August.18,2008 最初の章だけ短編として出していたら

        雑誌の批評欄でやけに褒めていたので購入した蒼井上鷹の『まだ殺してやらない』。章割りが第一部から第五部まであって、第一部を読んだときには、これは面白いと思った。残忍な連続殺人鬼の被害者の4組の家族が、長野のペンションに集る。そこから世間では[カツミ]と言われている犯人について推理していこうというのである。この部分は抜群に面白い。50ページほどなのだが、展開が速くて、あれよあれよと物語は、思いもしなかった方向へ進んでいく。思うに、この第一部だけを短編小説として発表すればよかったのではないか。

        というのも、第二部になると途端に話が停滞しはじめ、なんだかダラダラとしてくる。なんでこんなのを読まされているかとイライラしながらも、第二部のタイトル『「次」を待ちながら』の意味に第三部以降の展開がきっと、あっと驚くことになるに違いないという期待から読み進めた。ところが次の章になっても、あの第一部のような面白さはさっぱり無く、これ、本当に同じ作者が書いたのだろうかとの疑問すら沸いてくる。

        それで、そのまんまラスト。真犯人も、「そりゃないだろう」という意外な(?)つまらなさで、脱力感。あの評論家は、こういうのを本当に面白いと思うのだろうか? 


August.5,2008 体験談を落語家が語る語り口の見事さ

        『本の雑誌』2008年上半期ベスト1になった立川談春の『赤めだか』。雑誌掲載時に一部は読んでいたのだが、そのころから面白いと思っていた。

        談春が立川談志に入門してから二ツ目になるまでの4年間を綴ったエッセイなのだが、これが抜群に面白いのだ。談志が落語協会を脱退したのが1983年。談春の入門は1984年、二ツ目昇進が1988年。近年の談志は歳を取ったこともあって往年の充実度は見られないが、このころはおそらく最も脂が乗り切ったころで抜群に面白かった。しかもこれから立川流を発展させていこうという気力に溢れていたにちがいない。談春の目から見た談志の様子が実に見事に描かれているのだ。よくこうも微に入り細に入り書けるものだと感心したのだが、それはやっぱり落語家という職業の凄さなのだろう。人間を描く言葉を持っているのだ。しかもその人間の内面にまで鋭く切り込んでいる。

        あのころの談志を描くと同時に、自分の心情を冷静に吐露してみせる。その筆力には驚かされた。ここまで書いたのならその続きを是非読みたいものだが、それは無理なのだろうか? また私が最も好きなのが最終話『生涯一度の寿限無と五万円の大勝負』。二ツ目昇進に必要な資金を手に入れるために、手持ちの財産五万円を握り締め、競艇場で一発勝負に出るエピソード。ここはギャンブル小説の大好きな私も興奮した。私はギャンブラーではない。洒落でやっている競馬だって1レース千円しか賭けないのだが、私はギャンブルにのめり込むことが出来る人に対して憧れを抱いているのだ。そしてこんな話を読むことに夢中になってしまうところがある。

        まさにこれは名著といえる一冊なんだろう。談春が落語という形ではなく本という形でこういうものを世に出したことに興味を感じる。談志門下入門という体験を通して得たものだけが書けるものなのだろうが、並の作家には書けない凄みを感じる。


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