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2006 USA/D 143 Min. 劇映画
出演者
Leonardo DiCaprio
(Danny Archer - ローデシア人傭兵、武器密輸で報酬としてダイヤモンドを受け取る商売人)
Djimon Hounsou
(Solomon Vandy - シエラレオネ人漁師)
Jennifer Connelly
(Maddy Bowen - ジャーナリスト)
David Harewood
(Poison - ヴァンディーの村を襲撃した革命統一戦線の大尉)
Kagiso Kuypers
(Dia Vandy - ソロモンの長男)
Anointing Lukola
(N'Yanda Vandy - ソロモンの娘)
Benu Mabhena
(Jassie Vandy - ソロモンの妻)
Arnold Vosloo
(Coetzee - 大佐、ダニーの上司)
Stephen Collins
(Walker - 大使)
Antony Coleman
(Brown - 大佐)
Basil Wallace
(Benjamin Kapanay)
Jimi Mistry (Nabil)
Michael Sheen
(Rupert Simmons - ダイヤモンド取引会社の男)
Marius Weyers
(Rudolf Van De Kaap)
見た時期:2011年8月
気負ってバリバリの使命感で映画を作ると、言いたいメッセージが良く伝わらないことがあります。スターを使い143分も時間を貰い、大掛かりな撮影をして、意気込みを見せる作品ですが、テーマを盛り込み過ぎ、正義感を正面に出し過ぎ、自分の立つ側を振りかざし過ぎて、見ているうちにだんだんうんざりして来ます。テーマを絞り、3本ぐらい別々な作品を作った方が言いたい事が観客に楽に伝わったのではないかと思います。
タイトルは《血塗られた金剛石》ということになっていますが、戦争状態の祖国を持つアフリカ人(ここではシエラレオネ、1991年から2000年)、経済が立ち行かない国々、傭兵、子供の兵士、実情を本気で報道しない欧米メディア、難民キャンプ、亡命のチャンス、現地の教育状態などが扱われ、表面をかするよりは深く、しかしちゃんと扱うとは言えない程度に扱うので、問題の見本市のようです。
アメリカでジャイモン・フンスーに準主演を取らせ、賞にノミネートしておけば(有名な賞はノミネートのみ)、欧米の面目は立つのかも知れませんが、当事者のアフリカ人、アフリカの国々は根本的にシステムを変えないと立ち行かないことが浮かび上がって来ます。テーマが多過ぎて観客が食傷気味になってしまうというのは逆効果ではないかと思いました。
たくさんの重大テーマを盛り込んだせいか、あるいはカプリオが俳優として成熟しておらずまだ役をこなし切れていないためか、映画の中で言われるメッセージに信憑性が出ていませんでした。例えば最後カプリオは主人公の親子をロンドンへ送り出し、自分は犠牲になる、所謂《タイタニック方式》を採用するのですが、その時の「僕の故郷はアフリカだ」の一言があまり力を持ちません。もしこの話が小説なら私も本気で信じるかも知れません。映画の中でソロモンとダニーの絡むシーンは多く、2人の間に微妙な友情が生まれていることも分かります。子供の時両親を失い、親代わりの傭兵のボスに育てられたダニー対揉め事に巻き込まれるまでは普通の漁師だったソロモン。上手くやればここは涙を誘う大悲劇に仕立てられる部分です。しかしなぜか上滑りしています。
むしろ短時間の出演ながら信じられる演技をしたのはフロスト・ニクソンでお馴染みのマイケル・シーンが演じるダイヤモンドの元締め。人から嫌われる役を与えると輝く演技を見せる俳優です。もう1人アフリカの話だからアフリカ人にやらせようということなのか、アーノルド・ヴォスルーも出ています。ミイラで印象の良かった人です。
★ あらすじ
田舎の村が内戦に巻き込まれ、反政府軍の革命統一戦線に襲われます。それまで政治とは無関係だった実直な漁師ソロモンも命は助かったものの、家族と引き離され、自分は統一戦線の捕虜、家族は難民キャンプに連れて行かれるという悲劇に見舞われます。本当は捕虜になった時殺されてしまうはずが、たまたま運良く労役にということで助かります。命令された仕事は川の水をすくい泥や石に混ざっているダイヤモンドをより分けること。
このダイヤモンドは後に《紛争ダイヤモンド》とか《血塗られたダイヤモンド》と呼ばれるもので、採取した側は武器の密売の際お金の代わりにこのダイヤで支払います。舞台はシエラレオネということになっていて、その歴史に従うと紛争は1991年から約10年続きました。
川でダイヤモンド採りをしていたソロモンは大粒のピンク色のダイヤを発見。ちょうど革命統一戦線と政府軍の戦闘が始まったので、そのダイヤを隠してしまいます。その事を知っているのはソロモンと彼とちょうど揉めていた革命統一戦線ポイゾン大尉のみ。2人は他の者と一緒に政府軍に捕まり刑務所入り。
ローデシア人ダニーは傭兵で、現在は外国から革命統一戦線に武器を売るバイヤー。代金はダイヤモンドで受け取ります。一仕事終えようという時にソ捕まってしまい、ソロモンたちが入っている留置場に放り込まれます。ソロモンとポイゾンが争っているのを耳にし、そのダイヤを自分が頂戴しようと思いつきます。
首都に革命統一戦線が侵攻し、留置場に入っていた人たちは釈放。
紛争に嫌気がさしていたダニーは心機一転を目指し、ダイヤ密輸を取材中のジャーナリスト、マディーと話をつけ、ソロモンが家族を助けるという話にも乗り、ダイヤモンドに近づいて行きます。ポイゾン大尉はダイヤを取ってしまいたい、ソロモンは家族全員と再会したい、マディーは特ダネを取りたい、ダニーはそれを利用して金を得て紛争地域から去りたいと言うわけですが、さらにダニーの上司まで関心を示します。
ただの漁師が川で拾ったガラスと見えないこともないただの石っころが、政府軍、反政府軍だけではなく、欧米の社会まで動かし始めます。
ここにもう1つ捻りが入っているのですが、それはソロモンの息子。映画の冒頭素直で勉強好きないい子として登場するのですが、ダイヤに絡んでポイゾンに拉致され、監視下に置かれ、麻薬も使って手なずけられ、今では一端の子供兵士になっています。ポイゾンはこの息子を使ってソロモンに圧力をかけます。息子は命を失うかと思えるような脅しと抜擢や報酬の両方で操られ、父親に再会しても父親を射殺しかねない勢いです。
ダニーとソロモンは困難な中ダイヤの隠し場所にたどり着き、ダイヤを手にします。その後はマディーとも話がついていて、ソロモンを単身国外に逃がします。それまではダイヤに執着していたダニーですが、ここで仏心が出て、ソロモン1人を逃がします。自分は後に残って討手と対決。死ぬだろうことは明白。「国外に出たら連絡するんだよ」と言って、ソロモンにマディーの連絡先を渡し、死ぬ寸前にダニーはもう1度マディーに電話を入れます。ここで涙という手はずなのですが、なぜかそれほど感動しません(ピザ・コネクションの電話の方が感動的です)。ディ・カプリオとコネリーの間にロマンスというのがしっくり来ません。2人とも別なタイプの人に惹かれるのではという印象を残します。
とにかくダイヤと共に国外に出て、無事マディーとも連絡がついたソロモンは、何と国会で血塗られたダイヤモンドの実態を証言することになります。ここで背広を着た極悪人として登場するのがマイケル・シーン。こういう役がとても上手です。
一応家族を取り戻し、「こういう事をしてくれては困る」という証言を大国の国会でやり、出所の怪しいダイヤで取引していた欧州のダイヤ市場は大いに困り、映画は終わります。
★ 多過ぎたのか粗い仕事をしたのか
と言うわけでかなりたくさんのテーマを扱っています。啓蒙映画のつもりで作ったのだと思います。こういう実態を知らない人に紹介するという意味ではディ・カプリオを主演にしたのは正解です。タイタニックのファンが大勢彼の名前だけを見て映画館に来ればそれは成功。しかしこうも盛りだくさんにテーマを並べられると、1つ1つが弱くなってしまい、「実は重大問題を扱っているのだ」という気持ちが消えてしまいます。
似たような強い意志を持って作られた作品で、テーマの絞り方に成功していたのがシティ・オブ・ゴッド。ここでも子供の兵隊と似たような状況が語られています。素人の子供を使って撮影したとかで話題をさらいましたが、私がシティ・オブ・ゴッドがいいと思う理由はむしろテーマの絞り方と切り込み方。観客に明確にこの話のどこが問題なのかを知らせています。それに対し、ブラッド・ダイヤモンドは、「ここにこういう問題がある」と列挙しただけ。それでもこういう話をテーマにしないよりはいいですが、一定のレベルの演技ができる俳優を集め、中には超有名人も入っているので、もうちょっと何とかできないものかと思いました。
★ ダイヤ
ダイヤモンドはそれほどいい物なのでしょうか。私にはよく分かりません。まだ大粒のダイヤを見たことがなく、くずダイヤしか手にしたことがありません。ある宝石店で傷の入った宝石とカラット数の低い金のネックレスで、注文した通りのアクセサリーを作ってくれるというので、頼んでみました。確か1万円も行かなかったと思います。傷が入っていなければ数万円になりそうで、カラット数の高い鎖を使えば10万円ぐらいは行きそうなのですが、私のは傷物、安物でした。最初はダイヤでない宝石だけを使うはずだったのですが、店の人に「ここにワン・ポイントのダイヤを置いたらどうだろう」と提案されました。センスのいい提案だったのですが、ダイヤとなると値が張る、旅行中の私はお金の心配をしなければ行けないと思って辞退しました。すると「このダイヤはくずだからタダ」と言うのです。注文通りの手製のアクセサリーだというだけでこの安値に感謝していたのですが、そこに引き立つようにダイヤが入ったのでとてもうれしかったです。
しかしながら、選ぶ時に見たダイヤはどう見てもガラスのくずのようで、高価な石には見えませんでした。店にあった普通のダイヤの指輪(私が使ったダイヤより何倍も大きい、日本人が婚約指輪などに使いそうなサイズ)も見ましたが、ただきれいかどうかという話ですと他の宝石と比べて特別にいいわけでも悪いわけでもありませんでした。むしろ色が無いのでガラスや水晶と間違えそうです。
オーストリーにクリスタルで作った宝石に似たアクセサリーを作る会社があり、ドイツにも進出しています。恐らく日本にも支店があると思いますが、そこではクリスタルでダイヤもどきのアクセサリーを作って、それに見合った値段で売っています。私ならこれで満足してしまいそうです。何しろ私の目では本物とイミテーションが見分けられないのですから。
かなり前の話ですが、京都にある京セラを訪ねたことがあります。私の興味はセラミックの包丁だったのですが、同じ場所に人工的に作った宝石も置いてありました。聞くところによると天然石より値段が安いとか。私のような鈍感な人間にはその人工の宝石ですら十分きれいに見えました。
私がダイヤモンドで価値を見出すのはむしろ宝石としての美しさより硬度の方です。工業用に使われるとなると、俄然力を発揮します。その方面では一目置いています。宝石としては価値の無いくずダイヤでも私は十分満足しています。あ、そう言えばブラッド・ダイヤモンドのダイヤは無色透明ではなく、ピンクです。珍しいので価値があるそうです。
他の人はどういう目でダイアモンドを見て言うのでしょうか。売る時に高い値がつくから?女性がすぐ釣られるから?人が感心するから?希少価値?そして宝石として見る時男性はどう感じるのでしょう?
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