September.17,2007 母性愛の皮肉な結末と救いのあるラスト

        そういえば、『題名のない音楽会』というテレビ番組って、まだ放送されているよなあと思いながら、イタリア映画『題名のない子守唄』(Le Sconosiuta)を観に行った。予備知識は監督が『ニューシネマ・パラダイス』を撮ったジョゼッペ・トルナトーレだというくらい。世間ではあの映画を傑作だという呼び声が高いが、私は、あれ、ダメなのだ。観ていて蕁麻疹が出るくらい、いてもたってもいられなかった口。それでも観に行ったのはサスペンス映画だからという理由からだろうか。

        ひとりの女性イレーナ(クセニア・ラパポルト)が北イタリアの港町に現れる。ある高級マンションを訪れ、管理人に家政婦の仕事はないかと尋ねる。管理人は、今のところそんな仕事はないが、共用部分の清掃の仕事ならあると告げる。イレーナは、その高級マンションの向かい側のマンションに部屋を借りる。どうも、その高級マンションのある部屋に住む家族アダケル家に関心があるらしい。やがてイレーナはアダケル家の家政婦になることに成功する。アダケル家は夫婦に女の子の幼児の3人家族。この娘テアは2人の間に生まれた子供ではなく養子だということが観客に知らされるところから、どうやらテアは実はイレーナの子供なのではないかと思われてくる。

        やがて、イレーナの周辺に怪しげな男たちが出現する。いったいイレーナとは何者なのかという謎をはらんでストーリーは後半になだれ込んでいく。これ以上はネタばれになるので書かないことにするのだが、前半からときどきインサートされるエロチックなシーンから、どうやらイレーナは元娼婦だったということが知らされている。クセニア・ラパポルトという女優さんは初めて見たが、このインサートされる過去のシーンでの彼女は本当にキレイだ。それが現在の家政婦の姿は同一人物とは思えないやつれ果てた姿になっている。

        わけありの人物が家政婦になって家庭に入り込んでくるという話は『ゆりかごを揺らす手』などを思い出すが、こちらの描き方はあくまで家政婦からの視点。結末の印象は、かなり皮肉な味わいになっていて、それでもやっぱり『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督さんなんでしょうね、ラストシーンは観客をしみじみとした気持ちになって映画館をあとにできるようなデキになっている。でもねえ、どうしても引っかかるのは以前の家政婦ジーナのこと。そんなことまでしてアダルケ家の家政婦の座を奪おうとしたことが最後まで納得いかない。それが母性愛だといわれれば、言い返す言葉はないのだけど。


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