沢木耕太郎 流星ひとつ 新潮社 2013年11月5日 引退発表した直後の藤圭子にインタビューしたもの。もう30年以上前のものだが、沢木耕太郎は書き上げてからお蔵入りにしていた。藤圭子の歌にはあまり興味が無いが、この著作物の存在は知っていて、ぜひ読みたいと思っていた。今年8月、藤圭子が自殺したことによって、ようやく日の目を見ることになった。 1979年の秋に行われたインタビューだ。当時、藤圭子28歳。あまりに若すぎる引退に、なぜだろうと不思議に思っていた。その真相はすべてここに書かれているし、なぜ沢木耕太郎が書き上げたものをお蔵入りにしたのかも、そして今になってなぜ出したのかも、読んでみて理解できた。 まず驚いたのは、すべて藤圭子と沢木耕太郎の会話だけで進行する形式だったこと。会話以外の文章は一切ない。状況を説明する文章をすべて排除するというのは難しい作業だったと思うが、それをやり遂げている。インタビューの場所はホテルのラウンジ。藤圭子はウォッカ・トニックを注文して、沢木耕太郎もそれに倣い、ふたりで何杯ものウォッカ・トニックを飲みながら話をする。それは、歌手とインタビュアーという関係というよりは、知り合って間もない男と女が、相手の今までの人生を酒を飲みながら一晩かけて話しているように見える。当時、沢木耕太郎31歳。若い沢木だったから藤圭子も気を許して友達のように話したのかもしれない。 藤圭子の歌を上手いか下手かといったらば、上手いとは思うけれど、それを好きか嫌いかと言われれば、藤圭子の歌は好きになれないとしか答えられない。そしてここで明らかになった藤圭子という人そのものも、あまり好感は抱けない。ただ、そこには若くして歌の世界に入って、いろいろな経験をしたひとりの女の子の生き生きと語られていて、下手な小説を読むよりも面白くて夢中になってしまった。特殊な体験をしたという事を抜きにすれば、普通のひとりの女の子の生きた様を打ち明け話のように聞く面白さがある。 藤圭子はもうこの世にいないけれど、この1979年以降の生きざまを、沢木耕太郎に何年かに一回ずつのペースで継続してインタビューしてもらえていたらなぁと勝手なことを考えてしまうのだった。 このコーナーの表紙に戻る |