October.17,2007 これぞ日本の空手映画

        昨年、小宮さんから撮影に入っていると聞かされていた『黒帯』が公開された。タイトルから柔道の映画のように誤解されそうだが、これは空手映画だ。寸止め、ライトコンタクトではなく、フルコンタクトでの撮影とあって、リハーサル段階から相手に一撃が加わると、撃たれた側はうめいて倒れてしまうという過酷な撮影だっらしい。

        もちろん主演はプロの空手家。果たして演技経験のない人を使って、まともな劇映画が出来るのだろうかという疑問が頭をよぎって、勝手に不安に思っていたのだが、それは杞憂でしかなかった。登場する三人の空手家、義龍役の八木明人、大観役の中達也、長英役の鈴木ゆうじ、みんな実にいい顔をしている。役者だといわれても納得してしまう。さすがに長年、空手の修行を積んできた人達だけのことはある。少なくともこういう役を演らせるだけなら、十分にいい顔をしているし、心配していた演技力も、どうしてどうしてお見事なのである。

        時代は昭和7年。山奥の道場で三人は、師(夏木陽介)の教えのもと、空手の修行をしている。そこへ、道場を接収する旨を伝えに憲兵隊がやってくる。押し問答の末に、では勝負しようではないかということになってしまう。このシーンで私は身体が凍り付いてしまった。日本刀を振り回す憲兵に対して何も武器を持たない空手家との戦いである。これは斬られてしまうと思いゾッとしていると、日本刀よりも空手はもっと危険なことに気づかされることになる。一瞬の動きで相手の懐に飛び込むと一撃で相手は倒れている。それはもう凄まじい破壊力だ。空手家に挑む日本刀を持った憲兵が次々に倒されていってしまう。

        今までの空手映画っていったいなんだったのかという考えがよぎる。よく考えてみるとブルース・リーから始まった空手映画ブームは、空手映画ではなかった。あれはカンフー映画だったのだ。後にジャッキー・チェン、リー・リンチェイ(ジェット・リー)らに受け継がれるものも、所詮はカンフー映画。ブルース・リー人気から制作された東映の空手映画も、実は本当の空手映画ではなかったとすら思えてくる。

        リー・リンチェイの華麗な動きも、ジャッキー・チェンや千葉真一のような無駄な動きもここには一切ない。ただ一撃必殺で勝負がつく。[静]から突然に[動]が起こった瞬間に相手は倒されている。これぞ日本の空手。日本の空手映画といえないだろうか。CGもコマ落としもない、これぞ本物の空手。身体から繰り出される突きや蹴りは早すぎて見えない。

         なんで今までこんな空手映画が出来なかったのだろうか。この本物の空手に気がついてさえいれば、日本の空手映画の方向性はかなり別の方に行っていたはずなのに。


October.6,2007 パクられたらパクりかえせ・・・ってか? なんじゃこりゃ(笑)

        私よりも上の世代だとアメリカ製西部劇(ヘンな言い方だが)に夢中になった人達が多いのだと思うが、私が夢中になったのはやはり何といってもイタリア製西部劇マカロニウエスタンということになる。腰に拳銃ぶらさげているというのに、なかなかドンパチやらないアメリカの西部劇に飽き飽きしていた私らの目には、終始撃ち合いシーンの連続、しかも神業のようなガン捌きのマカロニウエスタンの方が面白く感じられた。3本立ての洋画館でのマカロニウエスタン特集などがあると仲間を誘って観に行っていた。しかしこのマカロニウエスタン、評論家たちからは概ね不評で、やれパクリだの、残酷だの、荒唐無稽だの言われていたものだ。もっとも私らには「♪そんなの関係ねえ!」だったのである。

        そんな中でも、『続・荒野の用心棒』は名画座にかかるたんびに通い詰めて何回も観た作品。冒頭、棺桶を引きずりながら雨の降る中を町にやってくるフランコ・ネロ。アメリカの西部劇の中でそれまで雨のシーンから始まる映画なんてあっろうか? 西部劇というと、明るく晴れ渡った空、馬に乗った主人公が登場するのが定番だったのではないだろうか。汚いマント姿のフランコ・ネロ。その名はジャンゴ。そこに被る主題歌「♪ジャンゴ〜」は一度聴いたら忘れられないメロディーだ。

        三池崇史という監督の映画はどうも私の生理に合わなくて、最近はまず観に行かないことにしているのだが、『SUKIYAKI WESTERN ジャンゴ』ともなると、怖いもの観たさも手伝って、いそいそと映画館に入っていた。この映画の世界はそれこそ、なんじゃこりゃというもので、ここが受け入れられないと、おそらく最後まで違和感を感じたままで過ぎて行ってしまうだろう。何しろ台詞は英語。舞台はどうやら日本の戦国時代? しかし、着ているものは和服ではない。山の中の小さな町でふたつの勢力が埋蔵金を巡り対立を続けている。武器は刀ではなく拳銃。良識ある人(笑)は、もうこれだけでドン引きしてしまうに違いない。そこへやってきたのがフランコ・ネロならぬ伊藤英明。どちらでも金次第で助っ人すると告げる。もう『続・荒野の用心棒』そのまま。いや、黒澤明の『用心棒』そのままと言った方がいいのか。イタリアは黒澤明をパクったのだから、日本がさらにパクり返してもいいじゃんというふてぶてしさ。

        伊藤英明は棺桶を引きずって登場するわけではないが、棺桶は別の形で登場する。中に入っているものもおんなじ。話は因果関係が錯綜して、ひたすら暗い。だが、三池崇史流のダークな笑いがところどころで観られる。クエンティン・タランティーノのすき焼き卓袱台ひっくり返しとか、真剣白刃取りギャグとか、こういうのが笑える人と笑えない人に分かれてしまいそう。

        前半にアクションがほとんど無い展開なので、やや不満を感じた。それが幌馬車襲撃あたりから一気にアクションが炸裂する。最後の対決は、『続・荒野の用心棒』のことが頭にあって、ひょっとして十字架撃ちかと思っていたら、それは違った(笑)。拳銃と刀の対決! それも一工夫がこらされている。でもなあー、これって『タクシー・ドライバー』じゃん、というのは野暮かな(笑)。

        私は英語の上手い下手はよくわからないが、出演者の中では香川照之の英語が一番自然に聞こえた。そんな香川が一言だけ日本語で喋り英語字幕が出るところがある。これは日本人にしかわからないギャグなのだが外国人はどう反応するのだろうか(笑)。


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