May.23,2007 『レコード・コレクターズ』2007年5月号
            60年代ロック・アルバム・ベスト100
            第2位 ボブ・デイラン『追憶のハイウェイ61』(1965)
           Bob Dylan 『Highway 61 Revisited』

        中学生時代、部活を終えて家路に向う道すがら、その家の前を通るとよくフォークギターを掻き鳴らしながら歌っている声が聴こえて来た。どうやら高校生の兄ちゃんらしかった。それがいつ通っても『風に吹かれて』(Blowin’ In The Wind)か、『ミスター・タンブリン・マン』(Mr.Tambourine Man)のどちらか。他の曲が聴こえてくることはなかったから、相当ボブ・ディランに夢中だったのだろう。それがある日からレパートリーが1曲加わった。この曲名がしばらくわからなかったのだが、ある日ラジオからこの曲が流れてきて、知る事となった。やっぱりボブ・ディランの『ライク・ア・ローリン・ストーン』(Like A Rolling Stone)だった。

        正直に言って、ボブ・ディランを語る自信はない。当時、私はボブ・ディランをほとんど聴いていない。どうもあの歌い方が好きでなかったのだ。ディランのアルバムを聴くようになったのは70年代になってから。それも熱心にレコードを買う方ではなくて、たまに気が向くと買うといった程度。

        前作『ブリンギング・バック・イット・オール・バック・ホーム』(Bringing It All Back Home)からエレキを使うようになったボブ・ディラン。当時、ロックと共にフォークも流行っていた。ブラザース・フォー(Brothers Four)、ジョーン・バエズ(Joan Baez)、ピーター・ポール・アンド・マリー(Peter,Paul,and Mary)、キングストン・トリオ(Kingston Trio)らの曲をフォーク・ギターを持ち寄って歌ったものだった。そんな中でボブ・ディランというのはちょっと特殊な存在だった。確かに『風に吹かれて』や『ミスター・タンブリン・マン』を歌うことはあったが、それは上に書いたお兄ちゃんのような人で、私らの関心はもっときれいな歌声のする他のフォー・シンガーだったような気がする。そんな中、エレキを持って登場し何を歌っているのかわからない癖のある歌い方をするボブ・ディランは疎まれていた記憶がある。

        後年改めて『追憶のハイウェイ61』を聴いてみると、これがなかなかいいアルバムなのだということがわかってきた。歌詞は難解だがイマジネーションが豊富だし、バックのロック・サウンドもいかしているし、ボブ・ディランの歌い方というのも慣れてくるとかなりかっこいい。A面1曲目の『ライク・ア・ローリン・ストーン』はやはり名曲だし、『トゥーム・ストーン・ブルース』(Toomstone Blues)、『ビュイック6型の思い出』(From A Buick6)、『追憶のハイウェイ61』は明らかにロックしている。その一方で『やせっぽちのバラッド』(Balled Of A Thin Man)とか『クイーン・ジェーン』(Queen Jane Approximatery)といった心に引っかかる曲、あるいは『親指トムのブルースのように』(Just Like Tom Thumb’s Blues)のように南部サウンドのような味わいのある曲までは言っている。ボブ・ディランはロックだのフォークに囚われない音楽を作ろうとしていたのだと思う。ある意味、早すぎたミュージシャンだったのかもしれない。

        中学を卒業すると同時に、ボブ・ディランを歌っていた兄ちゃんの住んでいる道を通ることはなくなった。あの兄ちゃんはあのあとどうしたのだろうか? エレキを買ったのだろうか? そしてそのあともボブ・ディランを歌い続けていたのだろうか?


May.11,2007 『レコード・コレクターズ』2007年5月号
            60年代ロック・アルバム・ベスト100
            第1位 ザ・ビーチボーイズ『ペット・サウンズ』(1966)
                The Beach Boys 『Pet Sounds』

        『レコード・コレクターズ』が3号に渡り、60年代、70年代、80年代のロック・アルバム年代別ベスト100を選ぶという試みを始めた。それじゃあ、それに合わせて私のロック体験を一枚一枚検証してみようと思い立った。というわけで、細かなことは後々に語るとして、さっそくまずは60年代第1位から見てみようではないか。

        な、なんだと〜? ビーチボーイズの『ペット・サウンズ』だってえ〜? これを意外と思わない人がいたら耳を疑う。ビートルズもローリング・ストーンズも押さえてのビーチボーイズという結果はありえないと思うのが普通でしょ?

        いや、ビーチボーイズが嫌いだったわけじゃない。レコードをよく買っていたんだもの。もっとも買うのはアルバムではなかった。シングル盤、それも4曲入りのEP盤が多かった。当時、日曜日ともなると音楽好きの仲間がそれぞれレコードを持ち寄り誰かの家に集合して蓄音機(ステレオを持っている仲間はほとんどいなかった)にとっかえひっかえレコードを乗せて聴きながら、音楽のことやら学校のことやらを話して一日過ごすなんてことをよくやっていた。主に聴いていたのが、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ベンチャーズ。そしてビーチボーイズだった。次いで私らに人気のあったのはクリフ・リチャード(そういえば、このベスト100にクリフ・リチャードがいないというのが不思議)。それに加山雄三、クレイジー・キャッツなんていうところが定番だった。ビーチボーイズの位置というのは、たま〜に息抜きといった感じ。誰もビーチボーイズのLPなんて持っていなくて、みんなドーナツ盤(シングル)かEP盤だった。

        ビートルズ、ローリング・ストーンズがイギリスの持つ、どこか知的で暗さを持つバンドだとしたら、ビーチボーイズは明るいアメリカの青春を感じさせるバンドだった。いやあ、よく聴きました。『サーフィンUSA』(Surfin’ USA) 『サーファー・ガール』(Surfer Girl) 『ファン・ファン・ファン』(Fun,Fun,Fun) 『アイ・ゲット・アラウンド』(I Get Around) 『ヘルプ・ミー・ロンダ』(Help Me Rhonda) 『カルフォルニア・ガール』(California Girls) 『グッド・バイブレーション』(Goog Vibration)・・・・・。高音のコーラスがきれいで、うっとりと聴き惚れていたのを思い出す。このコーラスはビートルズもローリング・スチーンズを敵わないだろうと思っていた。しかし、それがアダになったのも否めない。なにせ歌えないのだ! 声変わりをしてしまったばかりの中学生にとって、もうビーチボーイズの高音は出せなくなっていた。レコードと一緒に歌うなんてことは不可能。日常で口ずさむなんてこともあり得なかった。

        なにしろアルパムの形でビーチボーイズを買うということをしなかったので、『ペツト・サウンド』という名盤の存在を知ったのは、90年代になってからだった。80年代の半ばあたりからもう聴きたいロック・アルパムがなくなってしまい、過去のアルバムを買うようになっていて、そんな中で買ったもの。なぜ中学生のときにビーチボーイズをアルバムではなくてEP盤で集めていたかというと、お金が無かったということもあるが、きっとLPで丸々一枚ビーチボーイズを聴くと飽きるだろうと思っていたからでもある。ずーっと、あのビーチボーイズ・サウンドを聴き続けることは私には耐えられなかった。

        ビーチ・ボーイズ・・・・・というよりブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)はビートルズの『ラバーソウル』(Rubber Soul)に刺激されて、あれを超えるものをと目指して『ペット・サウンド』を作ったという。しかし、当時を考えれば、少なくとも私の周りでは『ペット・サウンド』なんて話題にも上らなかった。確かに洋楽は大きな変化が起ころうとしていた時期だった。しかし、ビーチボーイズまでが変わろうとしているなんて思いもしなかったのである。

        発売当時よりも30年近く経ってから初めて耳にした『ペット・サウンド』に、シングル・ヒットした『スループ・ジョン・B』(Sloop John B)を別として私は戸惑いを感じてしまった。あとになってから「名盤だ、名盤だ」と騒ぐ意味がわからなかった。それでも繰り返し聴くたびに、これはジワジワと私の心に入り込んでくることになる。ただひたすら曲を意味なく並べていた当時のLPの中では、ずば抜けてコンセプト・アルバムの形が出来上がっている。1966年なんていう当時を思えば、これは画期的なことだった。いつまでも頭に残る軽快な『素敵じゃないか』(Would’t It Be Nice)をA面の1曲目に持ってきて、スローでキレイなメロディー・ラインを持つ『僕を信じて』(You Still Believe In Me)に繋げる(ただ、私は最後に入っているプップーという音が嫌いなのだが)。このあとスローな曲が続いてしまうのがビーチボーイズらしくないのが不満なのだが、5曲目の『待ったこの日』(I’m Waiting For Awhile)でいくらか持ち直して、ビーチボーイズらしからぬ不思議な雰囲気を持ったインスト『少しの間』(Let’s Go Away For Awhile)を挟んで、A面を『スループ・ジョン・B』で締める。

        B面のオープニングがかの名作の誉れ高い『神のみぞ知る』(God Only Knows)だ。この曲は絶対にビートルズがこのあとに作る曲の何曲かに影響を与えていると思う。B面の曲はあまり好きな曲が無いのだが、最後への盛り上げがすごい。ラスト・ナンバーの一つ前がアルバム・タイトルになっているインスト『ペット・サウンズ』。こ、こんな曲をビーチ・ボーイズが作っていたなんて。およそビーチボーイズらしくないナンバーなのだ。ところが、これがラスト・ナンバーであるこれまた名曲『キャロライン・ノー』(Caroline No)への序曲と考えると俄然いい構成に思えてくる。自分に愛想をつかされたのか、はたまた別に自分よりも魅力的な彼を見つけたのか、それとも考えの根本が変わってしまったのか、長い髪を切り落とし別人になってしまった恋人キャロラインへの思いを歌ったこの曲はせつない。「♪Oh Caroline No」と歌いきったあとの空白。そして踏切の遮断機の音と犬の吼え声。これも後にビートルズがよく使うことになる手法の先取りだ。こっちの方が本家だったのだ。

        しっかし、このアルバム・ジャケットはいただけない。ジャケットを見ただけなら絶対に手を出さないでしょ。コンセプト・アルバムがジャケットにまで気を使う前の時期なんですなあ。

        それにしてもである。ぶりかえすようだが、なんで『ペット・サウンド』が1位なのだ。これは『レコード・コレクターズ』の集計方法に問題があるようだ。本文には次のようにある。「本誌にいつも寄稿いただいてる以下25名の評論家やミュージシャンの方々に25枚ずつ順位つきで選んでいただいたリストを元に、編集部で最終的なランキングづけを行いました」 つまり、25枚のアルバムを順位づけで選ぼうとしたら、多くのアーティストを入れたいと思うのは人情で、ビートルズなら、あるいはローリング・ストーンズなら数枚のアルバムが浮かんで来る。すると票が散ってしまうのだ。それがやっぱりビーチボーイズは欠かせないだろうと思った途端にほとんどの人は『ペット・サウンド』に票を投じることになる。これが第1位『ペット・サウンズ』の真相なんだろう。

        だが、ビーチボーイズを知らないで初めて『ペット・サウンド』を聴く若い人に言っておきたいのだが、本当に素晴らしいビーチボーイズはこれじゃないのだよ。これはいわばビーチボーイズのダークサイド。初期のビーチボーイズのシングル・ヒット曲こそ、彼らの本当の素晴らしさなのだ。だから、まずはベスト盤をお買いになることをお勧めする。


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