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京極夏彦『死ねばいいのに』

 若い女性アサミが殺される。その関係者のところにケンヤという若者が現れて、アサミについて教えてくれと言い出す。ケンヤはアサミと何回か会ったが特別に深い関係ではないと切り出す。だからアサミがどういう女なのか知りたいというのである。

 派遣社員だったアサミの派遣先の社員、アサミの住むアパートの隣人の女、アサミのカレシだったらしいヤクザ、アサミの母親、アサミの事件を扱う刑事。

 ケンヤに訪ねて来られた側の一人称で章は進んでいく。このケンヤというキャラクターが強烈だ。いまどきの若者とでもいうのだろうか。いくつもの仕事についてはすぐに辞めてしまう。現在はプー太郎。自分は「頭よくないっすから」と言いながら近づいてくる。言葉使いも今どき風若者言葉。アサミについて訊こうと思って来ているのだが、相手はアサミのことはよく知らないと口を揃えて言う。

 人間、とどのつまり、自分のことにしか関心がないのかもしれない。いやあ、現実にいるのだよ、会話をしていると一方的に自分のことしか言わない人が。会話のキャッチボールにならないという人が。この小説に出てくる人はそこまではいかないが、自分と自分の生活にいっぱいで、近くにいたアサミという不幸な少女のことを、彼女の気持ちを、察してあげられない。

 そこにケンヤは素朴に突っ込んでいく。このキャラクターは読んでいて、かなり不快なキャラクターなのだが、慣れていくうちに彼に遭遇した相手が戸惑いを感じている様を思うと、ついニヤリとしてしまったりする。

 最後の方になると、犯人はわかってしまうが、それはそれ、なるほど、そういうことがやりたかったのかと、膝を叩いた。

 人間、自分が生きることで手いっぱいだということは納得した上で、どうして近くの人をもう少し気遣ってあげられないのだろうかなあと、自省を込めて思う。

2010年8月27日記

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