映画のページ

12人の優しい日本人 /
Gentle 12

陪審員は探偵か

中原俊

1991 J 116 Min. 劇映画

出演者

塩見三省
(陪審員1 - 陪審員長、教師)

相島一之
(陪審員2 - 会社員、杓子定規な男)

上田耕一
(陪審員3 - 喫茶店主、怒鳴られるのが苦手な男)

二瓶鮫一
(陪審員4 - 元サラリーマン、フィーリングで無罪と言う男)

中村まり子
(陪審員5 - 会社員、何でも記録に取っておく女)

大河内浩
(陪審員6 - 会社に戻りたい男)

梶原善
(陪審員7 - 職人、でしゃばり男)

山下容莉枝
(陪審員8 - 主婦、若い女)

村松克己
(陪審員9 - 歯科医)

林美智子
(陪審員10 - クリーニング屋、お母さん風の女)

豊川悦司
(陪審員11 - 役者)

加藤善博
(陪審員12 - 会社員、陪審副員長風の男)

久保晶
(守衛)

近藤芳正
(ピザ配達員)

見た時期:2004年10月

日本が陪審制度を導入すると聞いて目が点になった1人ですが、実は昔そういう法律があったそうです。知らなかった!1928年から有効で、できるまでに5年準備期間を置き、どういう制度かをこの期間の間に全国で PR しています。法律が停止になったのは1942年。制度を利用する人が減ったのと、戦争で手間のかかる陪審制度に関わっている余裕が無くなったのが理由だそうです。この法律はまだ停止中で、戦後であってもいつでも復活させられるものだったそうです。

話はその後本当に具体的になってしまいました。今年の5月に法律が成立したのだそうです。知らなかった!日本の場合は判決と量刑の両方に陪審が関わるのだそうです。陪審が登場するのは死者が出た事件で、被告が計画的にやったと考えられる場合、あるいは極刑やそれに近い重い刑が考えられるような重大事件。ということは刑事事件でしょう。そして最高裁など上級の裁判ではプロだけが協議する、つまり従来通りのようです。

世界中どの司法制度を見ても完璧なものはありませんが、私は映画で見るようなアメリカの陪審制度には不信感を持っていました。日本の場合上級はプロがというのを聞いてやや安心したところです。司法制度は使い方によるのだとは思いますが、これまでの日本の制度はそれなりに機能していたと思うのです。別にこれが理想だとか、もろ手を挙げて大賛成だというわけではありませんが、戦前に比べ公平さは増し、仮に判決が死刑でも再審請求をすれば執行は延期。その間に新しい事実を吟味する時間もあります。死刑囚として無実の人が長く留め置かれるのは非人間的だとか色々批判もありますが、某先進国に比べ、適用は用心深いです。法廷で反省する様子を見せる人の方がふてぶてしい人より扱いが良いなど、事実より印象が優先されるお涙頂戴的な傾向は確かにあります。客観的に見ると、しょげて反省して見せる人が優先的に軽い罪になるというのは確かに不公平。ふてぶてしく抵抗しても本人が自分のやった事以外に首を縦に振らないのは当然の権利とは思います。しかしパーフォーマンスが重視されるのはアメリカでも同じ。スポットライトを浴びる方面が違うだけです。日本がお涙頂戴路線を取り、アメリカが大エンターテイメント、センセーション路線と取っただけの違いです。この2つを見ていて、弊害は日本の方が少ないと感じます。どの制度にもそれなりの弱点、欠点があるという現実をかんがみるに、日本の制度はそれなりの節度を持って適用されていると思うのです。大きな反対が国民から起こって来なかったのもその辺に理由があるのではないかと思います。

そこへ陪審制度導入と聞いたので、私はこんな改革、必要あるんだろうかと思ってしまいました。どうせ何かを改革して税金を使うのなら、所々ずさんさが目立つ制度内の細かい点を改良したら良いのにと思ったのです。

監督はこの作品をどういうつもりで作ったのでしょうか。私にははっきりとは分かりませんでしたが、私が言いたい面をいくつも取り上げていたなあと思いました。コメディーですし、風刺の意味がこめられているのでしょう。ハッピーエンドはお決まりの約束事。みな気持ち良く家に帰れるようにできています。しかし物語りは一巡し、それを見たのと見ないのでは、考え方に差が出るでしょう。多分に政治的な話ではありますが、風刺というのは昔から政治をからかったり、問題点を笑いながら指摘するという性格のものですから、目的がはっきりしたこの作品、安心して見ていました。

とは言っても、物語はジェットコースターのようで、一段落したかと思うとまた次の災難が降って来ます。誰にとって災難なのか。被告にとって災難なのです。幸いこの場に居合わせなくて済む人ですが、こんなに二転三転運命が覆されてはたまったものではありません。しかもこんな理由で・・・。

ここに監督の意図がはっきり見られます。この作品では最後正しそうに見える形でオトシマエがつきます。で、正当と思われる結論が出されます。しかし私が不安に思う点が剥き出しにされ、その挙句どうにか正しそうな方向に向くのです。それも偶然ある人が居合わせたから。たまたまこの12人の中にその人がいなかったら、と思うとぞっとします。

日本でも他の国でも判事、裁判長と呼ばれる職業についている人はプロです。法律とは何ぞやということを学んでいますし、その適用と社会に与える影響についても普通の人以上に知っています。その上法廷を経験しているので、その結果、影響についてもある程度分かっています。流されては行けない方向にも注意しています。他方、裁判長本人がどんな印象を受けても、出された証言、証拠、現在有効な法律以外の材料で判断を下しては行けないという規則も知っています。それで国民は一応裁判長に任せているわけです。しかも不服な場合はいちゃもんをつける権利が原告、被告にあります。というわけで特殊な場合を除いてそれなりに機能していると思います。

陪審員というのは全く無作為に選ばれるので、男女比もまちまち、職業、経歴もまちまち。法的知識の有無などは選考の基準ではありません。唯一まずいのは原告か被告と個人的な関係にある人。それで最近もハリソン・フォードが陪審員にいったん選ばれた後、辞退し、拒否理由が認められています。

で、ここに選ばれた12人も偏らずいろんな人が選ばれています。会社員、主婦、自由業、年齢も年金生活者に近い人から、若いおなごまで。インテリ風の人から普通の人まで。独身、既婚者。

問題なのは受けた依頼に対する熱意。まじめな人からできれば抜け出したい人、ちゃんと話を聞いていた人から居眠りしていた人、役目を断わりたい人まで様々。ここが様々だと困るのです。

1番最初に陪審員の役目などを書いた小冊子を読み上げるシーンでは目が点。これは読むという規定になっているのなら、退屈でも読まなければ行けないのです。そうでないと、後で《知らなかった》という人が出て、評決が無効になってしまう恐れがあるのです。アメリカで、せっかく犯人を逮捕したのに規定の文書を被疑者に対して言わなかったために釈放などということが起きるのと同じです。

監督はここですでにずっこけさせます。私は不安になりましたが、作品をマジで作っているなという意気込みが分かり、これは先を見ないと行けないと思いました。その後出るわ出るわ、ポリティカリー・インコレクトな発言もあれば、本音もあり、何度も目が点、小数点になり、ずっこけ、笑いながら心配しました。

扱われていえる事件自体はわりと簡単。ある殺人事件があり、これが意図した殺人なのか、未必の故意、あるいは事故だったのか吟味し、判決を殺人として捉えるかどうかの決定をするのです。どうやら量刑は判事が決めるようで、陪審は殺人とみなすかどうかを決めるようです。ここでノーとなると被告は無罪放免。イエスとなると殺人犯として何かしらの懲役。事情があるので、極刑とことにはならないだろうという話です。

1番目の評決は全員一致で無罪。それで出前の飲み物を注文したのに、届く前に解散ということになります。本来ならばこれで終わりです。規則は規則。全員一致ですから、任務終了です。

ところがここに天邪鬼が登場し、「みんながなぜ無罪と言ったのか聞きたい」と言い出すのです。答えたがらない人もいてこの人は更に臍を曲げ、「じゃ、俺は有罪に一票入れる」と言い出すのです。本来は後からこんなことを言ってもだめなはずですが、ドラマではこの男のために2時間付き合わされます。

几帳面な男で、他の人がわりといい加減に出した結論に次々いちゃもんを付けて行きます。ほかの人もフィーリングだとかそんな気がするとか、論拠とはおよそ言えないような理由で無罪に票を入れていることがばれ始めます。会社のことばかり気にして評決にほとんど関心のない人もいます。

この几帳面男がしつこく食い下がるので、結局全員が何かしらの理由を説明しなければ行けなくなります。確かに人1人の命がなくなり、もう1人の人間にその死亡に責任があるかを問うわけで、だれかが《いいかげんに決めてもらっては困る》と考えるのは当然です。

コメディーなのでキャラクターは極端にしてあります。でしゃばり男、すぐフラフラ意見を変える人、すぐ議長風に振舞う人、意見を言って責任と取るのをためらう人、美人に弱い男(被告は若くて美人な上薄幸)、評決より周囲で怒鳴られるのが嫌でたまらない人、何でもきっちり記録を取っておくくせにその記録が意見にあまり反映していない人など、シナリオが盛り上がるようにできています。

前半はそういうキャラクターの紹介とぶつかり合いです。ここで素人を起用するといかにいい加減に結論が出てしまうか、被告の印象に左右されてしまうかがはっきり出ます。これだけでもこの作品を作った価値があります。

さて、後半はもっと大変なことになって来ます。というのはここからは推理小説仕立て。もしかしたら被告が計画的に殺人をという話になって来ます。その論拠に事前に注文したピザ、第三者の証言、地理的な関係などが上がって来ます。

ここからは私はあれっ、何か違うぞと思いました。しかし映画の筋をおもしろくするためにはこういういんちきもいいでしょう。ここからは12人の優しい日本人は《12人の優しい探偵》になってしまうのです。計画殺人なら死刑もあり得る有罪、執行猶予は無し。予想外の争いの間の事故なら、無罪。他に未必の故意もあり得るので、極端な差が出てしまいます。12人の間では妥協策として、謀殺ではなく、傷害致死で手を打とうなどという提案も出ます。この時点ではうまい抜け道ですが、これでは陪審としての役は果たしていません。商売の取引で中を取ってシャンシャンという向きの話ではないのです。

これを言い出した男は更に話を進め、真実に近かろうという結論へ導きます。それは何と被害者の自殺。この間の雪の話と同じく意外な展開ですが、彼の論拠は他に比べ1番納得しやすいです。で、これだという事になり、全員一致で被告は無罪。

めでたいですが、私が何か違うぞと言ったのはそこ。裁判で出された証拠、証言を陪審員が探偵になって覆したり、肯定したりするんですか。陪審員というのはそんな大変な仕事だったのですか。 ブラウン神父、シャーロック・ホームズ、エラリー・クイーン、ファイロ・ヴァンス、コロンボ、ミス・マープル、フィリップ・マーロー、歌う探偵(マイケル・ガンボン)、ロックフォード、エルキュール・ポワロ、クルーゾー、金田一耕助。《12人の有名な探偵》ぐらいの洞察力がないとちゃんとした結論にたどり着かないなんて、楽ではありませんねえ。日当はさほど高くないと聞きましたが。

っとまあ、これは2部に分かれた話で、両方ともおもしろいのです。そして最後にあの杓子定規な男がなぜ臍を曲げていたか、化けの皮がはがれるのです。私にはこれを見て、たいていの人は他の人を判断する時に個人のバックグラウンドという色眼鏡で見てしまう、それが自然だと思いました。冒頭にあの人は美人だ、だからそんな悪事をするはずが無いと言ったのと変わりません。逆に美人だからひどい事をするだろうと思い込む人がいても不思議はありません。プラスでもマイナスでも偏見には違いありません。

こんな風に人の先入観、印象に左右されるシステムをわざわざ日本に導入する必要があるのかという気にならざるを得ません。

ちょっと前に見たニューオルリンズ・トライアルでも陪審にちょっかいを出す弁護側の問題が取り上げられていました。アメリカでは昔から陪審制度が採用されていますが、そうなればなったで、それに対応する色々な妨害策、作戦、ビジネスなどがあり、大変です。先日ご紹介したブリティッシュ・ギャングスターという英国の作品でも陪審の交代が相次ぎ、3桁ほどの数になったそうです。これまでのシステムに重大な欠陥があるのであれば他の国のシステムを取り入れてみるというのも1つの方法ですが、日本になぜこれが必要なのかはどうも納得が行きません。

・・・っと思っていたのですよ、この記事を書き終えるまで。書き終えて見直しなどをしている時に意外な話が目に飛び込んできました。インターネットを見ていたら、判事という人たちは恐ろしく世間知らず、無菌状態で育っているというのです。1人で何件も事件を抱えているので、巷で普通にパチンコ屋に行ったり、飲み屋で一杯飲んで同僚と世間話という暇もないのだそうです。そのためかなり世間ずれした判決が出てしまったり、色々問題もあるのだそうです。そういう話も考慮すると、巷の人が5人、10人、法廷に乗り込んで行って、常識的な判断をするというのも一理あるのかも知れません。こういうのはやってみないとうまく行くか分かりませんが、過渡期に当たった被告や原告は気の毒。

この後どこへいきますか?     次の記事へ     前の記事へ     目次     映画のリスト     映画一般の話題     映画以外の話題     暴走機関車映画の表紙     暴走機関車のホームページ