December.30,2000 タイの風習が面白い
『シックスティナイン』というタイ映画が公開された。タイ映画といえば、今年の正月にテレビで見た『運命からの逃走』以来。あれは面白い映画で、私もかなりの字数で内容を書いたものだった(1月9日)。今回の『シックスティナイン』は予告編を見て、是非見たいと思っていた作品。ブラック・コメディなのだ。
ある会社のOLが、企業の業績が思わしくないので、くじ引きによりリストラされる。自殺まで考えた彼女だが、翌朝目を覚ますとアパートの部屋の前にインスタント・ラーメンの箱が置いてある。開けてみると、中には100万バーツの札束。これはヤクザが間違えて彼女の部屋の前に置いたもの。気が付いたヤクザは、金を取り返しにやってくる。そこでひょんなことから、この二人組のヤクザを殺してしまう。さらには別のヤクザやら、警察官やら、詮索好きの隣人やらがやってきて、そのたびに人が死んでいく。部屋の中は、いつしか死体の山。
この映画を撮ったペンエーグ・ラッタナルアーン監督は、タイのタランティーノと言われているそうで、確かに『パルブ・フィクション』の世界に似ているところはあるが、ちょっと違うんじゃないか? 大金を手にしてヤクザに追われる話って結構あるし(例えば『アドレナリン・ドライブ』)、ふとしたことで殺してしまった死体をどうしようかとアタフタするブラック・コメディは山ほどあるし(例えば昔、小沢昭一の『ああ、馬鹿!』というのがあった。そうそう、これもそのうちに書かなくちゃ。好きな映画なのだ)、別に新しいアイデアとも思われないのだが、舞台がタイで、なんともゆったりしたテンポで進行していくこの映画、けっこう楽しめました。
面白いなあと思ったのが、映画の内容とちょっと違うところ。ヒロインが自分のアパートに帰ってくると、玄関(というほどのものではないが)で靴をぬぐのだ。靴をぬいで、部屋では裸足で生活をしている。あれ? 日本以外でも部屋に入ったら靴をぬぐ習慣のある国があるんだろうか?と思っていたら、彼女の部屋に入ってくる人達は土足でズカズカと入ってくるから、やはり普通のタイ人は靴をぬぐ習慣はないのだろう。もっとも、日本での生活が長い外国人は、靴をぬぐ習慣を良いと思うらしくて、自国に帰っても実行する人がいるらしい。けっこう清潔好きのタイの若い女性など、靴をぬいで生活する人が多いのかもしれない。
もうひとつ面白かったのが、死体を隠す籐の大きな籠だ。ヒロインは、これをテーブル代わりに使っているのだ。この中には、いろいろなものが収納できて、なるほど便利。いいなあ、私もテーブルのかわりに籠を買おうかなあ。本なんかも入れておけるし、彼女みたいに死体だって入れられるしね。
December.23,2000 引っ張るよなあ
年末で忙しいというのに、NHK総合テレビで放映された『スティーブン・キングの悪魔の嵐』を見てしまった。90分ずつ3回、計4時間半の長尺ものだ。三夜連続の放映だったから、毎晩録画して翌日には前日のものを見ていくことにした。4時間半ともなると、録画して放っておくと、まとまった時間が取れそうもない。永久に見ないで終わってしまう可能性がある。しかし、見たい! 何せキングがテレビ用に書き下ろしたオリジナルなのだ。
ある小さな島に嵐が上陸する。風と雪で、住民は身動きが取れなくなる。嵐と共に、ひとりの男が現れる。毛糸の帽子を被った黒い目の男は、島の老婆を殺害する。現場に向かった治安官は、まだ現場にいたこの男を逮捕するが、男は不適な笑みを浮かべるだけ。これだけで、ほぼ一夜目終了。いやあ、ゆったりしたペースだ。年末にきて、こんなに悠長なドラマを見せられるとは思わなかった。
二夜目。一夜目に較べるとテンポは上がり、物語が動き出す。島民が次々と殺される。どうやったかは分からないが、犯人は逮捕されている男らしい。そして、この男は人間ですらないようなのだ。殺人現場には必ず、「望みのものを与えよ。しからば立ち去ろう」の書置きがある。面白いのは、島民の会話にこんなのがある。「誰にも知れやしない。今までもそうしてきたろう。島の人間が口をつぐめば済むことだ。ドロレス・クレイボーンが、あの日食の時に本当にしたことも―――」 ははあ、この舞台になった島は、あの島なのね。
いったい、この男の望むものとは何なのか? それは三夜目になって、それも半分いった所で明かになる。引っ張るよなあ。こんなに長くする必用のある話かあ? 最近のキングって、いらないようなエピソードで話を長くする傾向があって、少々うんざりしてくるのだが、それでも読んじゃったり、見ちゃったりするのは、やはり腕がいいのだろうけれど・・・でもねえ・・・。
December.17,2000 相手を傷つけることの覚悟はできているか
きのう、『バトル・ロワイアル』が初日を迎えた。公開前から問題になっていたので、いつ上映中止にされてしまうかわからない。これは何としても初日に駆けつけようと前々から思っていた。昼間は用事が多くて行かれず、丸の内東映の前に立ったのは最終回の上映前になってしまった。今朝のスポーツ紙によると、何でも舞台挨拶目当てに1000人が並んだそうで、大ヒットと書きたてていたが、最終回はガラガラ。
Tavernで長崎くんが特別試写会の様子を興奮したように書いていたので、大いなる期待を持っていましたが、それは裏切られることがなかった。ここ数年の深作欣二作品としては、ベストと言っていいでしょう。感傷を極力廃した暴力描写に、すっかり酔ってしまった。原作とは別物だという話も聞いていたから、原作との違いもまったく気にならなかった。これはこれで、実に映像向きに作られていて、いいと思う。
そして、何といっても圧倒的な存在感はビートたけし。予告編を見た時から、「こりゃあ凄いわ」と思っていたが、実際に映画を見るともっと凄い。原作にも予告編にもなかった、冒頭でたけしが刺されるシーンの戦慄。そして予告編ですっかり有名になってしまったバトル・ロワイアル・ルール説明シーン。「この国はすっかりダメになってしまいました」 「今日はみなさんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます」 「人生はゲームです。みんなは必死になって戦って、生き残る価値のある大人になりましょう」 こんなセリフをさらりと言えるのは、今、この人しかいないだろう。教室内を逃げ惑う生徒と、薄笑いを浮かべるたけしの対照の妙。グルリと回るカメラのスリリングな動き。もうこのシーンだけで、この映画は成功したようなもの。
原作と大きく一線を分けるのは、大人対子供の図式。生徒の中に、本当にいそうな悪びれた子が多いのが面白い。人の話を真面目に聞かない。私語ばかりしている。先生に食って掛かる。主人公格の七原秋也(藤原竜也)も、父が会社をリストラされて次の仕事先が見つからずに自殺に追い込まれて亡くなったという設定。回想シーンで、レストランにふたりで入って食事しようとするシーンがある。仕事が見つからず焦りを感じる父を冷ややかにしか見れない秋也というのは、現実感がある。
そして面白いことに、たけしの携帯に娘から電話がかかってくるシーンが驚きである。娘は父が家に帰ってこないので一応電話したらしいのだが、切り際に「おとうさん、電話でも息しないで! 息が臭いわよ!」 呆然と電話を切るたけし。
いつの時代も同じなのだろうか? 青春時代は大人を疎ましく思うもの。私も若いころは世の大人を見て「あんな大人にはならないぞ」と思ったものだった。子供と大人の境界線はいつだったのだろう。気が付いてみれば、もうすっかりオッサンである。酒場で酒飲んで昔話をしている、一番成りたくなかった大人になってしまっている。今の若者のおかしなファッションや、ヘンなイントネーションの言葉遣いや、モラルの低下を嘆いている。繁華街にたむろして通行の邪魔をしている若者を見ると怒りが込み上げてくる。
[おやじ狩り]などというものが流行っている。若者が数人、暗闇で待ち伏せしていて、金を持っていそうな中年の男が通ると、いきなり襲いかかり暴行を加えた上に金目の物を強奪して逃げるのだ。どうも彼らは金が欲しいだけでなく、暴力を振うのが楽しいらしい。いったい何を考えているだと前から思っていたから、この映画の衝撃度は高かった。ある意味で、これはバカにされ続けたたけし(大人)の、子供に対する復讐談とも言える。
ラストで再び携帯に電話してきた娘に、たけしはこう言う「人を嫌いになるということは、それなりの覚悟をしておけということだぞ!」
映画を見終わって夜の街に出たら、嫌な光景を見てしまった。ビルの地下にある飲み屋から三人のひとが出てきた。ひとりはコートを着た中年のサラリーマン風。ひとりはこの寒い夜だというのに赤いTシャツ姿の体格のいい若い男。もうひとりは若い女性。何か酒の上でのトラブルになったのだろう。若い男が、サラリーマン風の男のシャツを両手で揺すって、脅しをかけている様子。相手は無抵抗だった。いきなり、若い男が中年男を殴った。顔面に一発! 左手で押さえつけておいて、右手を大きく後ろに引くと、思いっきり殴った。サラリーマンは両膝を地面につくと、そのままコンクリートの上に倒れていった。
それを見届けると若い男はスタスタと立ち去って行く。連れだったのだろう、若い女性が、若い男の左腕にもたれるように一緒について行く。10メートルほど歩いてからだろうか、心配になったのか、我に返ったのか、女性が倒れている男のところへ戻る。若い男も心配そうに元に戻った。感情にまかせて発散してしまった暴力が、あとで取り返しのつかないことになってしまう。
単に[力の暴力]だけでなく、[言葉の暴力]も含め、相手を傷つけるということはどういうことなのか、いろいろと考えさせられた日だった。
December.11,2000 『カル』を見たらホームページ
韓国映画『カル』って見ましたか? もうそろそろ終わってしまうから、まだ見てなくて興味のある人は、早めに行かれることをお薦めします。どうも韓国映画と相性の悪い私も、これはちょっとハマりました。最後に明かされる真犯人が、あの人物だとすると、あの時に〇〇〇〇〇〇〇と〇〇〇〇〇のはおかしいと思うのだが、まあ、この映画、いろいろな謎を放り出して終わってしまうので、それもありかなとは思うのです。
映画館に入ったら、何やらテレホン・カードでも入っていそうな小さな封筒を渡された。封筒には「『カル』の謎が隠されています。映画をご覧になってからご開封ください」という文章が印刷されている。ふうん、なんだろうと思って、さてパンフレットを買おうとしたら売っていない。どうやら売りきれらしい。何やら関連本が1冊売っていたが、まあそれは、書店でも買えそうだからと、とりあえず客席へ。映画はいきなり人体をメスで切り刻んでいくショッキングな映像から始まる。手や足がゴロンと転がる。韓国でこんな映像は上映可能なのかなあと思っているうちに、物語は動きだす。ただ、そうですね、『ツインピークス』のように、いろいろと謎のあるシーンがあって、よく考えていくと一筋縄ではいかないなと思えてくる。
見終わって先程の封筒を開ける。テレカではなかった。当たり前か。写真入りのカードが一枚。[謎3]としてある。ははあ、貰う人によってカードはバラバラに何種類もあるのだなと見当がつく。そして、ホームページのURLが書いてあり、そこに謎を解くヒントありとくる。
家に帰って、さっそくアクセスしてみて、びっくりしましたね。このサイトの充実ぶりときたら、あきれ返るほど。キャストやスタッフの紹介から始まって、プロダクション・ノート、監督へのインタビュー、日本版予告編、日本版特報、韓国版予告編など盛りだくさん。これならパンフレットなんて買う必用ない。しかも、BBSまであって、何百もの書き込みがある。
さらに凄いのはフロント・ページの下の方に[Secret of Kal]という文字列があって、ここをクリックするともうひとつの世界が広がっていて、もう見た人を対象のページが出現する。ここにもBBSがあって、ここはもうネタばらし自由。いろいろに散りばめられた謎について、いろいろな人が書き込みを続けている。当然こっちのBBSの方が人気があって、みんな熱い熱い。リピーターを増やす目的もあるのだろうが、これは実に楽しいサイトだ。なんだか、映画を1本見て、そのことを仲間とワイワイと話し合うような賑やかさ。ここのコーナーを楽しむためにも、みなさん、必見ですよ、『カル』。
December.3,2000 [愛][死]、そして[犬]
今年の東京国際映画祭のコンペティションでグランプリを獲得したのは、メキシコ映画の『アモーレス・ペロス』。下馬評でも最有力候補と言われていたから、まあ順当な結果だったろう。映画祭最終日の夜、渋谷公会堂の受賞式に行って来た。
この人が、監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。37歳。この長編デビュー作で、いきなり今年のカンヌ国際批評家週間グランプリを受賞した。何回も脚本を書き直したというスピーチがあったが、なるほど、よく出来た脚本だと思う。
映画は、いきなりカー・チェイスから始まる。メキシコの街を一台のクルマが逃げている。後部座席には血を流して重症の犬が一匹。追っかけてくるクルマはギャングらしく、拳銃をぶっ放している。そこで、話は逃げているクルマに乗っていた男が何をやって逃げているかの過去の話に飛ぶ。
この映画の構造は、『パルプ・フィクション』に似ている。三つの話が、ひとつの映画の中で順に語られ、それらが、各エピソードの中で時々交錯する。最初の話が上記のカー・チェイスに繋がるもの。兄嫁との禁断の関係にある男が、駆け落ちをする資金を調達するために、闘犬で儲けようとする話。メキシコの貧困社会の様子がうかがえ、なかなかに興味深い。
二つ目のエピソードは、打って変わって金持ちの話になる。前の妻と離婚し、人気モデルと結婚した中年男の話。幸せな新生活をスタートした直後、この美人モデルの新妻が事故に巻き込まれ、重症を負ってしまう。モデル生命を絶たれてしまったあとのふたりの人生は・・・。
最後のエピソードは、家族を捨てテロリストとなり、今ではホームレスをしながら殺し屋をやっている男の話。この男を演じたのがエメリオ・エチェバリアという、下の写真の人。
この役者がいい。およそ、メキシコのロバート・デ・ニーロといった貫禄。最後のエピソードに入る前から、その前の二つのエピソードでも十分に存在感がある。
映画全体を見渡すと、テーマは[愛]と[死]、そして[犬]。全てのエピソードに犬が大きな役割を果たす。タイトルにある[ペロス]とは、スペイン語で[犬]のこと。犬を通じて登場人物たちは、[愛][死][喜び][悲しみ]を体験することになる。決して小難しい映画ではない。『パルプ・フィクション』の手法を使って作った、一見複雑のようにみえて実はわかりやすい、娯楽映画の衣をまとった、人生を考えさせてしまう傑作だろう。