June.26,2000 ねえねえ、凄いバンド見つけちゃった!

        知らないだろうなあ。ごく普通の女の子達って感じだもんなあ。この子達、ロック・バンドやってるの。バンド名がLittle Baby。知らないだろうなあ。去年テレビ・ドラマ『お水の花道』の挿入歌を演奏していた―――といってもわかんないだろうなあ。

        去年、真夜中に目が醒めてしまってテレビをつけたら、この子たちが出ていた。全員背が低そうで、ちっちゃな女の子4人組って感じ。話もヘタクソで舌っ足らず。とりわけカワイイというわけでもないから、アイドルって感じじゃない。「なんだ、こいつら」と思っていたら、そのあと、この子達の演奏が始まった。全員黒の皮ジャンにジーンズ。そうサマになっているという感じではなかったのだが、音が出始めてから、私はぶっ飛んでしまった。

        凄い、この子達は凄いよ! 何というか、ロックに対するセンスがいいのだよ。ヴォーカルがちょっとロックにしては甘すぎる声なのだが、バックの音が、しっかりロックしているのだ。優しそうな顔していて、ドラムスは女の子とは思えないほどぶっ叩いているし、ベースは音数も多くて、いいグルーブ感があって全体を引っ張っている。ギターときたらカッテイングは鋭いし、センスのあるメロディーを、いやあ、弾くは弾くは、鳴かせるは泣かせるは! ちょっとこんなバンド、最近、男でも無い。

        待っていたのだよ、アルバムが出るのを。シングルは3枚ほど出ていたのだけれど、アルバムが出るまでお預けにしていたのだ。『LOVE the FUTURE!』。さっそく買いましたよ。期待は裏切られなかった。すっごくカッコイイよ。嘘じゃないって!

        1978〜79年石川県生まれだって。ということは、みんなまだ20代前半。アルバムには高校時代に録音したテイクまでボーナス・トラックとして入っていて、これはまだ荒削りという感じだけど、それでもすでにしっかりロックしている。来月[渋谷エッグマン]に出るので見に行きたいのだけれど、オジサンちょっと恥ずかしいかな。


June.16,2000 三橋美智也に感じる懐かしさ

        星屑の会の『星屑の町』シリーズは上演されるたびに、テレビの深夜放送で流されていたので、全て見ていた。今年も第4作目の『星屑の町 長崎慕情篇』が上演され、私も見に行って『蕎麦湯ブレイク』の方で書いた。この芝居が、なぜ『星屑の町』というタイトルになったのか知らないが、私がこのタイトルで、すぐに思い浮かぶのは、三橋美智也の『星屑の町』。『長崎慕情篇』が始まる前に客席には、この三橋美智也の歌が流され、それから芝居が始まった。

        4年前に、三橋美智也が亡くなった時、突然にCDが欲しくなってしまった。普段、ロックやブルースのCDしか買わない私にしては、かなり珍しい事だった。さっそくCDを買いに行ったのだが、当時手に入るCDは1枚しかなかった。『三橋美智也 全曲集』という20曲入り。聴きたかった曲は、後に述べる3曲だったのだが、このCDには、そのうちの2曲が入っていなかった。それでも、その1曲が聴きたくて、このCDを買ってしまった。

        言うまでもないだろう。『星屑の町』である。家に帰ってさっそくかけてみた。

両手を回して 帰ろ 揺れながら

涙の中を たったひとりで

        びっくりした。私は歌詞を間違えて憶えていたのだった。「帰ろ 揺れながら」をてっきり「帰ろ 濡れながら」だとばかり思っていたのだ。「涙の中を」と続くので、そう思い込んでいたのだろう。よく考えてみると、「揺れながら」の方が歌詞としては意味が広がってくる。心の動揺を感じながら家路に向かう人の姿が浮かんでくる。それにしても、凄い歌詞だ。たった31字の中にドラマがあるではないか。「両手を回して」という歌詞が浮かんだだけでも東條寿三郎という人は偉い。その後の「帰ろ 揺れながら」と合わせられただけで、私はジーンときてしまう。

        私が聴きたかった曲のひとつは、『いいもんだなあ故郷は』。[カール]というスナック菓子のCM用に作られた曲である。あのCM、曲が先に出来たものの、誰に歌わそうか、広告会社の人は相当迷ったそうである。それが、プロデューサーが「これは三橋美智也しかいないだろう」の一声で決まったそうなのだ。これがピッタリはまって、CMはヒットし、三橋美智也も自分のレコードにいれた。10年前くらいに、20枚組のCDが出て、それには収録されているようなのだが、さすがに、そこまでして買う気にはならない。

        歌の上手い下手は私にとって、実はどうでもいいことで、味のある歌い方であれば、それでかまわない。しかし、それにしても三橋美智也の歌は上手い! 私には三橋美智也の声は、耳障りでない。聴いていて気持ちがいい。『星屑の町』1曲のために買ってしまったCDだったが、通して聴いていると、懐かしさが甦ってくる。『リンゴ村から』『哀愁列車』『達者でナ』『夕焼けとんび』。みんないい曲だなあ。何か、ホッとするような懐かしさがある。

        さて、聴きたかったもう1曲、それは私が小さい頃に放映されていたテレビドラマ『怪傑ハリマオ』のテーマである。どうりで、三橋美智也の声に郷愁を覚えると思ったら、原点はここだったのだ。これは、『懐かしのテレビドラマ主題歌集』とでもいったものを捜すしかないのかなあ。


June.11,2000 Japan Blues Carnival 2日目

        1日目の終わり頃、バディ・ガイがステージに立っていた時は、けっこう強い雨になっていたし、天気予報では、2日目は1日中雨だという予想。その後、一晩中降っていたし、2日目の朝もホームページを打っている時間は、雨だった。2日目は行くのを諦めようかと思っていたら、なぜか雨があがった。ラッキー! チケットが無駄にならないですんだ。

        最初のステージは、[ジョージ・パイ]という日本人のトリオ。純正ブルースというより、ブルースを基調としたハード・ロック・バンド。相当にロリー・ギャラガーの影響を受けている。意識してか、ギターの原マサシはジーンズにチェックのシャツ。この手の音は私、好きな方で、すっかりいい気分になってしまった。

        [近藤房之助と小島良喜]ギターとキーボードのデュオ。しばらく見ないでいた房之助は、まったく別人のような姿で現れた。長髪をバッサリと切り、そうとうに短くなった髪を茶髪に染めて、黒のスーツ姿。いつから、こんなスタイルになったのだろう。パイプ椅子に座り、リラックスした様子でギターを弾き始める。声のよさは相変わらずだ。日本のブルース界を見渡しても、これだけ腹の底から太い声を出せる人はいないだろう。房之助をご存知ない方でも、『踊るポンポコリン』B・B・クイーンズの後ろで「イェーイ、イェー」と声を張り上げている房之助は、耳にしているはずだ。

        2曲目で、予定になかったゲスト登場。房之助が「ゲストが来ています。ご紹介しましょう。チャー!」。客席から「ウォー!」という驚きと喜びの声があがる。ほとんどBAHOの乗りで、リラックスして演奏者も観客も愉しんだ。なんだか得した気分。

        [菊田俊介withネリー“タイガー”トラヴィス] シカゴ在住のブルース・ギタリスト菊田俊介の凱旋ステージ。キーボードを加えた4人編成のバンドに、黒人女性ヴォーカルのネリー“タイガー”トラヴィスが加わるという構成。初めて耳にする菊田のギターだったが、さすが本場で長年鍛えただけあって、上手い! ただ、ちょっとソツが無いというか、堅実に弾くあまり、奔放さに欠けるような気がした。私、上手くまとまったギターよりも、少々下手でも、ハチャメチャでも、ワイルドに弾いてしまう人の方が好みなのだが。

        ネリーは、その名のとおり、虎柄のミニドレスで登場。この人の歌唱力はさすが。エタ・ジェイムスのナンバーでおなじみ、『アイド・ラザー・ゴー・ブラインド』をやったときは、もう感動して涙を流しそうになってしまった。

        さて、今回の私のお目当て、[シャノン・カーフマン]である。彼女のことは3月の当コーナーで書いているが、なんと14歳のブルース・ギター・ヴォーカリストである。シャノン・カーフマンが見たくて2日目も見に来たと言っても過言でない。ちょっとちょっと、でも私ロリコンじゃないってば! 司会の後藤ゆうぞうの「ブルース・カーニバル15年の歴史の中で母親同伴のミュージシャンは初めてです。シャノン・カーフマン!」という吼え声でシャノンが出てくる。凄い歓声だ。彼女、ちょっと照れた顔をしてマイクの前に立つ。

        ギター少年がそのまま大人になっちゃったという感じのサポート・ギタリスト、力強いリズムを出すベーシスト、スキンヘッドのぶっ叩き派のドラマー、歳のいったキーボードのおっさんをバックに堂々のステージだ。観客が「シャノン!」と声をかけたり、星条旗を振って見せたりすると、そっちの方に顔を向け、やはり照れたように笑顔を浮かべ右手を小さく振ってみせる。かっわいいー!

        そんな彼女だが、CDどおりの、いい声をしている。ドスが効いた、少々ぶっきらぼうな歌い方が聴いていて気持ちがいい。そしてギターもワイルドでカッコイイ。ザ・バンドの『ザ・ウェイト』を本家に劣らない演奏でこなしたあと、ラスト・ナンバーに私がCDの中で、もっとも気に入っている『プレイング・ウィズ・ファイヤー』を持ってきた。これはジミ・ヘンドリックスはじめ、ブルースおよびロックの先輩ミュージシャンに捧げたような歌詞になっていて、ジーンときてしまうのだ。しかも曲の後半の盛り上げが良く出来ていて、シャノンのギターが泣き、唸りを上げて疾走するクライマックスは、まさに感動もの。

        余談だが、帰りがけに売店をのぞいたらシャノン・カーフマンのキーホルダーが売っていたので買ってしまった。我ながらミーハーだなあ。しつこいようだけれど、ロリコンじゃないって。嘘だと思うならCD聴いてみてよ。

        バディ・ガイ登場。正直言って、この人のことを書くのは気が重い。2日間トリをとったので、私も2回見たことになるが、はっきり言ってつまらないのだ。以前、まだハーモニカのジュニア・ウェルズが生きていた時に[バディ・ガイ&ジュニア・ウェルズ]として来日したときに、宇田村さんと見に行ったが、あのときの方がまだショウとしてまとまりがあった。

        今回のバックは、ギター、ベース、ドラムス、キーボード、テナーサックス。なんの演出もなく登場して、無造作にギターを掴むと、いきなりのハイテンションで弾き始める。リズムは早いシャッフル。そのまま、曲は『モジョ・ウォーキン』。と思うと次は一転してスロー・ブルース。この辺の客の[つかみ]はいい。しかし、ここまでなんだよね。バディ・ガイとしては、静かに聴かせたいと思うのだろうが、一曲目で上がっちゃっている客のテンションは、いきなり下げろといっても無理。ほとんど、聴き取れないほどの小さな音でギターを弾く。客が大騒ぎしているのが気に入らないらしくて、「シッ」「シッ」と言って黙らせる。これはあまりいい印象じゃなかったな、私には。それで『ストーミー・マンデー』を歌いだす。このあとギターソロに突入かと思ったら、テナーサックスにあっさりまかせちゃう。

        して、またもやアップテンポの曲に戻したら、これが『ムスタング・サリー』。当然、客も大合唱。ところがこれを盛り上げきらずにブツッと終わらせると、またスロー・ブルース。いいかげん酔っ払っている客席は、静まらない。それで、『フーチー・クーチー・マン』でしょ。キーボードにソロあげちゃって、そのあと、ギターで即興で長いフレーズ弾いてみせて、キーボードに今のを弾けるかと、やらせてみせる。

        『ブンブンブン』でまた盛り上げたかと思うと、これまた途中でブツッと終わらせちゃって、また「シッ」「シッ」「シッ」。「これからB・Bキングのモノマネをやる」と突然言い出し、『スイート・シクスティーン』。次はクリーム時代のエリック・クラプトンだと言い出して、『ストレンジ・フルーツ』。これらのものが、似ているといえば似ているが、どうもねえ。ショウの流れを散漫なものにしているだけという気がするのだよ。

        ようするに、このショウは、基本的にライヴ・ハウス乗りなんだよ。野外の大勢の客の前でやるコンサートの乗りではない。そこのところが、この人にはわかってないのではないだろうか。

        このあとがハイライトなのだが、曲が『フィールス・ライク・レイン』になって、静かに弾き始めたギターに、歌い込むようなシミジミとしたヴォーカル。特に1日目は、本当に雨が降っていたので、この曲は盛りあがった。ワンコーラス終わったあとでシールドを引きずって、客席へ乱入。そのまま猛然と弾きまくりながら、野音の最上段まで行った。

        ステージへ戻ると、いよいよエンディングなのだが、またもや曲の途中で「ジミ・ヘンドリックスのマネを演る」と言い出して、そのままジミヘンの真似で終了ってこんなのアリかあ?

        せっかく、いいバックが付いていながら、それぞれの良さも引き出せぬままに終わってしまったような気がする。おしいなあ。アンコールで出てきてからも「アルバート・キングの真似だあ」なんて演りだしちゃうから、もう収拾がつかなくなってしまう。

        2日目は、このままオマケがついた。ネリー“タイガー”トラヴィスが出てきて、バディ・ガイとデュエットしてみせた。これが、実にいい! と、シャノン・カーフマンまで出てきて(ワーイ!)、バディ・ガイのギターを借りうけると、ソロを披露。最初は遠慮っぽく弾いていたのが、だんだんに気分が高まったのか、ギンギンにギターを泣かしてみせてくれた。こうなると、あとはジョージ・パイの原マサシまで出てきて、ソロを―――と、これがまったくの期待はずれ。この男、まったく即興で弾きあげることができず、ほとんど恥をかいたようにして終了。助け船を出すかのように菊田俊介が出てきて原に変わると、曲をうまくまとめあげ、エンディングさせた。

        何年か後、シャノン・カーフマンがトリを取るブルース・カーニバルなんて出来たら楽しいだろうなと思いながら、家路についた。


June.2,2000 Japan Blues Carnival 1日目

        日比谷野外音楽堂に向かい、日比谷公園を歩いていると、ポツリポツリと雨粒が。これだから野外コンサートの前売りは、買おうか買うまいか迷う。一度どしゃ降りだったことがあり、これにはさすがにメゲてしまって、行かなかったことがある。40代のオッサンにはどしゃぶりの中でまで音楽を聴こうという気力はもう残っていない。伝説のグンド・ファンク・レイルロード雷の鳴る中でのライヴ、ピンク・フロイドのアフロディーテ、あれらは若さがなければ聴いていられない。

        雨天決行、払い戻しなしとはいえ、大枚はたいて買ったチケットを、みすみすドブに捨てるのもなあ―――ということで、ここ、何年も『ブルース・カーニバル』には行かなかった。今回久しぶりに行く気になったのに、空模様は芳しくない。天気予報では、昼間は持つが夜10時ごろから強い雨になるという。それが、もう早くも崩れそうな空だ。

        5月27日定刻午後5時30分。例によって、後藤ゆうぞうのユーモアたっぷりの喋りでスタート。最初のステージは、[内田勘太郎トリオ]だ。憂歌団解散後、98年に沖縄で録音したソロ・アルバムのプロジェクト・トリオで登場。勘太郎は中央のパイプ椅子に座る。憂歌団スタイルだ。座って弾いた方が、この人は弾きやすいのだろうか。こっちも憂歌団での勘太郎に慣れているから、こっちのほうが落ちつく。ギターは、例の古いアコースティックではなく、最初からエレキ。

        思うに憂歌団って、木村は別にトークが上手かったわけではなく、そのハチャメチャな個性でステージを繋いでいた人。木村から離れた勘太郎は、どういう進行にするのだろうと気になっていたのだ。なにしろ、寡黙そうな人で、印象としては、凄腕の孤高のギタリストという感じだったからね。いきなり一曲弾いてから、「皆さんは、おそらく私のことをご存知ないでしょうが、以前、憂歌団というバンドでギターを弾いていました」って、みんな知っているって! 「なにぶん新人ですので、よろしくお願いします」だって。

        インスト中心に構成。やっぱり勘太郎のギターは上手い! ちょっとセンスが違う。憂歌団もさすがにマンネリしていたから、この、解散→それぞれのメンバーが新しいバンドを組むという方向は正解だったと思う。バックのドラムス(氏永仁)とベース(金城浩樹)もパワーがあっていい。特にベース、宇多村さーん、このベーシスト、被写体としてかなり面白い。機会があったら、ぜひ写真に撮るべきです。

        2番手、カール・ウェザーズビー。アルバート・キングのバンドから、[サンズ・オブ・ブルース]経由で、ソロとして独立した黒人ブルース・ヴォーカル・ギタリスト。黒人のベース、ドラムスに白人のサポート・ギタリストをバックに登場。写真で見ていた印象では、スリムな体型で気難しそうな気がしたが、ステージの彼は、かなり陽気な人で、なかなかのショウ・マン。どすこい体型のギターとベースを左右にして、ステージ前方に出てきて、三人で踊るようにネックを上げ下げして盛り上げる。

        途中、弦を切ってしまったので、代わりのギターに持ちかえるのかと思いきや、歌を歌いながら、弦を張り替えていく。ちゃーんと、弦の張り替えまでショウにしてしまうところが凄い。観客も大いに湧いていた。曲のクライマックスで張り替え終了。微妙なチューニングを歌の間に挟んで、体制が整うと、一気に怒涛のギター・ソロに突入。こりゃ凄いわ! ピックを使わずに指で弾く奏法で、私にはアルバート・コリンズに似ているように感じられた。

        このあと、雨がちょっと強くなり、トリを勤めるバディ・ガイの登場となるのだが、浪曲で今日は締めさせていただきます。

        「ちょうど時間となりまーした。ほんにこの先演りたーいけれど、あまり長いは仕事にさわる。バディ・ガイさんには悪いけーれど、あんたさんは2日目も出てた。この続きは二日目の方で。それじゃ、こーこーらあで、さようーなあらあ」

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