April.14,2008 上手い、本当に上手い作家がいたものだ

        桜庭一樹という作家を知ったのは去年の『赤朽葉家の伝説』が最初で、読む前はてっきり、その名前からいって男性作家だと思っていた。上手い作家が出てきたなあと感心したものだ。宮部みゆきの登場もショックだったが、今回の驚きはそれを上回っていたと言っていい。

        そうこうしているうちに、桜庭一樹は今年に入って『私の男』であっさりと直木賞を受賞してしまった。あらあら。「直木賞受賞」の帯をかけられ書店に平積みされた本を取るのは、いささか恥ずかしかった。別に恥ずかしがることはないのだが、そんな話題作を手に取るのが昔から嫌なのだ。屈折した読書体験だこと! いや、恥ずかしいのはそれだけではない。この表紙を見てなんのためらいもなく手に出来る人はうらやましいと思うのですよ。

        読み出して、あらららら、『赤朽葉家の伝説』を書いた人とは別人なんじゃないかというテーマや文体に唖然とさせられることになる。そしてこれはこれで小説として上手いなあと再度驚かされた。内容はというと父と娘の禁断の愛(直接の父と娘ではないのだが)とくるから引いてしまうのだが、それでも読ませるのは最初の章が一番時間的にはラストになっていて、娘は父の元を離れて別の男性と結婚するところから始まるわけで、読んでいて許される範囲に入るからだろう。話は全部で六章に分かれていて章が進むごとに前の時代になっていく。そのへんの構成も上手いなあと思わせるところだ。

        私くらいの歳になると、もうこういうテーマはちょっと嫌だなあと思うのだが、そこがそれ女流作家なんですなあ。もしこれを男が書いたら、私は途中で本を投げ出してしまっていたかもしれない。


April.12,2008 ネタの時代

        ラサール石井『笑いの現場 ひょうきん族前夜からM−1まで』。角川SSC新書だ。まさにズバリといったタイトル。全体が二部構成で、第1章が「コント赤信号で見たお笑い界◎ノンフィクション編」、第2章が「お笑い芸人列伝◎評論編」に分かれているが、第1章の方が圧倒的に面白い。コント赤信号を結成してお笑い界にコント芸人として乗り出していった時代の1980年前後、時は空前の漫才ブームだった。このときの漫才ブームは考えてみると短命だった。ごく限られた漫才師たちが忙しく各テレビ局を股にかけて走り回っていて、そうそう新しいネタは出来ないからやがてはネタに困りだして破綻していっていた。もう漫才ブームも終わりかけていた頃、ある漫才番組で若手漫才師が「オレたちを殺すのか」と悲鳴をあげて訴えていた姿を目撃したことがある。それをたしなめていたのが横山やすし、きよし。

        ラサール石井によると、いわゆる[ネタの時代]はここで終焉してしまう。テレビからは、ただ芸人が持ちネタを演る番組はほぼ無くなってしまい、芸人たちは持ちネタを要求されなくなり、バラエティやトークショウ番組ばかりが並ぶことになる。そこで生き残ったのが、第2章の芸人評、ビートたけし、明石家さんま、志村けん、とんねるず、ダウンタウン。私はこのネタの時代の終焉と同時にほとんどバラエティ番組を観なくなってしまった。唯一の例外が『オレたちひょうきん族』。ここでたけし、さんまと一緒に笑いを取っていたコント赤信号は見続けてはいたわけだ。

        リーダーの渡辺正行はバラエティで頭角を現し、その一方で新人コントを育てるという方向も忘れなかった。ラサール石井は、ラサール高校卒業ということから独自の勉強ができるコメディ・トークを確率し、芝居の作・演出を手がけるようになる。小宮孝泰はバラエティ・トークが自分に向いていないと感じて役者の道を歩み始める。そしてパンタロン同盟というコント・ユニットで、ラサール石井と小宮孝泰は清水宏、春風亭昇太と、いわゆるネタを演り続けることも忘れなかった。

        今のお笑い界はどうなのか。立派にネタの時代が戻ってきた感じだ。その下地を作ったのがNHKだったのは皮肉か? 『お笑いオンエアバトル』はもう10年も前から漫才やコントを放送してきた。おそらく今のお笑いブームはこの番組の存在が大きかったろう。そして『エンタの神様』である。

        今、お笑い芸人と呼ばれている人はどのくらいいるのだろう。実は量も質も今が最高なのではないだろうか? もちろん観るに耐えないものもある。それでもこんなにネタが面白い時代は無かったはずである。テレビは相変わらずバラエティものが主流である。こういったお笑い芸人たちも、そういった番組に引っ張り出されていじられたり、トークをさせられたりする。しかし、一方でネタを作り演じることも忘れていない。すっかりバラエティに行ってしまったと思ったキングコングがM−1に出場して決勝にまで残ったのは耳新しいし、『エンタの神様』にもインパルスやドランクドラゴンや陣内智則は出演し続けてネタを演っている。私はこういった人達に最も好感を抱くのである。

        ちょっち違うかもしれないが、寄席で噺家が漫談だけ演って一席やらず帰ってしまう人がいて、どうもあれが私は苦手だ。せっかく寄席の高座に上がったのだから短くてもいいから噺を一席演ってほしいと思う。

        帰ってきたネタの時代。私は最近寄席ばかりでなく、これはと思ったコントライブも観に行くようにしている。


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