人側の要求は、お金ではなく、東京で行われるマラソン大会で2時間12分を切れというもの。この選手は2時間18分ほどがベストタイムの、優勝とはほど遠い存在。6分も縮めなければ息子の命がない。犯人はなぜ、優勝しろとか、何位以内に入れという要求ではなくタイムにこだわるのかが謎。しかも、警察に連絡するなとは警告していない。

        この事件は案外あっさり解決するのだが、この裏で第二の誘拐事件が起こる。これもまた、この一週間後の女子マラソンで犯人は別の要求をしてくるのだが・・・・・。

        章立てが、マラソンに合わせて42章になっていて、さらにエピローグの形で0.195がある。事件は一応解決するのだが、最後の42章を読むと、「なんじゃ、こりゃー!」と読者は叫びだすに違いない。「では、では今までのは何だったの?」と思うに違いない。もうミステリの枠を飛び出しちゃってるのだから(笑)。

        で、先日、ついにアマゾン・ドット・コムから『田舎の事件』が送られて来たのだ。


このコーナーの表紙に戻る

ふりだしに戻る