快楽亭ブラック『立川談志の正体・愛憎相克的落語家師弟論』(彩流社) まず最初にお断りしておくが、私は快楽亭ブラック師匠に対して、あまりいい印象を持っていない。しかし、個人的な事を書くのは本意ではないし、ブラック師匠と違ってインターネット上に、なんでもかんでも書いてしまうという事を私はしたくない。本当は、書きたいことはたくさんある。ブラック師匠はおそらく、あまり深い考えも無かったのだろう。ご自分のブログで私がブラック師匠にお願いした落語会のことを書いた事があった。私は一読後、怒りを覚えたのだが、そのことも書かない。インターネットはなんでもかんでも書いてしまっていいものではない。 もちろん、書籍という形で出版するのならば、なおさらのことだ。書籍はインターネットと違って料金を取って、世間一般の人に読んでもらおうというものだから。そこには、実在する人物の実名で、その人の名誉に関わるような事は書くべきではないと考える。 去年の暮、立川談志が亡くなってから間もなく、快楽亭ブラックが立川談志について本を書いているという事を知った。なにしろ談志から破門されたブラックだ。何を書くのか興味があった。談志のことを誹謗中傷するだけの本だったら嫌だなと思いながらも出版されるのを心待ちにしていた。書いていると言われてから出版までは実に早かった。談志が死んだのが私の手術が終わった直後の11月下旬。退院した1月下旬にはもう書店店頭には並んでいたのだから。 200ページに満たない薄い本に活字が並んでいる。400字詰めで300枚もないだろう。思いつくままに、ほぼ時系列順に談志の思い出が語られている。ここで強調されるのは、とにかくお金の話。談志が金に執着していたという話が、これでもかと出てくる。実際そうだったんだろうし、それは談志本人も、あながち否定しなかったろうから、いいのかも知れないといった程度の内容だった。もっと人間性まで否定してくるのかと思いきや、さすがに師と仰いで弟子になった手前もあるのかもしれない。それでも談志が、やっぱり「お山の大将」でありたかったということが、これを読めばわかる。 もっとも読み応えのあるのは『家元の落語』の章。談志がよかったのは『黄金餅』『富久』『鼠穴』といった金に執着を持った人物が出てくる噺や『らくだ』のように屈折した心を持った人が出てくる噺だと断じ、得意としていた『芝浜』を、「(これでは)家元の言う、業の肯定どころか、明らかに業の否定だ」とバッサリと切って捨てる。『文七元結』の談志のサゲも、わかってない。あれもダメ、これもダメと容赦がない。しかしそれが、うなずけてしまうのだから、さすがに師匠の落語を傍で聴いていた人だけのことはある。 金、金、金。金に執着していたと書かれた談志。そう書いたブラックも、それでは金に執着がないのかというと、ブログを読む限りにおいては、なんだか、常に金の話を書いているような気がする。それが私にはどうも嫌なのだ。少なくとも自分が貰ったギャラの額の話なんて書かないで欲しい。冒頭で私の落語会の事をブラック師匠が書いたことに関しては触れない旨を書いたが、ただ一点、これだけは書かせてもらう。私がブラック師匠に払ったギャラの額がブログに明記されていたときには、がっかりした。師匠は額に失望されたのではなく喜ばれていたようだが、そう言う事を芸人は書くべきではないと思うから。 江戸っ子は金のことを話題にするのを嫌うもんだと思ってたけれどねえ。 2012年2月8日記 静かなお喋り 2月7日 このコーナーの表紙に戻る |