December.27,1999 恐い顔しないで、優しく微笑んで歌ってよ 

        ラジオから流れてくるのを、仕事をしながらボンヤリ聞いているだけなので、確かなことは言えませんが、最近の、日本の若い女性歌手って、みんな歌い方が同じだと思いませんか? やたら高い声を競ってる。しかも内容が、ひとりごとの類いを、何の不満があるのか、キンキン声でヒステリックに叫んでいる。テレビで見ると、おっかない顔しちゃって真剣に一点を見つめている。これって、ヒップホップかなんかの影響なの? ああ、恐い恐い。こっちも、もう十分にオヤジって歳だから、何言われてもいいけれど。ついていけない。ねえ、まず、もうちょっと肩の力、ぬけないかなあ。おじさん、疲れちゃうんだ。

        話は、ちょっと離れるけれど、音楽学校なんかに、歌を習いに行ったとするでしょ。そこで基本として習うのは、腹の底から声を出せってこと。それは確かにそうだと思う。でもね、それが歌唱法の総てではないということを、頭の隅に置いてないと、偏ったことになる。

        例えば、過去の日本の女性歌手で、絶大な人気があった歌手を上げてみてください。美空ひばりですか? はい、そうですね。彼女は腹から声出してました。でも、よく聞いていると、この人、いろいろな歌い方のできる天才でして、曲によっては、はすっぱに歌ってみせたりした。さて、もうひとり、生きていながら伝説となってしまった人、そう山口百恵だ。この人ほとんど、口先で歌ってた。

        私も例に漏れずに、百恵ファンだった。特に、宇崎竜童の曲を歌い始めてからは、レコードを待ちかねていたものだった。百恵の話は長くなるので、いずれ書くが、とりあえず百恵は、音楽学校の先生が嫌う、口先で歌うタイブだったという事実を思い出して欲しい。男の立場としてですよ、隣に彼女がいるとする。彼女は歌が大好きで、いつも口ずさんでいたとする。男心として彼女に、腹の底から朗々と歌い上げて欲しいですか? それとも、軽く、優しく、呟くように歌って欲しいですか? 断然、後者でしょう。そういうことなんですよ。疲れて、いい女性歌手の歌でも聴くかと思ったとき、怒ってるんじやないかとヒステリックに歌う、今の流行の若い女性歌手を聴きたいですか?

        ここ数年は、日本語で聴ける日本の歌手として、大好きなのが、森高千里。結婚しちゃったけど、そんなこと関係ない。彼女の歌が、この世にあるだけで、救われた気になる。彼女もどちらかというと、口先で歌うタイプ。気持ちいいんですよ。凄く、リラックスできる。私の生活の中で、ところどころで、彼女の歌が頭の中で鳴り響いている。例えば、

*朝、外に出て、寒いなと感じたとき、
 「今年の冬は 寒そうです 初雪がもう降りました」(SNOW AGAIN)
*雨が降っているとき、
 「雨は冷たいけど ぬれていたいの あなたのぬくもりを 流すから」(雨)
*気分よく自分の街を歩いているとき、
 「でもこの街が好きよ 育った街だから」(この街)
*仲間と飲みに行くとき、
 「飲もう 今日はとことん盛り上がろう」(気分爽快)
*高校野球を見ているとき、
 「自分の力信じて 歯をくいしばる」(ファイト!!)
*自分が歳だと感じたとき、
 「私がオバさんになっても 本当に変わらない」(私がオバさんになっても)

        まあ、最後のは、オジさんに変えてますが。

        そんな森高千里のアルバムが続けて二枚出た。『mix age』と『harvest time』。彼女のライヴって、ほとんど男ばっかり。わかるんですよ、彼らの気持ちが。きっと彼らの頭の中にも、日常生活で彼女の歌が鳴っているに違いない。恥ずかしいから、ライヴまでは行かないけれど、CDとビデオで、時々楽しんでいる。ビデオ見ていると、この人、うまく歳取っていっているなと感心する。アイドルの部分を残しつつ、ギターは弾いちゃう、ピアノは弾いちゃう、歌いながらドラムは叩いちゃうと、本格派なんです。ハハハ、オジさん、年甲斐もなくミーハー気分です。失礼しました。


December.11,1999 クラプトン、今、いい顔している

        エリック・クラプトンの新しいビデオ『エリック・クラプトン・アンド・フレンズ・イン・コンサート』を見た。そう、CAGE'S TAVERNで鈴木が、「ボブ・ディランと『クロスロード』を共演とは、恐くて買えない」と書いていたやつ。その心配はズバリ当たりだった。土台、クラプトンとディランではリズムが違いすぎる。案の定、合ってない。バック・バンドはクラプトンのリズムで演奏しているから、ディランもさぞ演りにくかったろう。よく出たよなあ。クラプトンも演っている、ディランの『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』演ったらどうなったろう。

        圧巻だったのは、ラスト・ナンバーにした『サンシャイン・オブ・ユア・ラブ』。二曲目から加わっていた、アルト・サックスのデビッド・サンボーンが、うまいサポートをしている。クラプトンとのかけあいで、いいメロディを入れてみせるのだ。クラプトン、あれじゃあ、いい気持ちになる。エンディングでは完全燃焼したって感じだったもの。このテイク、今までで、一番良かったのではないだろうか。サンボーンっていう人、誰とでも、どんなジャンルでも合わせられる。話は違うが、以前サンタナの来日公演で、なぜか、ナベサダが舞台にいて、邪魔だなあと思った。合わないのだ、ナベサダのサックスが。来年の公演にはナベサダいないだろうな。

        それにしても今、クラプトンは乗っていると思う。特に髪を短くしてからがいい。本当にいい顔つきをしている。


December.3,1999 ロリー・ギャラガーの思い出

        CAGE'S TAVERNの『Ain't Nothing but a Blues』で宇多村さんがロリー・ギャラガーのCD『BBCセッションズ』ついて書いていたので、私も書きたくなった。いやあ、あの二枚組はうれしかった。先月など、もう他のCDは聴かずに、こればかり聴いていた。特に一枚目の方。ここには、まさに全盛期のロリーがいる。この人、やはりライヴの人だ。

        私を知っている人は、ご存知なのだろうが、20年ほど前、クイーンがらみの仕事を三年間ほどしていた時期があって、クイーンに関する雑誌の記事などは、あの時は、総て目を通していたはずだ。その中のひとつに、ブライアン・メイのインタビューがあって、「尊敬するギタリストは?」という質問に、「ジミー・ヘンドリックスとロリー・ギャラガー」と答えていた。ジミヘンはわかるが、ロリー・ギャラガーは名前のみ知っているものの、聴いたことがなかった。さっそくレコード屋へ行った私が手にしたのは、確か『アゲインスト・ザ・グレイン』だったと思う。ブライアン・メイの流麗でポップなギターとは、かなり離れた、叩きつけるような音。少々、戸惑ってしまったが、聴くうちに、段々と好きになっていった。

        ほどなく、ロリーの来日公演があって、私もチケットを手に入れ、見に行った。確か中野サンプラザ。宇多村さんと同じ77年だと思う。チェックのシャツにジーンズ、手には引っ掻き傷だらけのストラトキャスター。写真でみたロリー・ギャラガーそのままだ。何の演出もなく、出てきてガンガン、ギターを弾き、絶唱する。こりゃあ、凄い。レコード以上だ。途中のアコースティック・コーナーがまたいい。

        翌日、さっそく『ライヴ・イン・ヨーロッパ』『ライヴ・イン・アイルランド』の二枚のライヴ版を買った。これらと『タトゥー』『コーリング・カード』は長いこと、私の愛聴版だった。

        宇多村さんも言うように、94年のライヴはイマイチだった。PAの調子も悪く、最後の方など耳がいかれてしまって、何を弾いているのか、さっぱりわからない。翌95年、ロリー死去のニュースに、「なんで、どうして」と信じられない気持ちになった。おしい人を亡くしてしまった。

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