風雲電影院

アメリカン・スナイパー(American Sniper)

2015年3月3日
109シネマズ木場 IMAXシアター

 アカデミー賞の数々の部門にノミネートされながら、結局は音響編集賞という技術的な部門だけに終わってしまったけれど、それはクリント・イーストウッド自身も最初っから期待してなかっただろうし、この作品でアカデミー賞を取りたいとも思っていなかったんじゃないだろうか。この映画は、ある意味でアメリカのやったことに対する批判だし、かといってアカーデミー賞サイドとしても、この映画を無視するわけにはいかないからノミネートだけはして、結局は賞は目立たない部門ひとつといったところに落ち着けさせたんじゃないかと勘ぐりたくなってくる。

 戦争と、その戦争を体験した兵士たちの、その後の心の傷(PTSD)の映画だが、クリント・イーストウッドの描き方は、いつものように極めてクール。PTSDの苦しみをそれほど大げさに表現しないし、声高に、あるいは演出効果満点に表現しようとはしない。きわめて静かに演出してみせる。そして最後に主人公のスナイパーの身に起こったことだって、そのこと自体を映像にしない。ただテロップが入るだけ。上手いなと思うのは、スナイパーが最後に合った人物の顔つきが尋常でなかったという印象だけを観るものに伝える。それだけですべてを語ってしまう。本当はそのあとのシーンを衝撃的に描きたがる監督は多いだろうし、さらにそのあとを長々と描きがちだが、イーストウッドは静かに『夜空のトランペット』を流しながら、葬列の自動車を映すのみ。しかもその『夜空のトランペット』は、あの(私の嫌いな)ニニ・ロッソではなく、もっとスローで、誇張しない、いい演奏のものになっている。そしてその演奏が終わったあとには、一切の音を消したクレジット・タイトルが流れていく。

 戦争映画は『地獄の黙示録』を境に大きく変わったと言われる。それまでの娯楽一辺倒だったものから、本当の戦争の現場とはこうだという、まさに現実の戦場そのものの中にいるような映像を取り入れるようになった。画像も音響も設備のいい映画館で観ると、戦場に行ったことのない我々でも、死と隣り合わせの場所にいるような臨場感を覚える。クリント・イーストウッドも、我々を戦場に連れ込む。それはもうかなりの緊張を強いられる怖い体験だ。そこだけはイーストウッドもクールというよりは強烈な演出をしているように思える。そうでなければ、精神的に壊れていく兵士を描けないからだろう。

 『地獄の黙示録』はベトナム戦争を扱った。そして多くのPTSDの映画が世に送られた。そしていま中東戦争をテーマにして、またもやPTSD。こんなことがいつまで繰り返されるのだろうか。

3月4日記

静かなお喋り 3月3日

静かなお喋り

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