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宮田珠己『だいたい四国八十八ヶ所』

 昔から旅は好きだった。記憶が始まっている幼稚園の子供時代から、家から遠くまで歩いて行ってしまうのが好きだった。小学生になって自転車を買ってもらうと、ひとりでかなり遠出してしまい、両親を心配させていたのを憶えている。

 また両親も旅行好きだったから、よくいろんなところに連れて行ってもらっていた。

 中学二年の担任の先生も学生時代に旅が好きで、長い休みになると日本中を旅行していたなんてことをホームルームで話してくれるのを聞いていて、旅への憧れは募る一方だった。

 その影響もあって、学生時代は休みとなるとアルバイトをして貯めた金で国内を旅行していた。

 卒業後、三年間の会社員生活を体験したあと、家業を継ぐ前に友人と行った私の初めての海外旅行が私の旅行感を一変させることになった。違った文化を持つ国を旅することの魅力にすっかり心を奪われてしまったのだ。

 それからの数年間は両親に無理を言って、半年ごとくらいに一週間程度の休みを貰い、海外に一人旅に出ていた。私の旅の仕方は、とにかく新しい街に着いたら、ひたすら徒歩で、その街を歩き回ること。興味を持った店には片っ端から入ってみる。変わった食べ物があれば、とにかく口にしてみる。ちょうど沢木耕太郎の『深夜特急』が刊行されたこともあり、そんな旅の仕方に憧れていたのかも知れない。

 次第にそんなに長い休みを取れる環境ではなくなってきたころ、私は30歳を越えてからオートバイに興味を持つようになった。十代の若者に交じって中型バイクの免許所を取るために教習所に通った。「なんでそんな歳になってオートバイに乗ろうと思ったの?」なんて教官に言われながら手にした運転免許書。そして待望のオートバイが納品されてから、私の人生は大きく変わった。

 毎朝早く起きて、実際の車道でオートバイを走らせる練習を積んだ。日曜日ともなると晴れていれば、ひとりでツーリングに出かけた。峠道を走り抜ける楽しさは、世の中、こんなに楽しいものはないと思われた。

 そんなある日、叔父が亡くなった。この叔父は仕事で毎日原付バイクに乗っていた人で、若いころから「引退したら、このバイクで日本一周をするんだ」と言っていたものだった。それが結局はその夢も果たせないままに人生を終えていた。そのとき、私は「よし、私は叔父のようにはならない。私はいつかオートバイで日本を一周するんだと心に決めていたところがある。

 しかし、そんな夢はそのうちに消えてしまう。緑内障という病が私を襲う。このせいで視野の一部が欠けてしまい、見えていない部分が出来てしまった。それ以来とても怖くてオートバイやクルマの運転は出来なくなってしまったのだ。

 それ以来憧れているのは、徒歩での旅だ。なるべく自分の足で歩いて移動する。毎日毎日ひたすら歩く。そんな旅がしたくなった。

 さて、最近読んだ本の話だ。この本の著者は、別に信仰心があるわけでもなく、四国を徒歩で遍路する旅に出る。お遍路さんの道具である笠や杖なども持たない。別に先を急ぐわけでもなく、観光も交えながら、結局は四国八十八ヶ所を、何回かに分けて回ってしまう。

 うらやましいなあと思うのだ、こういうのって。なんだか毎日毎日朝は早くから仕事している私の人生って何なんだろうなあと思えてくる。

 別に四国じゃなくてもいいんだけど、東海道を歩き通すとか、奥の細道を歩き通すとか、すんごく憧れている。引退したら、是非やりたいと思っているのだけど。さて、

2011年4月28日記

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