June.15,2001 どうしちゃったの三谷さん
三谷幸喜の10年前の脚本『ヴァンプショウ』の再演を見たあと、この日封切りの三谷幸喜監督作品『みんなのいえ』をハシゴした。映画館は拍子抜けするほど空いていた。
『ラヂオの時間』に続く監督第2作目の内容が[ホームコメディ]と知らされた時には、どうなることかと思っていたのだが、さらにはそれが、実体験を元にした家を建てる話と知らされた時に、すぐに思い浮かんだのが伊丹十三監督の『お葬式』。人生の中で、そう体験するものではないものの、一度は通る行事。それを体験したことから1本の映画を作る。面白いかとも思うのだが、その体験をどう料理するかが作者の腕の見せ所だろうと思った。
大好きな三谷幸喜の作品である。嫌でも情報は入ってきてしまう。そして、新しい情報を聞くにつけ、イヤーな予感がしてくる。見る前から内容が分ってしまう。家を建てようとする若夫婦。建築デザインをアートだと思っているデザイナー。昔かたぎで、できるだけ頑丈な家を期限内に作ろうとする大工。頭で考えるデザイナーと現場の大工のぶつかり合い。どうせ、いずれお互い同士の心が通い合い、一軒の家が完成する映画なんだとラストまで見当がついてしまう。
作家なんだもの、いろいろな作品を書きたいんだろうし、それは作者の勝手なのだが、私が今まで三谷幸喜に期待していたのは、先が読めない脚本ということだった。『笑いの大学』 『バイ・マイ・セルフ』 『マトリョーシカ』 『オケピ!』といった舞台作品。『振り返れば奴がいる』 『古畑任三郎』といったテレビドラマ。全て先が読めず、いったいこの話、どうするんだろうという期待感で引っ張っていく。それが私にとっては三谷幸喜という人の魅力だった。それが『みんなのいえ』はどうだろう。あまりにもレールどおり。才人三谷のことだから、もっと大きな事件が巻き起こり、ハチャメチャになっていくものと思っていたのに、随分と常識線。「いままでの日本映画にない、まったく新しい喜劇映画を作りました」と豪語した『ラヂオの時間』に較べると、今回はよくある日本の喜劇映画に逆戻りしてしまったとしか思えない。
『ヴァンプショウ』に少々がっかりした私だが、こんな映画ならまだ『ヴァンプショウ』の方がましだと思えてしまった。帰宅して『キネマ旬報』を見たら、彼は『みんなのいえ』に関するインタビューにこう答えていた。
「僕は、観客が今、何を求めているかは、実はそんなに興味ががありません。僕はは、僕が観たい映画を作るだけで、それがもし、一般の方の求めているものとズレていたら、それはそれでしょうがない」
そう言われてしまうと、私も困ってしまうのだが・・・。
June.12,2001 サリー・イップがカワイイんだなあ、これ
前回、ツイ・ハークの新作『ドリフト』のことを書いていて、ツイ・ハークの昔の映画が見たくなった。初期のころの傑作を1本だけあげろと言われたら、私は迷わずに1984年の『上海ブルース』を選ぶ。中古ビデオ屋で手に入れ、すでに何回か見ているのだが、見るたびに幸せな気分にさせられる大好きな1本だ。
日本軍による空襲の夜、ピエロを辞めて軍隊に入ろうと決心したケニー・ビーは、上海の橋の下でひとりの女性に出会う。それがシルヴィア・チャン。灯火管制であたりは真っ暗。ふたりはお互い顔も見えない中、戦争が終わったらまた会う約束をする。名前を訊こうとするが逃げ惑う群集に飲みこまれ、それすら果たせぬまま・・・。日本にこのビデオが入ってきた当時、このシチュエーションが『君の名は』によく似ていたものだから、よく香港の『君の名は』だとして取り上げられていたのを憶えている。しかし、この映画は香港映画らしいバイタリティに溢れた良質なコメディだった。
10年後、シルヴィア・チャンはナイトクラブの踊り子になっている。そんなところに、田舎から出てきた娘サリー・イップが、ひょんなことから転がり込んでくる。このサリー・イップがいい。確かこれが始めての映画だったはずで、これからツイ・ハークの電影工作室では欠かす事ができない女優になっていく。ふたりがアパートに帰ると、上の階に引っ越してきた男がいる。それがケニー・ビー。さあこれから、お互いにあの橋の下で出会った仲とは気がつかないまま、三角関係コメディに発展していく。
ケニー・ビーは、終戦後も芸人をして食いつないでいるが、夢は音楽家になること。この引越してきた夜に、ケニー・ビーがベランダに出て弾くバイオリンのメロディーこそ、この映画の原語タイトルにもなっている『上海之夜』。全編にわたって流れるこのメロディーは中国の流行歌らしい哀愁のあるいいメロディーで、私は大好きなのだ。今でも、とぎどきハミングしてしまう。ちなみにこの映画では、もう1曲、シルヴィア・チャンがナイトクラブで歌うコミカルな曲があるのだが、これもまたお気に入りの1曲だ。
ストーリーの本筋は、シルヴィア・チャンとケニー・ビーの方なのだが、どうしても私の目はサリー・イップの方に行ってしまう。1961年台湾生まれというから、当時23歳。本当にカワイイ。ひょっとして、ツイ・ハークはキャスティングをミスしたのではないかと思えるほどだ。だって、なんでケニー・ビーはサリー・イップを取らないで、シルヴィア・チャンの方に行くのだか理解に苦しむもの。こう思ったのは私だけではないはずだ。
ひょんなことから、中国の有名女性歌手の手に渡ったケニー・ビーが作曲した『上海之夜』の楽譜。有名歌手によって、全国にこの曲がラジオ放送されることになった夜、三角関係を断ち切り、身を引いて香港へ旅立とうとして列車に乗りこむシルヴィア・チャン。そのことを知って駅まで走るケニー・ビー。『上海之夜』の放送が始まり、被さってくる。この劇的な盛り上げ方が圧倒的だ。ここで初めて『上海之夜』に歌詞がつけられる。♪ゆうべのそよ風が ふたりの夢を運ぶ ほんのひととき 抱き合いたい・・・
ハッピー・エンド。駅に残されたサリー・イップは、この時点でモデルに選ばれて、すっかり垢抜けた格好。そこへ、列車から降りてくるひとりの田舎の女の子。これがサリー・イップの二役。最初の方のシーンでサリー・イップが演じたそのままの田舎娘。「ちょっと、ここが花の都上海なの?」と言うその田舎娘に、「そうよ、頑張ってね」と返す。上海の街。サリー・イップが上着をバサッと跳ね上げるところでストップ・モーション。かーっ!いいな、いいな、このシーン。何回見てもカッコイイんだなあ。
June.4,2001 ツイ・ハークが心配だ
ハリウッド進出で撮った2本のツイ・ハーク監督作品『ダブルチーム』と『ノック・オフ』。このどちらもが退屈きわまりないデキだったので、どうもこのハリウッド進出は失敗だったように思えたのだが、香港に戻って今年の初めに公開された、香港での監督作『ドリフト』のここへ来ての素早い日本公開には、見に行く前から心が踊った。ツイ・ハークよ、ハリウッドなんて行かなくていいよ。香港で映画撮ってくれよと思っていた私には、これが絶対に面白いデキになると信じ込んでいたフシがある。そして公開初日、勇んで劇場に足を運んだ私はまたもや肩すかしをくわされたような気分になってしまった。
映画は、ツイ・ハーク監督自身のナレーションによる聖書の『創世記』の引用から始まる。「初め、すべては無で、闇に閉ざされていた・・・(略)・・・そして男の女が生まれた。全ての混乱がここから始まった」。そしてバーテンのニコラス・ツェーと、レズの婦人警官のキャシー・チュイが出会う。おいおい、ウォン・カーウァイみたいじゃないか、これは。ふたりは酒の呑み較べ競争をして酔っ払い、気が付くとふたりはニコラス・ツェーのベッドで寝ている。ふたりとも昨夜の記憶がない。果たして、ふたりは[した]のか[しなかった]のか。9ヶ月後、キャシー・チュイは大きな腹を抱えている。レズの女性が妊娠している。父親は自分しか考えられない。ニコラス・ツェーは彼女に出来るだけ援助の手を差し伸べようと、危険なボディガードの職に就く・・・。もうこのへん、ひょっとしてウオン・カーウァイになってしまうんじゃないかという導入部である。
さらには、お互いが心引かれ合う中になるという、ニコラス・ツェーと、元南米で傭兵をしていたウー・バイとの出会いのシーン。モデルガン・ショップでのオルゴールの音色をめぐって出会うこのシーンも、どうもウオン・カーウァイ臭いのだが・・・、まてよ、男同士ということになると俄然ジョン・ウーっぽくなってくるぞ。日本での宣伝文は「これが、ジョン・ウーへの挑戦状だ!」とある。そう思って見ていくと、ハトまで出してくるし、随所に香港映画時代のジョン・ウーのタッチが垣間見える。ハリウッドへ行ってから、すっかりドライな演出に変わっていったジョン・ウーのお株を奪ったかのように、ウエットな世界が続いていく。
なんでツイ・ハークは今ごろになってこんな映画を監督しようと思ったのだろう。1986年、それまで『蜀山奇傳/天空の剣』 『上海ブルース』 『北京オペラ・ブルース』と順調に監督を続けていたツイ・ハークは、突然に制作に回り、『男たちの挽歌』(英雄本色)をジョン・ウーに撮らせることにする。この第1作目は、ツイ・ハークは脚本にすら参加しておらず、脚本監督ともジョン・ウーであることからしても、当時ホサれて台湾に行っていたジョン・ウーがやりたかったことをツイ・ハークがやらせてあげたのだと思う。それが思いの外、大ヒット。気を良くしたツイ・ハークは続編の制作に大乗り気だったに違いない。主人公が死んじゃっているというのに脚本にも参加し、また『男たちの挽歌U』(英雄本色U)をジョン・ウーに撮らせている。これまた大ヒット。もうこのころのツイ・ハークときたら、監督業からは身を引いたかのように、ひたすら制作に回っていた。『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』 『大丈夫日記』 『ロボフォース 鉄甲無敵マリア』・・・。
そしてもう一度とばかり『アゲイン 明日への誓い』(英雄本色V)の制作に入る。ほとんど3年間、監督をしていなかったツイ・ハークは、この3作目をやはりジョン・ウーに撮らせたかったのではないだろうか。それがおそらくジョン・ウーはこの時点で『狼 男たちの挽歌・最終章』(喋血双雄)の監督に入っていたこともあって、この企画を蹴ったに違いない。そうだろう、きっとジョン・ウーはもう、このシリーズに興味を無くしていたのではないだろうか? そこで、ツイ・ハークは自らが監督することになる。この映画はチョウ・ユンファ演ずるマークの、1作目よりも前の話にあたるもので、これはもう明らかに前2作とはタッチの違った映画になっている。舞台も香港は出てくるが、主な舞台はベトナムになっていた。
さて、このあとツイ・ハークは、かの『ワンス・アポン・ア・タイム・チャイナ』のシリーズを監督し、古装片ブームに乗って、監督、制作、脚本と多くの映画に関わり、95年の『ブレード/刀』という大傑作を最後に、時代劇終焉宣言とともに、監督作はハリウッドでという方向に向かっていってしまったのだ。さて、そしてこの『ドリフト』である。ひょっとして、ハリウッドでの失敗とも考え合わせて、ツイ・ハークという人は、現代アクションに向いてないのではないだろうか? ところどころで、これがジョン・ウーだったら、もっと上手く撮るだろうになあというシーンが出てくる。
ラストの銃撃戦の中での出産シーンというのも、何だかワザとらしくて見ていてつまらない。ラスト・シーン、病院で生まれたばかりの赤ちゃんを見て、またもや『創世記』を持ち出して、こう語る。「神は何もなかった世界にいろんなものをつくった。でも世界は混乱し、収拾がつかなくなった。そこで神が最後に用意したのが[希望]だ・・・・・・・・・・。希望があれば、彼らは生きていける」―――――う〜ん、これが言いたかったのだろうけれど、それにしてもいささか長く、こっちはちょっとダレてしまった。このあと監督を予定しているという『蜀山正傳』と『黒侠2』が、果たしてどう出るかだが・・・。