December.26,1999 鑑識の専門知識も面白い『ボーンコレクター』

        昨年の一月、銀座シネパトスという小さな映画館で、ひっそりと上映された映画がある。評論家はほとんど無視していたという記憶がある。タイトルが『デッド・サイレンス』。『ぴあ』の作品解説を見て驚いた。これは、97年度のミステリ関係のベスト10選出企画には必ず名前の挙がっている『静寂の叫び』の映画化だったのである。ミステリ好きのくせにして、近年さっぱり本を読まなくなった私は、手っ取り早くこれを見にいくことにした。

        館内はガラガラ。確か二週間で打ち切られたと思う。上映されはじめてビックリ。なんと画面がスタンダード・サイズなのだ。今時、スタンダードの映画なんてあるか? 後で知ったのだが、これはケーブル・テレビ用の映画とのことだった。話は聾唖学校の子供を人質にした犯人達とFBIの交渉合戦。交渉人の交渉技術を描いた、それだけでも面白い内容なのだが、あと20分を残して映画はエンディングに向かってしまう。「あれー、あと20分何やるんだろう」と思っていたら、その20分が、やたら面白い展開になるのだが、それは、ヒ、ミ、ツ。

        本を読んだという友人に聞いたら、原作もそうなっているという。これで、原作者ジェフリー・ディーヴァーの名前を覚えた。昨年の『監禁』は読んだのだが、どうもその変態的な内容が嫌だった。『静寂の叫び』一本の人だったのかなあと思っていたところに、今年の『ボーン・コレクター』だ。殺人鬼ものと解るし、骨のコレクターときては、『監禁』の路線かと思い、手がでなかった。しかし、バカに評判がいい。映画化もされた。「読んでみるか」。

        全身が不自由になってしまって、首から上と左手の薬指しか動かない主人公リンカーン・ライム。彼の鑑識に関する専門的な知識で、犯人のボーン・コレクターを追い詰めていく展開は、さすがジェフリー・ディーヴァーだ。犯人の動機も、ちょっと意外なのだが、作品全体を、うまく、まとめあげている。自殺願望のリンカーン・ライム。ライムの手足となって、馴れない鑑識作業を行う、心に傷を持つ美貌の巡査アメリア・サックス。ライムの優秀な看護士トム。これら個性的なキャラクターがよく立っている。

        最初のうちは、鑑識の専門知識が少々たるく思えていたのだが、段々と引き込まれていった。そのへんも、ちゃんと伏線にしてあるのだから、あなどれない。

        被害者が、全員死んでしまうわけでないのもいい。最近、登場人物がやたらに死ぬ映画や小説があるが、それはヘタだと思う。殺してしまえば、話がまとまりやすくなるが、どうも後味がわるい。この『ボーン・コレクター』を見なさいよ、助かった****が、そのあと実は*******だったりするんだから。さすが、ディーヴァーひねりも効いている


December.23,1999 テレビドラマ化に期待してはいけないが

        テレビドラマ版の『OUT』が終了した。何回か見るのを止めようと思いながら、結局、最終回まで見てしまった。

        第一回のオープニングが抜群だった。田中美佐子の家族が引っ越してくる。ホーム用ビデオで、その様子が映し出されていく。やがて家族が、一般家庭にしては広すぎるバスルームで入浴している姿が見える。原作を読んでいる人はここでニヤッとするはずだ。うまい伏線画像だ。

        しかし、問題は、原作にない飯島直子の刑事役を、なぜ作ったのかということにある。この話、女刑事が出てきたことによって、いささかモタモタした展開になっていってしまった。特に後半になって、せっかく田中美佐子と柄本明の対決へと向けて緊張感が高まっていくのだが、女刑事のエピソードが入ってしまうことによって、散漫になってしまった。さらには、警察内部の不祥事など、本筋に関係ない話を盛り込んでしまったから、なんだかわからなくなる。原作を読んでいた人はイライラしただろう。

        もっとも最終回、見せ場はあった。今回、柄本明がいい。変質的な殺人者をうまく演じていた。対決シーンでの柄本は凄みがあった。


December.5,1999 まさに天才だった、谷岡ヤスジ

        『谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明』(実業之日本社)が出た。今年6月、谷岡ヤスジはガンで亡くなった。なんと享年56歳。そんなバカなである。

        『メッタメタガキ道講座』が、『週間少年マガジン』に連載され始めたとき、私には、この漫画の面白さが理解できなかった。悪戯書きのような絵、行き当たりばったりのストーリー。「何が面白いんだこんなの」である。それが、後年、まさに180度の転換。谷岡ヤスジの大ファンになっていたのだから、人間の、ものに対する見方はわからない。

        きっかけになったのは、山下洋輔のエッセイからだった。山下洋輔は谷岡ヤスジの一本の漫画を文章で、そっくりそのまま表現するということをしてみせた。その漫画も『天才の証明』の中に収録されている。213ページ、『アギャキャーマン』の一篇だ。今読んでみると、なぜか、山下洋輔の文章の方が面白かったという現象になってしまったが、山下洋輔も天才なんだろう。ジャズ・ピアニストが本業というのに、文章も超一流だもんな。私も蕎麦屋本業だけど、ホームページに載せる文章がうまくなれたらなあ。そんなわけで、私は山下洋輔の文章を読んだあと、神保町の漫画専門店に飛び込んだ。なんで私は谷岡ヤスジの面白さがわからなかったんだろう? 当時『谷岡ヤスジ・ギャグトピア』という1000ページ以上ある、電話帳のような本が発売になっていたからだ。ところが、時遅し、もう売り切れになっていた。

        それからだった、ごくたまにしか出ない単行本を心待ちにし、大人向けの週間まんが誌を毎週立ち読みしていた。この人の言語感覚は凄い。セミの鳴き声が、「ミーン、ミンミン」ではなく、「ガーシ、ガシガシ」だと表現できたのは偉い。私もすっかりセミの声を聞くと「ガーシ、ガシガシ」と聞こえるようになってしまった。

        私が特に好きだったのが、死刑囚のヨサクのところへ、タロ牛が面会に行くシリーズ。タロ牛がヨサクに会うと、ヨサク「また、おまーかー」「また、おまーかーは、にゃーじゃにゃーか。ところで、きょう、死刑になるんだっち?」というパターンのやつ。あれ、まとめて読めないかなあ。全集、文庫でもいいから出ないだろうか。無理だろうなあ。

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