June.29,2000 でもなあ
TBSテレビの連続ドラマ『QUIZ』(全11回)が終了した。正直言って、途中で見ていて少々ダレまして、何回やめようと思ったか知れないのだが、ズルズルと最終回まで見てしまった。
登場人物がいちいち怪しくて、誰が犯人なのかわからず、そのうち「どうでもいいや」という気になっていたのだが、最終回で明かされたその意外な犯人は、予想がつかなかった。まあ、推理小説史上、××××の『××××』とか、前例はあるんですけれどね。よく考えたら誘拐ものなんだから、そういう手は考えられないことがなかったというのに・・・、うーん、わからなかった! でもなあ、あれは本当に可能なのかあ? いかに『QUIZ』は複数犯だったといってもなあ。しかも××も××も一枚噛んでいたとなると、ちょっと、「そりゃ、ないよ」という気になる。
第1回放送時点で、室内に取り付けられたビデオカメラの意味とか、最初のEメール「くいずです。かごのなかの ちいさないのち。いのちを けしてしまうもの なーんだ」で、解らなくちゃいけなかったのだが。あのEメールに全てが示されていたんだ。でもなあ、あの犯人がEメールをねえ。
動機は、目新しいといえば目新しいか。でもなあ、だからといって、そんなことするかあ?
それにしても11回もたせるのは、きついよなあ、このアイデアで。せいぜい3時間くらいでまとまったドラマだったら面白かったかもしれないのだけれど。
June.24,2000 何も新しい事が起こらない日曜日
キャメロン・ディアスが出ている映画なら、何でも見たい。でも、オリバー・ストーンは、なるべく避けたい。しかも、テーマがほとんど興味の持てないアメリカン・フットボール。だ、だめだあ、どうしてもキャメロン・ディアスが見たあい。というわけで、公開終了間際の映画館に『エニイ・ギブン・サンデー』を見に行ってしまった。
アメリカン・フットボールのルールを知っている日本人なんて、どれだけいるのだろうか? 私だって知らない。と言いながらも、映画の中でアメフトが出てくると、知らないながらも夢中で見ている。でも、興行的には日本では難しいテーマだよなあ。映画館はガラガラだったもの。
そして、オリバー・ストーンだ。この人の作る映画って真面目すぎるのだよ。『プラトーン』『7月4日に生まれて』の2本のベトナム戦争映画で、私などもうすっかりオリバー・ストーン嫌いになってしまった。この2本はベトナム人側の描写がほとんどなくて、なんだかアメリカおよびアメリカ人が、勝手に悩んでいるような、私にはさっぱりピンとこないものだった。勝手に悩んでなさい。勝手にしなさい。そのあとが、『JFK』だの『ニクソン』だのといったアメリカの政治ものでしょ。興味湧かないんだよね。別に、そういうアメリカを強くテーマに持ってきたものじやなくても、なんだか説教くさいんだよね、この人。
で、『エニイ・ギブン・サンデー』。試合のシーンは、さすがの迫力ですよ。でもねえ、脚本が陳腐だ。なんでもオリバー・ストーンは、3種類の異なった脚本から、いいところだけを取り出して1本にしたらしいのだけれど、よくあるようなストーリーなのだ。いきなりスターになってしまったクオーター・バックと、それが面白くないチームメート。そして選手と経営者との確執。こんなの野球だったら、娯楽として十分愉しませてくれた『メジャー・リーグ』とおんなじ。こっちの方がテンポいいし、スポーツのルールはこっちもわかっているし、ずっと面白い。説教くさくないしね。
アメフトだったら、私が大好きな『ロンゲスト・ヤード』があるじゃないか! プロ・アメフトと、刑務所内の看守チームと受刑者チームの闘いという違い、あるいは経営者と刑務所長という違いはあるけれと゜、プロットはほとんどおんなじ。まあ、アルドリッチと比較しちゃっちゃあストーンに悪いか。アカデミー賞なんてもらえなくても、ストーンよりアルドリッチの方が偉大だったということに、気が付いて欲しいよなあ。
あっ、キャメロン・ディアスねえ。アメフトをビジネスとしか考えない嫌な女を演じていますが、なんだか冴えない。別にディアスである必要はなかったんじゃないかなあ。
June.13,2000 くせものポランスキー
悪魔を召喚させる話って、少々、食傷ぎみ。だって、話がどれをとってみても、ほとんど同じなんだもの。今まで、何回このテーマのホラーやらを見せられただろう。パターンとしては、始めの方で悪魔を召喚してしまって、何とか封印させようと奮闘するか、悪人が悪魔を呼び出そうとするシーンが最後のクライマックスになるというどちらか。アクション映画でも、後者のパターンはよく使われる。昨年末もアーノルド・シュワルツネッガーの『エンド・オブ・デイズ』を見せられた。キリスト教分化圏では、もっと身近なテーマなのかもしれないが、私は、「もういいよ」と言いたくなる。
『ナインス・ゲート』が公開終了してしまいそうなので、迷った。またもや悪魔崇拝テーマ。もう、この際、見送っちゃおうかと思ったのだが、監督がロマン・ポランスキー。気になる。それで、また性懲りもなく、映画館へ。日曜日だというのにガラガラ。うーん、やっぱりなあ。
というわけで、あまり期待しないで見たのだが、期待しなかった分面白かった。主演のジョニー・デップが、相変わらずいい。この人、あまりオーバーな演技をしない人で、それでいて演じた人間の内面の気持ちまで、うまく表現できる。こういう静かで確実な演技をできる人を本来はもっと評価されるべきではないだろうか。一方で『蜘蛛女』のレナ・オリンが、またもや、「うへー」という役所で、目一杯飛ばしている。この人、こんな役しか回ってこないのだろうか?
集英社文庫で翻訳の出ている原作は読んでいないのだが、大幅に作り直しているそうで、おそらく、世界に3冊しかない本の挿絵に関する、この映画の核になる部分はオリジナルなのだろう。これが良くできていて、9枚の挿絵が、微妙に3冊で異なっている。その謎をジョニー・デップが探っていくのが、本筋。その挿絵には全て必ず扉の絵が描き込まれている。その9枚目の挿絵が、ラストで、あっと驚く形で出てくる。まさに9番目の扉だ。さらには、映画の中で、その挿絵によく似たシーンまで出てくるから、目が離せない。
ポランスキーといえばこの人、エマニュエル・セイナーも、その正体は何なんだろうという役で出てきて、相変わらず魅力的。
パンフレットも、ちょっと小ぶりで、表紙が映画の中に出てきた本を真似て作られていて、好感が持てる。映画の中で出てきた9枚の挿絵も、ちゃんと収録されていて、私、家に帰ってからも、飽きずに、この絵を眺めてしまった。それにしても、9枚目の挿絵は、ハハハ。
June.9,2000 監督たちの沈黙
去年『シン・レッド・ライン』が公開された時、「監督のテレンス・マリックって何者だ?」と呟いてしまった。70年代に『地獄の逃避行』(73年)、『天国の日々』(78年)という2本の映画を撮り、その2本は傑作とされてカルト的な人気があるという。私は2本とも見ていなかったし、そんな映画の存在すら知らなかった。そしてテレンス・マリックは2本目を撮った後に、20年間沈黙してしまったというわけだ。
WOWOWでテレンス・マリックの3本が、まとめて放映されたので、未見だった70年代の2本を見てみた。実際にあった連続殺人事件を映画化した『地獄の逃避行』は、一応娯楽作に仕上がっている。主演がマーティン・シーン。ジェームス・ディーンに似ていると言われた男が、シシー・スペイセク(これが『キャリー』の時そのままの冴えない女の子役)扮する女性と付き合うようになり、やがて、交際に反対する女性の両親を殺して、逃亡生活に入る話。よく出来ているが、カルト人気になるほどの傑作とは思えない気がした。
『天国の日々』は、一転、リチャード・ギアを主役に持ってきて、広大なるアメリカの農場での、農場主と流れ者の労働者との人間ドラマ。噂どおり、きれいな映像が続く美しい映画だった。ただ、何処と無く『いなごの日』に似すぎていないかという気にさせられたのだが・・・。
映画館で去年見た『シン・レッド・ライン』は、よっぽど映像のアイデアが頭にたまっていたのだろう、20年ぶりに撮ったとはいえ、2時間50分もあった。もともとは、これよりも遥かに長いものを作る予定でいたようで、大幅なカットがなされていた。そのせいで、かなり解りにくい上に、意味不明のシーンになってしまっているところもある。かなりの大物俳優がチラッとしか出ていないのもカットされてしまったせいだろう。一度、完全版を見てみたい気がする。
そうこうするうちに、TBSテレビの深夜に『太陽を盗んだ男』が放映されて、私も久しぶりに見た。79年の作品。監督は長谷川和彦。長谷川和彦も70年代に2本の作品を残し、やはり20年間の沈黙に入ってしまった監督だ。そういえば、長谷川和彦の1作目『青春の殺人者』も親殺しの話で、マリックの『地獄の逃避行』と似ていなくも無い。
『太陽を盗んだ男』は、公開当時見ているが、私はあまり好きな映画ではない。沢田研二の犯人役もピンとこないし、その沢田に接触をしようとするDJ役の池上季実子の存在など、なんだか白々しい。今回見直しても印象は変わらなかった。
当時、ジュリーは『勝手にしやがれ』をきっかけに、ソロ歌手として売れに売れていた。新曲を出せば必ずヒットし、コンサートはいつでも満員だった。渡辺プロ内部では、『太陽を盗んだ男』出演は大反対だった。歌手として活動していれば、プロダクションとしてはどんどん金が入ってくる。映画なんかに出ている時間なんか作りたくなかったのである。しかも、役柄が原子爆弾を作って政府を脅迫する犯人役。どう考えても損な企画だった。それでも、どうしても映画に出たいというジュリーのワガママをプロダクションは飲んだ。それほど当時、渡辺プロ内のジュリーの実績は大きかったのである。
テレンス・マリックが20年ぶりに撮ったように、はたして長谷川和彦は近いうちに作品を撮ることが出来るのだろうか。傑作『青春の殺人者』を撮ったというのに、『太陽を盗んだ男』という私には納得のいかない中途半端な映画を最後に沈黙してしまったこの人に、是非納得のいく作品をもう1本見せてもらいたいものなのだが。
June.4,2000 ダラボンってキングの分身か?
大ヒットで『グリーンマイル』は混んでいるという話を聞いて、前売り券を買いながらモタモタしていたら、そろそろ上映終了だという。あわてて劇場へ駆けつけた。
3時間8分。かなり長い映画ではあるが、その長さを感じさせない力作である。スティーヴン・キングの原作のかなり忠実な映画化でありながら、それ以上のものになっている。フランク・ダラボンという監督、なかなか只者ではない。なにせ脚本も書いているのだが、この脚本の段階から、すでにして原作をうまく料理している。原作ではトム・ハンクスの演ったポールの老後の話が、ところどころで顔を出すのだが、これを最初と最後だけのサンドイッチにして、中間部分を途切れなく語っていく。そしてラスト近くは、もう原作以上の盛り上げ方だと思う。
原作に無いのは、死刑囚のコーフィが死刑になる前に、一度も見たことがないという映画というものを見てみたいと言い出すシーン。刑務所の中で、彼だけの為に上映会が行われ、フレッド・アステア、ジンジッャー・ロジャースのミュージカル『トップ・ハット』がスクリーンに映し出される。それに涙してコーフィが「天使だ、彼女は天使だ」と言う。どちらかというとミュージカルは苦手な私だが、このシーンにはジーンときてしまった。映画ファンの心理を揺さぶる憎い演出だ。卑怯者! ほろっとしてしまったじゃないか!
コーフィが、自分は無実と知りながら、もう世の中の醜いものを見たくない、早く死刑にしてくれと語るシーンから、死刑直前の最後の一言、養老院での老後のポール、同じく年老いたミスター・ジングルス、不老の悲しみとつづく感動のつるべ打ちに、すっかりやられてしまった。
フランク・ダラボンという人、よくわからないのが、監督作が『グリーンマイル』以外には、『ショーシャンクの空に』と『ザ・ウーマン・イン・ザ・ルーム』(短編)という、やはりスティーヴン・キング原作のものだけということ。あとは脚本で参加しているのみ。テレビ用の映画は何本か撮っているようで、先日も東京12チャンネルの午後1時から放送している時間枠で1990年の『Buried Alive』が『天国からの復讐』というタイトルで放映され、録画して見てみたのだが、お気に入りジェニファー・ジェイソン・リーの怪演以外は、あまり見るものがなかった。
『グリーンマイル』の原作は、新潮文庫で200ページに満たない薄っぺらなもので毎月一冊ずつ6巻出たが、私は忠実に毎月一冊ずつ買い、そのたびに読んでいた。キングもそうやって読んでもらいたいと思っただろうから。ところが、私の周囲の人間はみんな、6冊まとまってから読んだという。いっそのこと映画も、テレビ放映にして、30分ずつ6ヵ月に渡ってやったら―――って、それじゃ誰も見やしないか。