映画のページ
考えた時期:2010年11月
記事が800本目になりました。ちょうど映画雑誌のカードを整理し終えたところで、これまで見た映画について考える機会がありました。
★ テレビ番組
日本にいた時は映画館にもちょくちょく行きましたし、テレビの名画座番組を良く見ました。最初は日曜日だけだったのが、ライバル局も同じような番組をやり始めたため増え、確か月曜日、水曜日、金曜日ってな具合でほとんど毎日どこかで2時間の映画番組をやっていたように思います。
日曜洋画劇場
・ 1967年4月9日 - 現在
・ 司会淀川長治(現役のまま他界)
水曜ロードショー
・ 1972年4月5日 - 1985年9月25日
・ 最初の2年90分枠、その後2時間枠
・ 司会水野晴郎(病死、死亡の年まで文筆業などで現役)
・ 金曜ロードショーに引継ぎ
金曜ロードショー
・ 1985年10月4日 - 現在
△私はこの番組は見ていないはずですが、日本にいた頃金曜日にも映画番組があったように記憶しています。
木曜洋画劇場
・ 1968年2月8日 - 1969年9月25日90分枠
・ 1969年10月2日 - 2009年3月26日2時間枠
・ 司会芥川也寸志(開始後数年で次の人にバトンタッチ)他
土曜映画劇場
・ 1968年10月5日 - 1977年6月25日
・ 司会増田貴光(諸般の事情で芸能界から完全引退)、児玉清(引き継いでから最終回まで)など
・ 元土曜日だった洋画劇場が日曜に移ったための後続番組
・ 土曜ワイド劇場(国産のテレビドラマ番組)に引き継がれ現存
聞くところによると日曜洋画劇場は元は土曜日だったそうです。私は日曜日に変わってから見始めたので、1967年の春だったようです。インターネットの資料を元にして私が頻繁に見た映画番組とその当時現役だった司会者を挙げておきました。
★ 当時は
時代を反映し、映画に魅せられた親米の司会者が多かったです。日本も映画を作る国でしたが、戦後の価値観大混乱の中、アメリカのライフ・スタイルを日本に紹介し、アメリカが魅力的な国だという風に受け入れられるきっかけに洋画が大きな意味を持っていました。司会者がアメリカに批判的では役目が務まりませんから、アメリカの魅力を語る人が良かったのでしょう。
実はこの洋画(映画)劇場群の前に私は午後ニッサンテレビ名画座というのを見ていました。なのでその後だーっとアメリカ映画が押し寄せて来ても、アメリカ以外の国にも映画があるという意識がありました。懐かしいと思ってインターネットでこの番組の検索をして見たのですが、なぜかほとんど話題になっていません。うちのテレビが白黒だったので、見た作品は全部白黒。オリジナルも白黒だったのか、あるいは当時はカラーで撮影しても、白黒テレビを意識した演出だったのか、いずれにしろ現代とは全く違う白黒のトーンが美しかったです。
確かフランスの映画が多く、芸術の香りがする作品、フィルム・ノワール系と思われるような作品、もっぱら大人向けの作品を白昼堂々と(笑)放映していました。同じ作品を2、3日繰り返して上映したような印象を持っています。まだ子供だったので記憶は確かではありません。
当時は元気に飛び回り、外で毎日冒険をしていたのですが、家にいる時はたいてい映画番組を見ていました。なのでメモを取り始める前の作品も加えるとかなりの数見たことになります。メモを取り始めてからの合計は4桁の数になっています。
★ 餅は餅屋、蕎麦は蕎麦屋、うどんはうどん屋、映画は映画館、CMはCM
ドイツに来る前、70年代の後半からはテレビを持っておらず、そのため映画は友達と映画館で見ることの方が多くなっていました。こと映画に関してはその方がずっと楽しかったです。始まる前にちょっとプログラムに目をやり、あとはCMに邪魔されること無く、周囲が明るくて注意が散漫になること無く、その作品に集中することができました。
ちなみに私はCMはそれほど嫌いではありません。新しい製品が出たら知りたいですし、映画1本より高いお金をかけて1、2分のCMを作る監督もいます。日本ですと外国の大スターを見ることもできます。トミー・リー・ジョーンズのエイリアン・シリーズは受けたようです。最近は涙を誘うような運の悪いエイリアンが3体ほど回り寿司店界隈に出没するようです。CMを見る時も映画と同じぐらい気合を入れてしまいます。スポンサーはこういう視聴者が好きなのでしょうが、CMを見たからと言ってすぐお店に走るわけでもないので、私の所はCM効果はあまり高くありません。
今から15年以上前、ベルリンで夜半から明け方まで6時間か7時間ぶっ通しでCMだけを上映したことがありました。終わったのが確か朝6時頃で、コーヒーとクロワッサンが振舞われました。なかなかしゃれた催しでした。確か井上さんもライブを見に足を運んだ店の真隣の映画館です。
★ 映画を見ない時代
80年代に入ってドイツに来たのですが、それ以来ジリ貧生活で、恐ろしく値段の高いドイツの映画館に行くことはなくなりました。たまに大学の構内で上映したり、どこかの屋根裏部屋で無料上映会があると行く程度でしたが、それも何年かに1度。相変わらずテレビの無い生活で、映画に行くこともほとんどありませんでした。当時わりと頻繁に日本に行っていたので、機内で何本か見るチャンスがあり、帰国すると井上さんと映画館に行くことがあり、その時期だけ見る数が増えていました。
★ 見る時は気合を入れて
90年代に入り大きな変化がありました。1つにはファンタに参加するようになったことです。もう1つは懸賞が意外なほど頻繁にあり、その他に無料券の配布もあることに気づき、その恩恵に浴すこととなりました。ベルリンは300万人以上の人が住んでいるのになぜか私たちが応募すると頻繁に当たるという不思議な現象があり、何年もの間当たり続けました。最近はいくつかの条件が重なり、それほど頻繁に応募しないため、ただ券で映画館に行くことが減りましたが、気合を入れて応募すれば当たる可能性はまだまだあります。
★ 映画館淘汰時代に突入
一時期心配していたのはシネ・コンプレックスと呼ばれる1軒で9つとか10以上のホールを抱えた映画館が町の至る所に建てられたこと。いくら人口が多いとは言っても、数駅行くごとに1軒そういう映画館があると、全部のホールを満員にすることは不可能。その上どの映画館に行っても同じプログラムをやっているので、個性的な映画を見ることもできません。こんな事をやっているといずれ共食いになってしまい、倒産するのではと心配しました。なぜかその心配ははずれ、現在も倒産したという話は聞きませんが、たくさんただ券を配り、作り過ぎた映画館をどうやって黒字に保っているのかは謎です。
以前はベルリンには場末の映画館というのがありました。普通のアパートの1階部分が映画館になっていて、何年も前に作られた作品や、時には戦前の作品などを上映していました。持ち主の好みが反映されている場合もあったようです。また、ドイツは主として吹き替え版しか見られないのですが、中にはオリジナル版をやっている館もありました。しかし大手の映画館がどんどんできる中、小さい館は淘汰されてしまいました。それどころか中心街にあった老舗の、かつては映画祭を一緒にやったような映画館も消えました。懸賞、ただ券が増えたことと、シネ・コンプレックスが増えたことに因果関係があるのかは分かりませんが、時期的には重なります。
★ DVD(デー・ファウ・デー)とファンタ
DVDの時代に入って久しいですが、ベルリンではDVDを店で借りると、1 € から 2 € です。長時間借りるとちょっと高くなりますが、逆に3本1度に借りると安くなるなど多少条件により差がありますが、まあ大体 1 € から 2 € あたりです。先日 CSI の1シーズンを全部借りて来たのですが、同じ値段でした(シリーズ12回分と劇映画1本が同じ値段)。借りる時間を延長して少し高めの料金にしたのですが、実際は普段の時間で間に合いました。全部見ると12時間ほどなのですが、ファンタに毎年参加している者としては12時間通しで見るなどは・・・。
とまあ、映画館に比べDVDは非常に安価です。映画館で普通の料金を払うと 6 € から 7 €、ファンタは 8 € で、時々 10 € の物もあります。ファンタでなく一般の映画の場合ですが、西ドイツでは同じ条件の映画館でさらに高い料金だそうです。ファンタは全国同じ値段で、私たちはたいてい通しパスを買うので、1本あたり約 3.50 € になります。8 € に比べて明らかに安いこともありますが、見るたびに長い列に並んでティケットを買う手間が省ける方にも魅力があります。
90年代の中頃から参加し始めたファンタ。このあたりから1年に見る作品数が急激に増え、100本から150本の間を行ったり来たりしています。90年代はまだDVDが出回っていないので、ビデオを見るという方法がありましたが、テレビを持っていないため、ビデオも無視していました。近所に住む友人は部屋中ビデオだらけで、まるで図書館のようでした。時たま呼ばれて犯罪物を見たことがありますが、こういうのは例外。
90年代の中頃から、ファンタの一部と同時期に開催される香港映画祭に参加するようになっていました。井上さんが好きそうな監督、俳優がずらっと並んでおり、間もなく中国に返還される香港の運命はいかに・・・とこちらにいる香港の人や、私などははらはらしました。
見る作品の数が増えて行き、ファンタで通しのパスを買った方がいいという結論に達したのも90年代です。香港映画祭は間もなく無くなってしまいましたが、その代わりにファンタの中にアジア・コーナーが作られ、そこに香港映画が出るようになりました。同時に日本、韓国も加わりました。中国本土の作品は最初はあまりありませんでした。このアジア・コーナーは現在も続いていますので、1年に少なくとも1度は比較的新しいアジアの作品をまとめて見ることができます。欧米の作品は原則として開催の年の作品と、一部その1年前の作品、時には未完成の作品、アジアの作品は開催の前年の作品が主流です。
★ 字幕か、翻訳か、そのままか
この頃から年間見る回数は必ず100を越えるようになり、ただ券にも頻繁に当たるため、スリラー、SF、ファンタジー映画の他に、恋愛物やコメディーも入って来るようになりました。ただ券の多くは公開初日ですので、ドイツでは最新の作品を見たことになります。ファンタ以外の公開はロードショーでも、古い物でも原則としてドイツ語に吹き替えられています。多くの場合原作の良さの一部が失われます。(ごくたまに吹き替えの方がいい作品もありますが、そういうのは例外。)
ファンタはほとんどがドイツ公開前の作品か、ドイツで一般公開されない作品。言語はほとんどがオリジナルのままで、英語以外の作品には字幕がつきます。字幕は多くが英語です。ドイツ人の観客には気の毒ですが、私に取っては英語字幕は助かります。学術論文などですとドイツ語の方がはっきりした表現が多くて分かりやすいですが、痴話喧嘩、陰謀、犯罪計画の話をドイツ語にするとどうしても文章が長くなり、左から右までズズズっと読まないと意味が分かりません。そんな長い物を読んでいるほどの時間は無く、シーンは次に移っています。その上ドイツ語は「なんだ、かんだ、これこれ、しかじかではない」などと文の最後でうっちゃりをかまされる場合が多々あるので、どうしても文章の最後の一言を読まなければなりません。人の国の言葉な上、前の人の頭越しに見るので、字幕はコンパクト、しかも don't や can't のすぐ後に動詞が続く英語の方がずっと分かり易いです。
★ 景品のカード
この頃から映画雑誌を講読するようになりました。当初ライバルの2社を買っていました。1つは優等生的な評が多く、もう1つはゲリラ的な評が多かったので、見比べていました。全然逆の評価もありました。しかしある時大きな変化があり、1誌はつぶれてしまいました。当然ながらゲリラの方です。
もう1つの雑誌には定期購読をすると景品がついたり、バックナンバーを注文するとカードを入れるボックスが貰えたりしました。雑誌に必ず8枚のカードがついていて、1枚ごとに古い映画から最新まで幅広く各国の作品が紹介されています。紙が高いドイツでは普通考えられないような安価の雑誌で、映画会社から援助を受けているのかとも思います。カラー写真満載で、スターや映画の写真がたくさんあり、版権だけでもかなり費用がかさむはずなのですが、驚くほど安いです。その上映画のただ券が当たる懸賞もついています。
その他に大手映画配給会社が毎月ただで配っている映画紹介の雑誌もあります。こちらも写真満載。大きなポスターも無料配布。系列の映画館に行けば置いてあります。
とまあ長々とおしゃべりをしましたが、この毎月8枚もらえるカードを整理していました。そのうち90年代の中頃から大きな変化が見えるように思えたので、そのあたりからのレポートです。
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