July.19,2008 ジグソー・パズルのピースがピタリと収まる快感
足を骨折したことによって、あまり外出ということができなくなった。映画館までタクシーと松葉杖なんて考えただけでうんざりだ。お医者さんからも、なるべく足を地面に着けずにジッとしていろと言われているので勢いDVDやテレビでの映画鑑賞ということになる。それでも『11:14』なんていう映画に出会えると「儲けた!」と思えてくる。私が観たのはWOWOWでの放映。2003年のアメリカ映画で、日本では劇場未公開作品。去年いきなりDVDで発売になったとのこと。WOWOWでは『惨劇の11時14分』というサブタイトルがつけられた。
WOWOWプログラムガイドでは、出演者の筆頭がヒラリー・スワンクで、次がパトリック・スウェイジになっているが、映画の冒頭のタイトルバックで最初に名前が出るのはレイチェル・リー・クック。このきれいな女優さんが主演扱いになってはいるが物語は、この他にもたくさん出てくる役者さん誰が主演だと言ってもおかしくない構成を持った映画だといえる。実際、タイトルバックではヒラリー・スワンクもパトリック・スウェイジも後の方にクレジットされている。ヒラリー・スワンクはプロデューサーのひとりに名前も連ねていて、この作品を是非とも世に送り出したかったのだろうという意欲が感じられる。監督・脚本はグレック・トーマス。おそらくそれまで無名だった人なのではないか。
さて、この映画がどんなに面白いかということを説明するのは難しい。説明しようとすると、どんどんネタを割ってしまうからだ。
始まりはこんな感じ。ジャック(ヘンリー・トーマス)が夜道を車で走っている。携帯電話で誰かと話しているのだが、どこからかの帰り道らしく「もうすぐ着く」といった会話。助手席のシートにはウイスキーのポケットボトル。少しアルコールも入っているようだ。電話を切ると、ダッシュボードの時計が[11:14]に変わる。そのとき車の前方に何かがぶつかる。急ブレーキをかけるジャック。フロントガラスにヒビが入っていて、[鹿に注意]の標識が見える。おそるおそる外に出てみるとはねたのは鹿ではなく男性。そこへ一台の車が通りかかる。ジャックはあわてて死体を自分の車の陰に隠す。通りかかった車には中年の女性が乗っている。彼女は近所に住む女性で、ここでいつも鹿の事故現場に遭遇しているらしく、また鹿との接触事故が起きたのかと思い込んでいる。彼女は携帯電話を買ったばかりで使いたがっていて、「警察署長は友人だから、電話してあげる」と言う。ジャックは「もう警察に電話したから」とウソをついて断るが、女性は警察に電話を入れながら走り去る。ジャックは死体をシートに包みトランクへ隠す。
そこへ後からパトカーが近づいて来る。パトロール警官はジャックが酒くさいことに気がつき、運転免許書を見せろと要求する。しかしジャックは免許書を忘れてきたと言う。警官はジャックの名前と車検証から事務所に問い合わせるとジャックが飲酒運転で免停中だということを知る。逮捕することを告げ手錠代わりにビニールの簡易手錠を後ろ手にかける。この夜は他にも逮捕者をふたりも確保して金属製の手錠が足りなくなっていたのだ。警官はトランクに血がついてるのを発見し中を開ける。当初は鹿の肉を持ち帰ろうとしたのだろうと思うが、シートをはがすと人間の死体が出てきたのでびっくり。ジャックをパトカーに乗せて警察署に向おうとするが、後部座席には手錠をかけられた先客がふたり。そのうちのひとりがヒラリー・スワンクだ。ジャックはうしろのポケットに小さな鋏を忍ばせていてビニールの簡易手錠を切り、逃亡する。それを追う警官。そのすきをみて逃げるヒラリー・スワンクともうひとりの男性ダフィ(ショーン・ハトシー)。
ジャックが逃げていると、さっき車で通りかかって警察に通報した女性が狂乱の様子で現れる。ジャックの姿を見ると「さっきの人ね」と気がつき、たった今、友人の警察署長から電話があって、自分の子供が交通事故に遭い死亡したと言われたのだと言う。そこへ警官が追いついてくる。警官は、ジャックにひき逃げ犯として逮捕すると叫ぶ。すると女性は「あんたが私の子供を撥ねて殺したのね!」と言い出す。あわてて逃げ出すジャック。墓地まできたときに何かにつまづいて転倒してしまう。地面に落ちていたのはボーリングのボール。ボールには[ダフィ]の文字が。ダフィ? さっきヒラリー・スワンクと一緒にパトカーから逃走した男の名前はダフィ。そこへ警官と中年女性が追いつき、警官は銃を構える。「あんたが、あたしの娘を車で撥ねて殺したのね!」と女性。えっ? 娘? 男じゃなくて?
ここから時間軸が戻され、いくつかの事件が紹介されていく。その中にヒラリー・スワンクやショーン・ハトシーの関わった事件やら、パトリック・スウェイジ、そして主演扱いのレイチェル・リー・クックの事件がからみ、それがジグソー・パズルのピースのようになっていて、最後にぴったりと合わさるという構成なのだ。確かにレイチェル・リー・クックは魅力的で、事実上よく考えるとこの映画で発生した全体像の一番の元凶は彼女なんだということがわかるんだから主演といえなくもない。う〜ん、まだ何を言っているのかわからない人にどう説明しようかというと、『パルプフィクション』でタランティーノが使った手を、もっと複雑化して1本の映画にしちゃったといえばいいのか。そう書くとますますわかりにくいか。まっ、ちょっとトリッキーな映画を好きな人はきっと気にいると思うし、そういうお遊びは嫌いだという人はこんな映画は認めないと言い出すだろうし、う〜ん、そういう映画なのでした。好きな人はもう一度冒頭から観たくなるから。86分上映時間も短いしね。