November.7,2007 エグい話をサラリと書く宮部みゆき
うまいなあと思う。宮部みゆき『楽園』である。浅草橋を汗をかきながら歩く中年女性の描写から、「ああ、こういう人っているよなあ」と思わせ、この萩谷敏子と『模倣犯』以来久々に登場する前畑滋子の会話が100ページ以上も続く。それがまったく飽きさせない。萩谷敏子というキャラクターも読み進むうちに、どんどん「こんな人っているよな」という気になってくる。
『模倣犯』との繋がりは、あまり無いのだが、ところどころに『模倣犯』のことが出てくる。もうずいぶん前に読んだので忘れてしまっていたのだが、上巻に『模倣犯』の広告チラシが入っていて、ざっとした粗筋が読めるようになっている。これで、すっかり思い出した。『楽園』は『模倣犯』のような派手さは無い。死んだ息子の残した絵の謎を調べて欲しいという萩谷敏子の依頼に前畑滋子が乗り出すという話。それにすでに時効を迎えた子殺しの事件がからむ。『誰か』『名もなき毒』の杉村三郎シリーズのように、どうってことのない事件を調べていくうちに、いろいろなことが出てくるという、最近宮部みゆきが得意としているタイプの小説といえる。
『模倣犯』という小説は、かなりエグい内容だったのだが、やはり女流作家なんでしょう。そのエグい部分をサラリと書いていて、不快感がなかった。しかしそれは一方の見方からすると、やや物足りない気分になったものだが、『楽園』でもそれはいえる。その部分が書かれていないので、読者は、ひたすら妄想をかきたてられることになる。それは、過去を調べていくうちに現在はスナックのママになっている女性を前畑滋子が直撃した際に、そのことに触れた描写によく現れている。どうしても聞き出したい滋子は、ママと店で二人だけになってベロベロに酔っ払って話を引き出す。それも文章に表れるのはサラリとした表現だけ。エグい部分を本当に読みたい人は、別の作家を読みなさいと言っているかのよう。
それにしても、『楽園』を読んでいると、人間って悲しいよなあと思える。とくに善良な人ほど悲しい。善良であろうとすればすれるだけ悲しい目にあう。それが現実なんだろうか? そういう意味では、宮部みゆきはエグい。優しさの前提として、これでもかと悲痛な世界を曝してくる。