November,29,2001 中国映画も自由な発想になってきた
東京フィルメックスで上映された『イチかバチか』という中国映画は不思議な作品だった。出てくる人たちは全員プロの役者さんではなく、みーんなズブの素人。しかも監督がこれが2作目の作品だというのだから、ヘタをすれば単なる映画好きの自己満足みたいな退屈なものになってしまいそうなのだが、これが見ていてグイグイと引き込まれていってしまうのだから面白い。
映画は上海で実際にリストラにあった人たちを使っている。映画の中での彼らは室内装飾の会社を作る。会社はなかなか軌道に乗らずに苦労するのだが、いつもなんとかなるさと思っている社長のもとで明るく働いている。なにしろ演技とはいえないような演技だから、遊んでいるように見えてしまい、これでこの会社は大丈夫なのだろうかと不安になってしまうが、その中で素人の持つ妙にリアルな生活感が、逆に上海の今の空気を伝えてくる。ドキュメンタリーとも違うし、キッチリとした劇映画とも違う。こんな不思議な映画を見たのは始めてだ。
社長の買った宝くじが当たって、あまり儲けのなかった会社が再興するという展開はご都合主義だが、上海でも深刻になっている失業問題の中で、話が暗くなっていかないだけ良かったのか? でも、ファースト・シーンと繋がるラスト・シーンまで都合が良くなるとどうもね。案外、中国人って楽天家なのかもしれない。下の写真は上映後のティーチ・インで質問に答えるワン・グァンリー監督。
November,27,2001 懐大きいね、ジョニー・トー
東京の映画ファンの秋は忙しい。東京国際ファンタスティック映画祭、東京国際映画祭が終わったばかりだというのに、今度は東京フィルメックスが始まってしまった。前二本の映画祭に較べると地味であまり騒がれないのだが、あちらがもう配給がほぼ決まっているものを並べているものが多いのに対して、こちらはほとんど公開未定の作品が並んでいる。ここで見ておかないと、二度と見られないという可能性を持っているものがほとんどだ。
そんなこともあって、ほとんど前もっての知識もなく作品を選んで見に行くことになる。とりあえず確保しておこうと思ったのが香港映画の『天有眼』。誰が監督していて、誰が出演しているかも知らないまま、犯罪ものだというくらいの情報でチケットを買った。
映画が始まって、クレジット・タイトルを見ていてびっくりしたのが、この映画の製作がジョニー・トーだということ。今や香港映画はジョニー・トーを中心に動いていると書いたばかり。う〜ん、ジョニー・トーはこんなところにまで関わっていたのか。
内容はというと、パトリック・タム扮するご普通の青年が青酸カリを使って香港の黒社会のボスを暗殺しはじめる。それを追うのがサニー・チャンの刑事。犯人を捕まえなければいけない立場の彼だが、世の中の悪を退治して歩くこの犯人に共感を覚えてもいる。そして新聞記者にして、その新聞に実録小説を書いているジョーダン・チャン(陳小春といった方が通りやすいか)がこの映画の中心人物。
最初は実際にあった青酸カリマフィア毒殺事件を小説化していたのだが、連載が進むにつれ、この後の展開を創作して載せるようになる。すると、その小説そっくりの手口でマフィア殺しが行われるようになっていく・・・。
上映後、監督のデレク・チウとティーチ・インが行われたが、チウ監督は今の香港映画界で黒社会が賛美されて映画にされていることに不満を感じて、この映画を撮ったとのこと。なるほど、最近はそういう傾向があったよなあ。ジョニー・トーは制作現場に口を出さず、自由に撮らせてくれたというが、完成品を見て、ジョニー・トーはさぞかしびっくりしただろう。おそらく企画段階で、もっと派手なものを想像していたに違いないと思われる。実際に出来あがった映画はかなり実験的な手法を使った撮り方で、時間列が入り繰っていたり、幻想シーンが挟まったりで、ちょっと興行的にどうかと思われるところが多い。もっともジョニー・トーだって結構、やりたい放題な映画も撮っているわけで、これはこれでいいのかな。
November.22,2001 共産主義の不条理さを描いたアルバニア映画
シアター・コクーンで3本の映画を見て、4本目はまだ体力的に余力があったらにしようと思っていたのだが、『痩身男女』などという傑作を見てしまうと、「ようし、もう1本」という気になってしまった。若いころは3本立ての洋画を名画座で毎週のように見ていたし、4本立ての洋画オールナイト、5本立ての邦画オールナイトもどうってことなかった。さすがに最近はそんな無茶はしなくなっていたのだが、たまには一日映画漬けの日があってもいいだろう。
シアター・コクーンでのこの日の4本目は、東京国際映画祭コンペティション部門のグランプリ受賞作が上映される。いったい何が上映されるのか直前まで分らない。まあいいかと列に並んだ。列が進んで入り口のところに来ると、これから上映される映画のポスターが見えた。
『スローガン』? なんだこれは? 慌てて映画祭のスケジュールの書いてあるチラシを見る。アルバニア映画。アルバニア? なっ、何、アルバニアって。私にとってアルバニアというのは、それこそ世界にはアルバニアという国があるという程度の知識しかない。世界地図を示されて、アルバニアの位置を指し示せと言われても、指差すことは不可能だ。恥ずかしい話だが、アルバニアに関する知識はゼロといっていい。
映画は1970年代の後期、アルバニアの山間部の小さな村に、ある若い教師が、その村の小学校に赴任してくるところから始まる。当時アルバニアは共産主義の独裁政権下にあった。教師の仕事は子供達に勉強を教えることと同時に、子供達と一緒に村の崖などに白く塗った石を使って共産主義のスローガンを文字にして並べること。
なにせ石でアルファベットを作り並べただけだから、ちょっと大雨が降ったりするとすぐに崩れてしまう。その修復、そして年中変わる新しいスローガンに、そのたびに駆り出される。やがてこの山間部に党の幹部が視察に来ることになる。校長は幹部に好印象を持ってもらおうと躍起になって、石のスローガン作りに村人を動員する。不満を表す村人や非協力的な人物は、総会を開いて断罪していく。
本末転倒してしまった共産主義の不条理さを描いた、なかなかの力作だった。家に帰ってインターネットでアルバニアについて検索して、いろいろと調べてみた。この映画を見なかったら、私は一生アルバニアという国のことを知らずに終わってしまったかも知れない。
November.19,2001 いまやジョニー・トーの時代だ!
この日の3本目は最も期待していた一本だ。ジョニー・トーがワン・カーファイと共同監督した『痩身男女』。この夏香港で大ヒットした話題作がいち早く見られるのだ。これは行くっきゃないでしょ。
あの『ザ・ミッション/非情の掟』で映画ファンを酔わせたジョニー・トーがワン・カーファイと共同監督で撮ったコメディ―――って想像がつきますか? どうもジョニー・トーという人物は一筋縄ではないらしい。『痩身男女』の前にも『Needing You』というこれまたワン・カーファイとの共同監督で撮ったラブ・ロマンスものがある。こちらも先日公開されたので見てきたのだが、それまでのジョニー・トーの作品系列からは想像がつかないほど明るい娯楽作に仕上がっていた。
『痩身男女』は『Needing You』に続き、ジョニー・トーが集客を目的にして作った路線の2作目である。全編日本ロケ。主演は『Needing You』と同じアンディ・ラウとサミー・チェン。映画は、日本のあるピアノリサイタル会場から始まる。日本人のピアニストが、最後の曲を弾こうとしている。「この曲は、私の最愛の人に捧げる曲です」と言って鍵盤に指を滑らす。客席には丸々と太った女性がいるのだが、この女性、この曲が流れ出すと感極まって立ちあがり楽屋へ向かってドタドタと走っていく。しかし階段でつまずいて倒れてしまう。そこへ演奏を終えたピアニストが通りかかる。「ああ、あなたは今回のツアーに毎日来てくれていましたね。そうだ、ポスターにサインを書いてさしあげましょう。お名前は?」 「・・・ミニー・・・」 「ミニー・・・私が愛していた人と同じ名前ですね」 そう、この丸々と太った女性こそ10年前に日本人ピアニストが愛した女性、サミー・チェン扮するミニーだったのだ。
サミー・チェンは10年前に香港から日本にやってきて、このピアニストと恋に落ちる。しかし、ピアニストはアメリカへ留学に行ってしまう。恋人と逢えない苦しさから彼女はやがて過食症に。今は体重140Kg。昔の面影は残っていないほどに太ってしまっている。しかも彼女はこの時点で一文無し。そこへひょんなことから包丁の行商をしているアンディ・ラウと出会う。このアンディ・ラウも丸々と太った超デブ体型。いったいこの香港一の美男美女を、超デブメイクにしてやろうという罰当たりなアイデアはどこからきたのだろうか?
サミー・チェンから事情を聞いたアンディ・ラウは、何とか彼女を昔の体重に落としてやろうと協力してあげるというのが、この映画のストーリー。全編日本ロケだから日本語がかなり多く出てくる。当然日本人の俳優も多いし、主演のふたりも日本語を喋るシーンがかなりある。これが香港映画にしては、けっこう正確な日本語なのでこれまたびっくり。ロケ現場は東京、横浜、真鶴が主だったところ。
デブといっても根暗系のデブではなく、とてもキュートなメイクと演技にしているから悲壮感はない。あくまで笑って笑って楽しめるように作られているところがいい。ダイエットをするにしたがってサミー・チェンが少しづつ綺麗になっていく様子がまた楽しい。そしてラストにホロリとさせる上手さ。香港で大ヒットした理由が分るような気がする。
ジョニー・トーは今年一方で、『ヒーロー・ネバー・ダイ』 『ロンゲストナイト』 『ザ・ミッション/非情の掟』といったノワール系列の延長にある『全職殺手(Fulltime Killer)』を撮っている。こちらは先日、ビデオCDで一足先に見た。アンディ・ラウ、反町隆史が、アジアナンバー1とナンバー2の殺し屋に扮し殺しあうといった内容。こう書くと、ギャビン・ライアルの『深夜プラス1』、それをヒントにした鈴木清順の『殺しの烙印』を思い出す人も多いだろう。これまたスタイリッシュで面白かった。誰が見てもとても『痩身男女』の監督とは思えないだろうが・・・。今、香港映画はジョニー・トーを中心に回っている時代に突入したのかもしれない。
上映後、共同監督のワン・カーファイ監督への質疑応答があったので、それを記録しておこう。
●特殊メイクについて
「エディ・マーフィーの『ナッティ・プロフェッサー』を見て、この特殊メイクスタッフに依頼しました。ただ彼らは他の作品に入っていたので、彼らの前の仕事が終わるのを待ってクランク・インしました」
●映画の中でアンディ・ラウが歌っていた歌は?
「ほんとうは香港でも放映された日本のテレビ映画『Gメン`75』の主題歌を歌わせたかったのですが、使用料が高すぎて使えませんでした。なにしろ特殊メイクに予算がかかりすぎたもので」
●なぜ日本を舞台にしようと思ったのですか?
「香港の人が今一番関心を持っているのが[日本]と[ダイエット]だというリサーチが出たからです。ロケハンを兼ねて日本に遊びにこれたというのも理由のひとつですね」
●とてもキュートなデブに描かれていましたが、それはジョニー・トー監督(彼もちょっと太っている)の仕種などを参考にしたのですか?
「彼がここにいれば、お分かりになると思います。そうかもしれません」
●『ザ・ミッション/非情の掟』の紙屑サッカーのパロディが出てきますが、あれは現場での即興の演出ですか?
「はい、私たちも連日の撮影で疲れが出ていまして・・・」
●ワン・カーファイ監督とジョニー・トー監督の共同監督とのことですが、役割分担はどうだったのでしょう?
「準備段階と脚本は私が担当しました。現場ではほとんどジョニー・トー監督が演出をしました。前作の『Needing You』も同じ形でした」
●[殴られ屋]が出てきますが、ああいう人は香港でもいるんですか?
「昨年ロケハンに来たときに新宿でみかけて、脚本のアイデアになりました。本物の彼もこの映画に出ています。アンディ・ラウと客を奪い合う、もうひとりの殴られ屋役です」
●最初のシーンで、能楽堂の舞台の上にピアノを置いてリサイタルをしているシーンがありますが、日本人としてはかなり奇異な印象がしましたが・・・
「香港の人もそう思うようです。当初はもっと大きなホールで撮るつもりでしたが、デブメイクに予算を取られてしまいまして・・・・」
November.16,2001 帰ってきた喜八タッチ
『アザーズ』を見終わって、次の作品の上映まで食事をして暇をつぶすことにした。あまりヘビーなものを食べると眠ってしまいそうなので、軽いランチを食べてシアター・コクーンに戻る。
2本目は岡本喜八監督が久しぶりに撮った『助太刀屋助六』だ。上映前に監督と出演者たちの舞台挨拶があった。
左から山下洋輔(音楽担当)、岸田今日子、真田広之、岡本喜八監督、鈴木京香、村田雄浩。ひとりひとりスピーチをしていく中で、監督はメモ用紙を見ながらの挨拶。「(字が)よく見えないんだ」と早々に切り上げてしまった。岡本喜八77歳。やはり昔に較べると歳をとったなあという印象だ。ここ数年いろいろと病気を患っていたと聞いたからそのせいなのか?
不安がよぎる。だいぶやつれた印象の喜八さん、映画のデキはどうなんだろう? 今回の『助太刀屋助六』というのも、以前テレビ映画として撮ったものの自らの再映画化というのも気になる。テレビのものは、ジェリー藤尾、寺田農、岡田可愛だったというが、これは見ていない。とすると、ジェリー藤尾の役が真田広之になったのだろうし、岡田可愛の役が鈴木京香になったのだろう。とすると寺田農の役は村田雄浩か?
映画が始まると私の不安は消し飛んだ。真田広之の助六が仇討ちの手助けをして、ついにはそれを職業にしてしまうまでの様子をテンポよくコミカルに撮っていく。ここのシーンは、あれよあれよと過ぎていってしまうので、天本英世やら佐藤允やらがチラッと出ているのが確認できたかと思うと消えてしまう。このオープニングは贅沢な役者の使い捨てで、このへんをもっと長く撮って欲しかったなあと思ってしまう。しかしこの映画の本題は、助六が故郷の村に帰ってきたところから始まる。
ひょんなことから、助六は他人の仇討ちの助太刀ではなく、自分の父親の仇討ちをするはめになっていくのだ。ところが、自分の刀は錆だらけのナマクラの代物。仇と狙う相手は関八州取締り役のお役人(岸部一徳)。周りには役人一行の侍がたくさん取り巻いている。それこそ助六を助太刀してくれる者など誰もいない中で、どうやって仇討ちをするか。いよいよ助六の闘いが始まる。
喜八監督の軽いコミカルなタッチが戻ってきたようだ。父を殺されたと知ってことさら悲しむ演技をするでもない助六役の真田広之。流麗とはとても言えないやり方で敵を倒していく真田の殺陣はリアリティがあり、それでいてどこかコミカルな楽しさがある。音楽にジャズの山下洋輔を『ジャズ大名』以来再び使ったというのもプラスに働いていると思う。笛と和太鼓を中心にして作られた軽快なジャズが時代劇に驚くほどマッチしている。
ラストの仕掛けはおそらく誰もが気がついてしまうはずだが、分かっていても面白い。なんとなく私はマカロニウエスタン、それも悲壮感のない明るいものを連想してしまっていた。岡本監督というのは日本人にしてはめずらしい感性を持った人だと思う。こういう軽いタッチのコミカルなアクションを撮れる人って、いまだに意外と少ないんだよね。
上映後、客電が点くと2階席に、舞台挨拶をした6人の姿が。観客は監督たちに向け、惜しみない拍手をしていた。
Nonember.12,2001 すぐにネタは割れてしまいますが・・・
今年の東京国際映画祭もいろいろと予定がかち合ってしまって、ほとんど見に行く余裕がなかった。いろいろと予定を整理してみたら、11月4日だけは一日空けられることが分かった。よーし、ちょっと無謀だが、この日見られるだけの映画を見てやろうという作戦に出た。シアター・コクーン入り浸りの一日にしてしまおうというのである。
まずは10時40分開映、ニコール・キッドマン主演のホラー映画『アザーズ』からだ。テレビの映画情報番組で一部を見ており、これは是非とも見たいと思っていた一本だ。かなり怖そうなのである。本来は監督のアレハンドロ・アメナバールが舞台挨拶の予定だったが、やはり飛行機テロの影響で来るのを見合わせたと発表がある。困ったもんだよなあ。
イギリスのある島。住人はほとんどいないこの島にニコール・キッドマンとそのふたりの子供(まだ小学生くらいの姉と弟)が大きな屋敷に住んでいる。そこへ三人の召使が仕事をさせてくれとやってきたところから、この物語は始まる。広大な屋敷をニコール・キッドマンが案内する。ひと部屋ひと部屋ぬけるごとに彼女は中から鍵をかける。なぜそんなことをしているのだろうと思うと、すぐに理由が彼女の口から説明される。彼女の子供達は極度の光アレルギーで日光にあたると皮膚がやられてしまうというのである。屋敷には電気もなく、光はランプだけ。
しばらくすると、この屋敷に怪奇現象が起こる。いつのまにかピアノが鳴り出したり、閉めたはずのドアが開いていたり、カーテンが開けられていたり、人が歩き回る物音がしたりする。ニコール・キッドマンと男の子には誰も見えないのだが、女の子は人達を見たと言い出す。彼女はその人達の絵まで描いてみせる。
実はこの映画、勘のいい人ならば途中ですぐに気がつくはずだ。ははあ、あの手法かあ。この手は実はホラー小説では何回も使われてきた手で、特に目新しいものではない。映画の方でも以前に似た手があって、すぐに分かってしまうはずだ。小出しにネタを出していくから、果たしてどこで気がつくかの問題なのだが・・・。分かってしまったら、ちょっと興ざめしてくるが、あとはまだ騙されているつもりでアメナバール監督のホラー演出を楽しむしかない。これがまあ、結構工夫されていて、それなりに面白くはあります。
November.4,2001 あれよあれよのラストのたたみかけ
「すべのシーンが『錯覚』=ミスデレクション。上映開始10分で、あなたはその罠に落ちている」というコピーを目にしては、すぐさま見に行かなくてはいられない。我ながらこういうタイプのコピーには弱い。というわけで、『ソードフィッシュ』には封切り初日に駆けつけてしまった。
映画が始まるとジョン・トラボルタが、あまり意味のないことを話している。私も昔に見たアル・パチーノの『狼たちの午後』のことをとりあげ、あれはシドニー・ルメットの最高傑作だとか話している。ふーん、私はルメットって基本的にあまり好きではないのだけど、しいて言えば『質屋』かなあなんて思っていると話が急に動き出す。トラボルタが立ちあがると、たくさんの警官がショットガンでトラボルタを取り囲む。
体中に爆弾を付けられた人質たち。そのうちのひとりの少女を救おうと、警官がその身柄を建物の外に出した途端、少女に仕掛けられた爆弾が大爆発を起こす。いままでこんなすさまじい爆発シーンは無かった。少女の体から光が発すると、あたり一面に爆風が飛び散る。パトカーのガラスは割れ、あたりにいた警官は吹っ飛ばされる。それを『マトリックス』方式でカメラが回転して、すべてをグルーと見せていく。あまりに静かな立ちあがりからの一転してのこのシーン。頭をガツーンと叩かれたかのようなオープニングだ。そこから「四日前」の字幕がでて、物語が始まっていく。
見ていない人のために、多くは書けない。最初のうちは、やや退屈する。どういう展開をするのか予想がつきにくい。ただ、セクシーなハル・ベリーの役まわりは何なんだろうと思いだしたあたりから、なんとなく見当がついてきた。それにしても、話が一巡して、冒頭のシーンに戻ってからの展開はやはり、あれよあれよで、素直に騙される快感に浸って浸ってしまった私だった。
November.2,2001 このタイトル混乱しちゃうよ!
東京国際ファンタステッイク映画祭には、毎年未公開の香港映画が何本か上映される。香港映画ファンにとってはこれが楽しみなのだが、今年はいったいどうしたことか? 10月28日にまとめて4本の上映。日曜日だから全部見ることも可能なのだが、どうも食指が動く作品がない。唯一見たいと思ったのが、レオン・ライ、瀬戸朝香主演で、アンドリュー・ラウが撮った『バレット・オブ・ラブ』くらい。ところがこれは慌てて見なくても、すぐに一般公開が待っている。残る3作は全てラブ・ロマンスもの。別にラブ・ロマンスものが嫌いだというのではないが、こちらのテンションがどうも上がってこない。さらに追い討ちをかけるように、この日の昼間は別の用ができてしまい、セシリア・チャン、レオン・ライの『ウソからはじまる恋の物語』と、ミシェル・リー、ン・ジャンユーの『恋愛ベーカリー』は見送り。う〜ん、ン・ジヤンユーの恋愛もの(!)なんて想像つきますか? 見たかったなあ。というわけで、唯一見られたのが4本目に上映された『ファイナル・ロマンス 天若有情V』だけということになってしまった。よりによって一番見たくない作品。それでも行くという私って何なんだろう?
上映前にエディソン・チャンの舞台挨拶。この映画は前半部分は日本ロケだったこともあって、そのときのこぼれ話が中心になる。ロケ弁のオカズがシーフードばかりで、シーフード・アレルギーの彼は本当に困ったとのこと。また近く、日本を舞台に撮影予定の企画があって来日するかもしれないとのいう。そういえばこの人、三池崇史の『DEAD OR ALIVE 2』にも出ていなかったっけ? 日本との関連はますます深くなりそうだ。『ジェネックス・コップ2』の映像を使ったプロモーション・ビテオを上映して、いよいよ『ファイナル・ロマンス 天若有情V』が始まった。
まずイヤな感じがしたのが、このタイトルである。原題は『願望樹』という。どこにも『天若有情』の文字はない。『天若有情』といえば、1990年にアンディ・ラウ、ン・シンリンでベニー・チャン監督により撮られた映画を思い出す。チンピラのアンディ・ラウとお嬢様のン・シンリンの恋の話で、ン・シンリンが綺麗だったことをよく憶えている。『アンディ・ラウの逃避行』というタイトルのビデオで見た。次に『天若有情U』という映画があった。これは1993年に再びベニー・チャンがン・シンリンの相手役にアーロン・クォックを抜擢して撮ったものだ。これは未見なのだが『風さらば/天若有情U』というタイトルでビデオも出ている。2本の映画の間には、ベニー・チャンがン・シンリンで撮ったラブ・ロマンスものという以外に話の繋がりはないそうだ。
はて? なんでここで『天若有情V』なのだろう? ベニー・チャンもン・シンリンも関係がない。しかもだ! 『天若有情V』という映画は、すでに存在しているのである。1996年にジョニー・トーが撮った(げげっ!ひょっとしてあの『ザ・ミッション 非情の掟』のジョニー・トーかあ?)『天若有情V 烽火佳人』だ。これは再びアンディ・ラウとン・シンリン。日本でビデオだって出ている。『アンディ・ラウ/戦火の絆』 まったく配給会社は何を考えているのだろう。どうしてこんな混乱するようなタイトルを付けるのだろう。ちょっと怒りを感じてしまった。
それで肝心の『ファイナル・ロマンス 天若有情V』ですが・・・書く気力にもならない退屈な映画だったとだけ書いておこう。